冷戦下の地域紛争と核兵器の管理
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「歴史総合」D (2) ア (ア) の「冷戦下の地域紛争」と「軍備拡張や核兵器の管理」。
米ソは直接には戦いませんでしたが、アジアや中東、カリブ海では両陣営の対立が実際の戦争や危機になりました。
その一方で、核戦争の瀬戸際を経験した米ソは核兵器を管理する条約を結び、両陣営の内部でも足並みが乱れます。
これらを基に国際政治の変容をつかむのがこのノートです。
部分的核実験禁止条約の署名国と禁止の範囲、核兵器不拡散条約の署名開放・発効と「核兵器国」の定義は、
2026-09-27 にデータベース「世界と日本」(東京大学東洋文化研究所)の条約本文と突き合わせました。
0. 何を押さえるか
| 地域紛争 | 軍備拡張 | 核兵器の管理 | |
|---|---|---|---|
| 1950 年代 | 朝鮮戦争(1950〜53)、スエズ戦争(1956) | 水爆実験(1954 ビキニ環礁)、人工衛星(1957) | 原水爆禁止運動、ラッセル・アインシュタイン宣言(1955) |
| 1960 年代 | キューバ危機(1962)、ベトナム戦争の本格化(1965〜)、第 3 次中東戦争(1967) | 大陸間弾道ミサイルの配備 | 部分的核実験禁止条約(1963)、核兵器不拡散条約(1968) |
| 1970 年代 | ベトナム和平(1973)、第 4 次中東戦争(1973) | 米ソの戦略兵器制限交渉(1972 に第 1 次の合意) |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 部分的核実験禁止条約は地下実験を禁止していない。禁止したのは大気圏内・宇宙空間・水中の 3 つ
- 核兵器不拡散条約は 5 か国の核保有を認めたうえで、それ以外の国への拡散を防ぐ条約。核兵器を全面的になくす条約ではない
- キューバ危機はソ連のミサイル撤去で終わった(アメリカの海上封鎖に対し、ソ連が引いた)。その後に米ソの直通回線(ホットライン)が引かれた
1. アジアとカリブ海の紛争
根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(2)-ア-(ア)
冷戦下の地域紛争は、分断された国の統一や、独立後の政権をめぐる争いに、米ソがそれぞれの側を支える形で関わるものでした。
1950 年に始まった朝鮮戦争の休戦協定が結ばれたのは何年か?
1953 年
休戦協定は板門店で結ばれた。戦争は講和ではなく休戦で止まり、北緯 38 度線付近の軍事境界線で南北の分断が続いている。
1962 年、ソ連がキューバにミサイル基地を建設していることが分かり、米ソが核戦争の瀬戸際に立った出来事は?
キューバ危機
アメリカのケネディ大統領が海上封鎖を行い、ソ連のフルシチョフがミサイルの撤去に応じた。キューバでは 1959 年にカストロらの革命が起きていた。
キューバ危機の反省から、1963 年に米ソの首脳の間に設けられた直通の通信回線を何と呼ぶか?
ホットライン
偶発的な核戦争を防ぐためのもの。同じ年に部分的核実験禁止条約が結ばれた。
1965 年、アメリカが北ベトナムへの爆撃を始めて本格的に介入した戦争は?
ベトナム戦争
アメリカは南ベトナム解放民族戦線と北ベトナムに対して大軍を送ったが勝てず、国内外で反戦運動が広がった。
アメリカ軍がベトナムから撤退することを定めた、1973 年の協定は?
ベトナム(パリ)和平協定
その後、1975 年にサイゴンが陥落し、翌 1976 年に南北を統一したベトナム社会主義共和国が成立した。
2. 中東の紛争
根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(2)-ア-(ア)
1948 年のイスラエルの建国をきっかけに、イスラエルとアラブ諸国の間で戦争がくり返されました。
アメリカがイスラエルを、ソ連がアラブ諸国の一部を支え、ここにも冷戦が重なっています。
1967 年の第 3 次中東戦争で、イスラエルが占領した地域は?
シナイ半島・ガザ地区・ヨルダン川西岸・ゴラン高原
イスラエルは短期間で圧勝した。占領地をめぐる問題は、その後のパレスチナ問題の中心になった。
1973 年の第 4 次中東戦争で、アラブの産油国がイスラエルを支持する国々に対してとった手段は?
石油の輸出制限や価格の引き上げ(石油戦略)
これが第 1 次石油危機を引き起こし、先進国の経済成長を止めることになった。
3. 軍備拡張と核の脅威
根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(2)-ア-(ア)
アメリカに続いてソ連も 1949 年に原子爆弾の実験を行い、米ソは水素爆弾やミサイルの開発を競いました。
軍備拡張の競争は、核兵器が使われたらどうなるかという不安を世界に広げ、核兵器に反対する運動が生まれます。
1957 年にソ連が打ち上げに成功し、ソ連が大陸間弾道ミサイルの技術を持つことを世界に示したものは?
人工衛星スプートニク 1 号
アメリカは衝撃を受け(スプートニク・ショック)、宇宙開発と教育に力を入れた。
1954 年、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験で、日本の漁船が被ばくした事件は?
第五福竜丸事件
これをきっかけに日本で原水爆禁止の署名運動が広がり、1955 年に広島で第 1 回原水爆禁止世界大会が開かれた。
1955 年、哲学者と物理学者が中心になって核兵器の廃絶と戦争の放棄を訴えた宣言は?
ラッセル・アインシュタイン宣言
湯川秀樹も署名した。これを受けて 1957 年から科学者によるパグウォッシュ会議が開かれた。
4. 核兵器の管理と国際政治の変容
根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(2)-ア-(ア)
キューバ危機の後、米ソは核兵器の管理に乗り出します。
同じころ、両陣営の内部では中ソ対立やフランスの独自路線が表に出て、米ソの二極だけでは説明できない国際政治の変容が進みました。
1963 年にアメリカ・イギリス・ソ連が署名し、大気圏内・宇宙空間・水中での核実験を禁止した条約は?
部分的核実験禁止条約
地下での核実験は禁止していない。すでに核兵器を持っていたフランスと中国は加わらなかった。
核兵器不拡散条約(NPT)が「核兵器国」と認めるのはどんな国か?
1967 年 1 月 1 日より前に核兵器などを製造し爆発させた国
アメリカ・ソ連(ロシア)・イギリス・フランス・中国の 5 か国にあたる。条約は 1968 年に署名のため開放され、1970 年に発効した。
1960 年代に、中ソ対立やフランスの独自外交によって、米ソ二極の構造がゆらいだことを何と呼ぶか?
多極化
中国とソ連は社会主義の路線をめぐって対立し、国境で武力衝突も起きた。フランスは NATO の軍事機構から脱退した。