サンフランシスコ平和条約と独立の回復
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「歴史総合」C (3) ア (イ) の「平和条約と日本の独立の回復」を扱います。
冷戦が深まるなかで占領政策は転換し、日本は西側の一員として国際社会に復帰しました。
講和条約と日米安全保障条約の調印(1951 年 9 月 8 日)、発効と独立の回復(1952 年 4 月 28 日)、批准をめぐる社会党の分裂は、
2026-09-27 に国立国会図書館「史料にみる日本の近代」(講和条約・日米安保条約)と突き合わせました。
0. 何を押さえるか
占領のはじめ、アメリカは日本の非軍事化と民主化を最優先にしていました。冷戦が始まり、中国で共産党が勝つと、
日本を経済的に自立した西側の友好国にすることへ方針を変えます。講和はその延長線上にありました。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1948 | 占領政策の転換(経済の復興を重視) |
| 1949 | ドッジ・ライン(1 ドル 360 円の単一為替レート) |
| 1950 | 朝鮮戦争、警察予備隊の設置 |
| 1951 | サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約に調印 |
| 1952 | 両条約が発効し、日本が独立を回復。日華平和条約 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 講和会議にソ連は出席したが調印しなかった。中華人民共和国と中華民国はどちらも招かれなかった
- 平和条約と日米安全保障条約は同じ日(1951 年 9 月 8 日)に調印された。独立の回復は条約の発効日の1952 年 4 月 28 日
- 独立を回復しても、沖縄・奄美・小笠原はアメリカの施政権のもとに残った。返還は奄美 1953 年、小笠原 1968 年、沖縄 1972 年
1. 占領政策の転換
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(3)-ア-(イ)
冷戦のもとで、アメリカは日本をアジアでの共産主義に対する防壁とし、経済の復興を急がせるようになりました。
冷戦が深まるなかで、アメリカが日本の占領政策を、非軍事化・民主化から何を重視する方向へ転換したか?
経済の復興と自立(日本を西側の友好国として強くすること)
財閥解体の手はゆるめられ、公職追放も解除が進んだ。
1949 年、GHQ の経済顧問として来日したアメリカの銀行家が示し、赤字を許さない予算でインフレを抑えた一連の政策は?
ドッジ・ライン
1 ドル 360 円の単一為替レートもこのとき定められた。インフレは収まったが、深刻な不況になった。
朝鮮戦争が始まった 1950 年、GHQ の指令で設けられた組織は?
警察予備隊
在日アメリカ軍が朝鮮に出動したあとの国内の治安を担うとされた。のちに保安隊を経て、1954 年に自衛隊になった。
朝鮮戦争のときに、アメリカ軍からの物資やサービスの注文が日本に大量に入って景気が回復したことを何という?
特需(朝鮮特需)
ドッジ・ラインによる不況から抜け出すきっかけになった。
2. サンフランシスコ平和条約
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(3)-ア-(イ)
講和のあり方をめぐって国内の意見は割れました。ソ連・中国を含むすべての交戦国と講和するべきだという全面講和論と、
西側の国々とだけでも早く講和して独立を回復するべきだという単独講和(片面講和)論です。吉田茂内閣は後者を選びました。
1951 年 9 月 8 日、日本が連合国の 48 か国と調印した講和条約は?
サンフランシスコ平和条約
日本の首席全権は吉田茂首相。サンフランシスコの講和会議で調印された。
サンフランシスコ講和会議に出席しながら、平和条約に調印しなかった国は?
ソ連(ポーランド・チェコスロヴァキアも調印しなかった)
中国は、中華人民共和国と中華民国のどちらを代表とするかで米英の意見が割れ、どちらも招かれなかった。インドとビルマは会議に参加しなかった。
サンフランシスコ平和条約で、日本が独立を認めたのはどこか?
朝鮮
あわせて、台湾・澎湖諸島、千島列島・南樺太などに対するすべての権利を放棄した。
サンフランシスコ平和条約で、沖縄と小笠原諸島はどのように扱われたか?
アメリカの施政権のもとに置かれた
日本は独立を回復したが、沖縄の本土への復帰は 1972 年までかかった。
サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が独立を回復した日は?
1952 年 4 月 28 日
約 7 年におよんだ占領が終わり、日本は主権を回復した。
3. 日米安全保障条約と西側への復帰
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(3)-ア-(イ)
独立の回復は、アメリカとの安全保障の結びつきと一体でした。両条約の批准をめぐって、日本社会党は講和に賛成で安保に反対の右派と、
両方に反対の左派に分裂しました。
平和条約と同じ日に調印され、独立後もアメリカ軍が日本に駐留し続けることを認めた条約は?
日米安全保障条約
アメリカには日本を守る義務が明記されていなかった。1960 年に改定された(新安保条約)。
1952 年に結ばれ、日本に駐留するアメリカ軍の基地の使用や地位の細目を定めた取り決めは?
日米行政協定
日本は基地を提供し、駐留経費の一部を負担することになった。
1952 年、日本が台湾の中華民国と結び、中国との戦争状態を終わらせた条約は?
日華平和条約
中華人民共和国との国交正常化は 1972 年の日中共同声明まで持ち越された(日華平和条約はこのとき終了したとされた)。