先進国の政治と戦後日本の外交
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「歴史総合」D (2) ア (ア) の「先進国の政治の動向」。内容の取扱いは、
この時期の日本の国内政治や、日本とアジア諸国との関係についても触れるよう求めています。
西側の先進国が福祉国家を築く一方で社会の不満にも向き合ったこと、日本では 55 年体制のもとで独立後の外交を一つずつ立て直したことを扱います。
日ソ共同宣言・日韓基本条約・日中共同声明の署名日と中身は、2026-09-27 にデータベース「世界と日本」(東京大学東洋文化研究所)の
各文書の本文と突き合わせました。
0. 何を押さえるか
| 年 | 相手 | 文書 | 首相 | 決まったこと |
|---|---|---|---|---|
| 1956 | ソ連 | 日ソ共同宣言 | 鳩山一郎 | 戦争状態の終了と国交回復。ソ連が日本の国際連合加盟を支持 |
| 1960 | アメリカ | 日米新安全保障条約 | 岸信介 | アメリカの日本防衛の義務を明記 |
| 1965 | 韓国 | 日韓基本条約 | 佐藤栄作 | 国交正常化。韓国政府を朝鮮にある唯一の合法的な政府と確認 |
| 1972 | アメリカ | 沖縄返還 | 佐藤栄作 | 沖縄の施政権が日本に戻る |
| 1972 | 中国 | 日中共同声明 | 田中角栄 | 国交正常化。中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府と承認 |
| 1978 | 中国 | 日中平和友好条約 | 福田赳夫 | 平和条約として両国関係を固める |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- ソ連とは「共同宣言」で、平和条約は結べていない。北方領土の問題で合意できなかったため
- 中国とは 1972 年が「共同声明」(国交正常化)、1978 年が「平和友好条約」。文書の名前と年を入れ替えない
- 1972 年は首相が 2 人いる。5 月の沖縄返還は佐藤栄作、9 月の日中共同声明は田中角栄。日韓基本条約(1965)も佐藤栄作
1. 先進国の政治の動向
根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(2)-ア-(ア)
戦後の西側の先進国は、経済成長を背景に社会保障を整えて福祉国家をめざしました。
一方で 1960 年代には、人種差別への抗議やベトナム戦争への反対、既存の体制への異議申し立てが各国で噴き出します。
戦後のイギリスで、アトリー労働党政権が掲げた社会保障の充実を表すことばは?
「ゆりかごから墓場まで」
大戦中のベヴァリッジ報告が土台になった。重要産業の国有化も進め、福祉国家の手本とされた。
1958 年にド=ゴールが大統領の権限を強めて始めた、フランスの新しい体制は?
第五共和政
アルジェリア問題の混乱のなかで生まれた。ド=ゴールは核兵器を持ち、アメリカから距離を置く独自の外交を進めた。
アメリカで黒人差別の撤廃を求める運動を率い、非暴力を唱えた指導者と、1964 年に成立した法律は?
キング牧師、公民権法
公民権法は、公共施設などでの人種による差別を禁止した。
2. 日本の国内政治
根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(2)-ア-(ア)
独立を回復した後の日本の国内政治では、憲法改正と再軍備を唱える保守勢力と、それに反対する革新勢力が向き合いました。
両者の対立は、日米安全保障条約の改定をめぐって頂点に達します。
1955 年、左右の社会党の統一と保守合同による自由民主党の結成で生まれた、自民党が政権を持ち社会党が野党第一党として向き合う体制は?
55 年体制
自民党の長期政権は 1993 年まで続いた。
1960 年、岸信介内閣が日米安全保障条約の改定を進めたことに対して起きた大規模な反対運動は?
安保闘争
新しい安保条約は、アメリカの日本防衛の義務を明記した。条約の成立後、岸内閣は退陣した。
3. 日本と国際社会への復帰
根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(2)-ア-(ア)
サンフランシスコ平和条約にソ連は署名しなかったため、ソ連との戦争状態は法的に残っていました。
ソ連は国際連合の安全保障理事会の常任理事国なので、ソ連との関係を正常にしなければ日本は国連に入れませんでした。
1956 年、鳩山一郎内閣がソ連との戦争状態を終わらせ、国交を回復した文書は?
日ソ共同宣言
領土の問題で合意できなかったため、平和条約ではなく共同宣言になった。
日ソ共同宣言で、ソ連が歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すとしたのは、いつと定められたか?
日ソ間の平和条約が結ばれた後
平和条約は現在も結ばれていない。北方領土の 4 島のうち、残る択捉島・国後島については宣言に書かれなかった。
日ソ共同宣言で国交が回復したことで、同じ 1956 年に日本が実現したことは?
国際連合への加盟
宣言の中で、ソ連は日本の加盟申請を支持すると約束した。
4. 日本とアジア諸国との関係
根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(2)-ア-(ア)
日本とアジア諸国との関係は、戦争の賠償と国交の正常化から組み立て直されました。
東南アジア諸国への賠償は、日本の製品や役務を提供する形で行われ、日本企業がアジアに進出する足がかりにもなりました。
1954 年、日本が東南アジアの国と最初に結んだ賠償協定の相手国は?
ビルマ(現在のミャンマー)
その後、フィリピン・インドネシア・南ベトナムとも賠償協定を結んだ。
1965 年、佐藤栄作内閣が韓国の朴正熙政権と結び、国交を正常化した条約は?
日韓基本条約
韓国政府を朝鮮にある唯一の合法的な政府と確認し、1910 年 8 月 22 日以前に結ばれた条約・協定は「もはや無効」とした。同時に請求権・経済協力協定も結ばれた。
1972 年、田中角栄首相が北京を訪れて署名し、中華人民共和国との国交を正常化した文書は?
日中共同声明
日本は中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府と承認し、中国は日本に対する戦争賠償の請求を放棄した。これに伴い、台湾の中華民国との外交関係は終わった。
日中共同声明の後、1978 年に福田赳夫内閣が中国と結んだ条約は?
日中平和友好条約
中国ではこのころ鄧小平の指導で改革開放が始まろうとしていた。
1972 年、佐藤栄作内閣のもとでアメリカから日本に施政権が返還された地域は?
沖縄
返還にあたり「核抜き・本土並み」が掲げられたが、アメリカ軍の基地の多くは残った。小笠原諸島は 1968 年に返還されていた。