戦後日本経済の歩み
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「政治・経済」A (1) ア (イ) の「経済活動と市場」から「金融の働きと仕組み」までを、戦後の日本経済の流れに当てはめて見直すノートです。
内容の取扱いは、ここで日本経済のグローバル化をはじめとする経済生活の変化などに関する理解と関連させて扱うよう求めています。
市場・財政・金融のしくみは、それぞれ 経済活動と市場・財政と租税・金融のしくみと日本銀行 で扱います。ここでは「いつ・何が起き・なぜそうなったか」をつなぎます。
0. 何を押さえるか
| 時期 | 流れ | 押さえるできごと |
|---|---|---|
| 1945〜1950 年代前半 | 戦後改革と復興 | 経済の民主化(財閥解体・農地改革・労働の民主化)、傾斜生産方式、ドッジ・ライン、朝鮮特需 |
| 1955〜1973 年 | 高度経済成長 | 年平均でおよそ 10% の実質成長、国民所得倍増計画、開放経済体制への移行 |
| 1973〜1980 年代前半 | 石油危機と安定成長 | 第一次石油危機、1974 年の戦後初のマイナス成長、減量経営 |
| 1985〜1991 年 | 円高とバブル経済 | プラザ合意、円高不況、低金利と地価・株価の高騰 |
| 1990 年代〜 | バブル崩壊と長い停滞 | 不良債権、金融機関の破綻、デフレ |
| 2000 年代〜 | 構造改革とグローバル化 | 規制緩和、リーマン・ショック、経済連携協定 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 傾斜生産方式は石炭・鉄鋼に資金と資材を集中させた(1947 年〜)。ドッジ・ラインはその後のインフレを収めるための緊縮(1949 年)
- 第一次石油危機(1973 年)で高度経済成長が終わり、翌 1974 年に戦後初めて実質経済成長率がマイナスになった
- プラザ合意(1985 年)はドル高を直すための協調で、日本には円高をもたらした。その後の低金利がバブル経済の背景になった
1. 戦後改革から高度経済成長へ
根拠: 学習指導要領 政治・経済-A-(1)-ア-(イ)
敗戦後の日本は、生産の落ち込みと激しいインフレから出発しました。占領下で経済の民主化が進められ、限られた資源を基幹産業に集中させて生産を立て直しました。
戦後の経済の民主化として GHQ のもとで行われた 3 つの改革は?
財閥解体・農地改革・労働の民主化
農地改革では、地主の土地を国が買い上げて小作人に売り渡し、自作農を増やした。労働の民主化では、労働組合法などの労働三法が定められた。
戦後の復興期に、限られた資金と資材を石炭と鉄鋼の生産に集中的に投入し、そこから経済全体の生産を回復させようとした政策を何という?
傾斜生産方式
復興金融金庫の融資が通貨の増発を招き、インフレ(復金インフレ)を強めた。
1949 年、GHQ の経済顧問が示した、インフレを収めるための緊縮財政と、1 ドル 360 円の単一為替レートの設定などの一連の政策を何という?
ドッジ・ライン
インフレは収まったが、深刻な不況(安定恐慌)を招いた。翌 1950 年に始まった朝鮮戦争による特需で、景気は回復した。
1960 年に池田勇人内閣が打ち出した、10 年間で国民所得を 2 倍にすることをめざした計画は?
国民所得倍増計画
実際には予定より早く達成された。高度経済成長の時期(1955〜1973 年)には、実質経済成長率が年平均でおよそ 10% に達した。
2. 石油危機からバブル経済の崩壊まで
根拠: 学習指導要領 政治・経済-A-(1)-ア-(イ)
1973 年の第一次石油危機で原油価格が急に上がり、物価が大きく上がる一方で景気は冷え込みました。企業は省エネルギーと人員の削減(減量経営)で乗り切り、
産業の中心は重化学工業から、自動車・電子機器などの加工組立型の産業へ移っていきました。
第一次石油危機のあとの 1974 年に、日本経済で戦後初めて起きたことは?
実質経済成長率がマイナスになった(戦後初のマイナス成長)
同時に物価は「狂乱物価」と呼ばれるほど上がった。不況と物価上昇が重なるスタグフレーションの状態だった。
1985 年、ドル高を是正するため先進 5 か国(G5)の財務相・中央銀行総裁が為替市場への協調介入で合意したことを何という。日本にはどんな影響があったか?
プラザ合意。急速な円高が進み、輸出産業が打撃を受けた(円高不況)
これに対して日本銀行が金利を低く保ったことが、のちのバブル経済の背景になった。
1980 年代後半に、低金利と余ったお金が土地や株式に流れ込み、地価や株価が実際の価値からかけ離れて高騰した経済を何という?
バブル経済
1990 年代初めに地価・株価が急落して崩壊した。銀行には回収の見込みが立たない不良債権が大量に残り、1990 年代後半には大手の金融機関も破綻した。
3. 日本経済のグローバル化
根拠: 学習指導要領 政治・経済-A-(1)-ア-(イ)
日本は 1960 年代に貿易と資本の自由化を進め、国際経済の中に深く組み込まれていきました(日本経済のグローバル化)。
輸出が伸びると貿易摩擦が起き、円高が進むと企業は生産を海外へ移しました。国境を越えた生産の広がりは、国内の産業と雇用のあり方も変えています。
貿易や為替のしくみそのものは、国際経済の項目で扱います。
1964 年、日本は国際収支を理由に為替を制限できない IMF 8 条国に移行し、同じ年にある国際機関に加盟して「先進国の仲間入り」をしたとされる。その国際機関は?
OECD(経済協力開発機構)
同じ年に東京オリンピックが開かれた。1963 年には GATT 11 条国にも移行し、貿易の自由化が進んだ。
円高や人件費の差などから、企業が工場を海外に移すことで、国内の生産や雇用が減っていくことを何という?
産業の空洞化
プラザ合意後の円高で、製造業の海外直接投資が急増した。
1980 年代から 90 年代にかけて、日本の対米貿易黒字が大きくなったことから、日米の間で問題になった、自動車・半導体などの貿易をめぐる対立を何という?
日米貿易摩擦
1989 年からの日米構造協議では、日本の流通制度や系列取引など、経済の仕組みそのものも取り上げられた。
2008 年、アメリカの大手投資銀行の破綻をきっかけに世界に広がった金融危機を何という?
リーマン・ショック
低所得者向けの住宅ローン(サブプライムローン)の焦げつきが発端。日本は金融の打撃は比較的小さかったが、輸出が急減して景気が大きく落ち込んだ。