脱植民地化とアジア・アフリカ諸国
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「歴史総合」D (2) ア (ア) の「脱植民地化とアジア・アフリカ諸国」。内容の取扱いは、
アジア・アフリカ諸国が国際関係の変化に主体的に対応して国家建設を進めたことに気づくよう求めています。
植民地だった地域が独立を勝ち取るだけでなく、米ソどちらの陣営にも属さない立場を自ら選び、連帯して発言したところまでが範囲です。
アジア・アフリカ会議の開催時期・主催国・参加国数・十原則は、2026-09-27 にデータベース「世界と日本」(東京大学東洋文化研究所)の
「アジア・アフリカ会議最終コミュニケ」と突き合わせました。
0. 何を押さえるか
第二次世界大戦で宗主国のイギリス・フランス・オランダが力を落とし、植民地の民族運動が勢いを増しました。
独立はアジアが先(1940 年代後半〜50 年代)、アフリカが後(1950 年代後半〜60 年代)です。
| 時期 | 地域 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 1940 年代後半 | 南アジア・東南アジア | インドネシア・ベトナムの独立宣言(1945)、インド・パキスタンの分離独立(1947) |
| 1950 年代 | アジア・アフリカの連帯 | 平和五原則(1954)、アジア・アフリカ会議(1955)、スエズ運河国有化(1956)、ガーナの独立(1957) |
| 1960 年代 | アフリカ | 「アフリカの年」(1960)、非同盟諸国首脳会議(1961)、アルジェリアの独立(1962)、アフリカ統一機構(1963) |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 平和五原則は 2 国(中国とインド)の首脳の合意、平和十原則は 29 か国が集まった会議の合意。年も 1954 年と 1955 年で違う
- アジア・アフリカ会議はバンドン(インドネシア)、第 1 回非同盟諸国首脳会議はベオグラード(ユーゴスラヴィア)
- インドシナの独立はフランスとの戦争を経た。インドネシアはオランダ、アルジェリアはフランスと戦った。宗主国の組み合わせを入れ替えない
1. アジアの独立
根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(2)-ア-(ア)
日本の占領が終わった東南アジアでは、戻ってきた旧宗主国と独立を求める勢力とがぶつかりました。
南アジアでは、イギリスが独立を認める一方で、宗教の違いによって 2 つの国に分かれました。
1945 年に独立を宣言し、オランダとの戦争を経て 1949 年に独立を認められた国と、その指導者は?
インドネシア(スカルノ)
旧宗主国のオランダは再び支配しようとしたが、国際的な圧力もあって独立を認めた。
1947 年、イギリスから独立する際に、宗教の違いから 2 つの国に分かれたのはどことどこか?
インド(ヒンドゥー教徒が多い)とパキスタン(イスラーム教徒が多い)
分離の過程で大規模な住民の移動と衝突が起きた。独立運動を率いたガンディーは翌 1948 年に暗殺された。
1945 年にホー=チ=ミンが独立を宣言した国と、その独立を認めずに戦ったかつての宗主国は?
ベトナム民主共和国、フランス
この戦争がインドシナ戦争。1954 年のディエンビエンフーの戦いでフランスが敗れた。
インドシナ戦争を終わらせた 1954 年の協定で、ベトナムに引かれた暫定的な軍事境界線は?
北緯 17 度線(ジュネーヴ休戦協定)
2 年後に統一選挙を行うと定めたが、協定に調印しなかったアメリカが南のベトナム共和国を支え、選挙は行われなかった。
2. アジア・アフリカの連帯と第三世界
根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(2)-ア-(ア)
独立した国々は、米ソの対立に巻き込まれず、自らの立場で国際社会に発言しようとしました。
東西どちらの陣営にも属さない国々は第三世界と呼ばれ、国際連合でも数の力を持つようになります。
1954 年に中国の周恩来とインドのネルーが合意した、領土・主権の尊重や内政不干渉、平和共存などをうたう原則は?
平和五原則
翌年のアジア・アフリカ会議の平和十原則に受け継がれた。
1955 年、インドネシアのバンドンで 29 か国が集まって開かれ、平和十原則を採択した会議は?
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)
主催はインド・インドネシア・ビルマ・パキスタン・セイロンの 5 か国。日本も参加した。十原則には主権と領土保全の尊重、内政不干渉、国際紛争の平和的解決などが並ぶ。
1961 年、ユーゴスラヴィアのベオグラードで開かれ、東西どちらの軍事同盟にも加わらない立場の国々が集まった会議は?
第 1 回非同盟諸国首脳会議
ユーゴスラヴィアのティトー、エジプトのナセル、インドのネルーらが中心になった。
米ソどちらの陣営にも属さず、主にアジア・アフリカ・ラテンアメリカの新しく独立した国々をまとめて何と呼んだか?
第三世界
西側(資本主義陣営)・東側(社会主義陣営)に対する「第三」の勢力という意味。
3. アフリカの独立
根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(2)-ア-(ア)
北アフリカで始まった独立の動きは、1950 年代の後半からサハラ以南に広がりました。
ただ、植民地時代の境界線がそのまま国境になったことや、特定の作物・鉱産物に頼る経済が残ったことが、独立後の内戦や貧困の種になりました。
1956 年、エジプトのナセルがスエズ運河の国有化を宣言したことに対し、イギリス・フランス・イスラエルが起こした戦争は?
スエズ戦争(第 2 次中東戦争)
米ソがともに撤兵を求め、国際連合の決議もあって 3 国は撤退した。エジプトは運河の国有化を守り、ナセルはアラブ民族主義の指導者として力を強めた。
1957 年、エンクルマ(ンクルマ)の指導でイギリスから独立した西アフリカの国は?
ガーナ
サハラ以南のアフリカで独立が続く先駆けになった。
アフリカで 17 の国が一度に独立した 1960 年を何と呼ぶか?
アフリカの年
同じ年、国際連合の総会は植民地独立付与宣言を採択した。独立直後のコンゴでは動乱が起きた。
1954 年から続いた戦争を経て、1962 年にフランスから独立した北アフリカの国は?
アルジェリア
多くのフランス人入植者がいたため、独立戦争は長く激しいものになった。フランスではこの混乱のなかでド=ゴールが政権に戻った。
1963 年、アフリカの独立国がアフリカの統一と植民地主義の一掃をめざして結成した機構は?
アフリカ統一機構(OAU)
本部はエチオピアのアディスアベバ。2002 年にアフリカ連合(AU)へ改組された。
独立後のアジア・アフリカの国々で、特定の農産物や鉱産物の輸出に頼る経済のかたちを何と呼ぶか?
モノカルチャー経済
植民地時代に宗主国に向けて作られた経済の名残で、国際価格の変動に弱い。先進国との経済格差は南北問題と呼ばれた。