第一次世界大戦と総力戦
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「歴史総合」C (2) ア (ア) の「第一次世界大戦の展開,日本やアジアの経済成長……などを基に,総力戦と第一次世界大戦後の国際協調体制を理解すること」のうち、
大戦そのものの展開と、それが国の戦い方と経済をどう変えたかを扱います。大戦後の国際協調は ヴェルサイユ体制とワシントン体制、
大戦中に起きたロシア革命は ロシア革命とソヴィエト連邦の成立 に分けてあります。
0. 何を押さえるか
第一次世界大戦(1914〜1918 年)は、ヨーロッパの列強が 2 つの陣営に分かれて戦い、植民地や日本・アメリカまで巻き込んだ戦争です。
長く続いた戦争は、兵士だけでなく国民・産業・科学技術のすべてを戦争に振り向ける総力戦になりました。
戦場から遠い日本やアジアでは、ヨーロッパからの輸入が止まったことが、かえって産業を伸ばしました(日本やアジアの経済成長)。
| 陣営 | 中心の国 | 大戦中の動き |
|---|---|---|
| 協商国(連合国) | イギリス・フランス・ロシア(三国協商) | 日本は日英同盟を理由に、イタリアは 1915 年に、アメリカは 1917 年にこちらで参戦 |
| 同盟国 | ドイツ・オーストリア=ハンガリー | オスマン帝国・ブルガリアが加わる。イタリアは三国同盟の一員だったが同盟国側では戦わなかった |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- イタリアは三国同盟の国だったのに、協商国(連合国)側で参戦した。開戦時の同盟の組み合わせと、実際に戦った陣営は一致しない
- 日本はドイツと戦った。日英同盟を理由に参戦し、アジア・太平洋のドイツの拠点を攻めた。ヨーロッパの主戦場で陸軍が戦ったわけではない
- 大戦景気は日本だけの話ではない。ヨーロッパ製品が入らなくなったアジアでは、中国やインドでも民族資本の工業が育った
戦死者の数は、軍人だけで 900 万人前後とする推計が多いものの、数え方で幅があるのでカードにはしていません。
1. 大戦の始まりと展開
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(2)-ア-(ア)
20 世紀の初め、ヨーロッパの列強はドイツ中心の三国同盟と、イギリス・フランス・ロシアの三国協商に分かれて対立していました。
民族問題が複雑にからみ合うバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、そこで起きた 1 件の暗殺が、同盟を通じて列強全体の戦争に広がりました。
第一次世界大戦の前に、ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアが結んでいた同盟を何という?
三国同盟
これに対抗して、イギリス・フランス・ロシアが三国協商を形づくった。イタリアはのちに協商国側で参戦する。
第一次世界大戦のきっかけとなった、1914 年にボスニアの州都でオーストリアの帝位継承者夫妻が暗殺された事件を何という?
サライェヴォ事件
犯人はセルビア人の青年。オーストリアがセルビアに宣戦し、同盟関係を通じて列強が次々に参戦した。
第一次世界大戦のころ、民族対立と列強の利害がからみ合い「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた地域は?
バルカン半島
ロシアはスラヴ系民族の結束を唱え、ドイツ・オーストリアはゲルマン系民族の結束を唱えて、この地域で対立していた。
第一次世界大戦で、1917 年にアメリカ合衆国が協商国側で参戦した直接のきっかけは?
ドイツの無制限潜水艦作戦
中立国の船も警告なしに攻撃する作戦で、アメリカの参戦が大戦の行方を決めた。1918 年 11 月にドイツが休戦協定に調印して大戦は終わった。
2. 総力戦
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(2)-ア-(ア)
短期で終わると思われていた戦争は、西部戦線で塹壕を掘って向かい合う長期戦になりました。
各国は戦争を続けるために、国民生活・産業・科学技術を丸ごと動員しました。
国民・経済・科学技術など国の力のすべてを動員して戦う戦争のあり方を何という?
総力戦
第一次世界大戦で初めて本格的に現れた。前線の兵士だけでなく、銃後の国民の生活も戦争に組み込まれた。
第一次世界大戦で本格的に使われた新しい兵器を、戦車・機関銃のほかに 3 つ挙げると?
毒ガス・航空機・潜水艦
機関銃とあわせ、科学技術が大量の殺傷に使われた。塹壕戦を打ち破るために開発されたものが多い。
総力戦になった第一次世界大戦は、交戦国の女性の立場にどんな変化をもたらしたか?
男性に代わって軍需工場などで働き、戦争を支えた
この働きを背景に、大戦後にイギリス・ドイツ・アメリカなどで女性の参政権が認められていった。
総力戦を戦ったヨーロッパの列強が、植民地に対して行ったことは?
植民地から兵士や労働者を動員し、物資を集めた
イギリスはインドに戦後の自治を約束して協力を求めた。この約束が守られなかったことが、大戦後の民族運動の高まりにつながる。
3. 日本の参戦
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(2)-ア-(ア)
日本はヨーロッパ列強の目がアジアから離れたこの大戦を、中国での勢力を広げる機会と見ました。
日本が第一次世界大戦に参戦したときの理由(名目)とした同盟は?
日英同盟
1914 年にドイツに宣戦し、中国の山東半島にあったドイツの拠点(青島)と、赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領した。
1915 年に日本が中国の袁世凱政府に出した、山東省のドイツ権益の継承などを内容とする要求を何という?
二十一か条の要求
中国は大部分を受け入れさせられ、要求を受け入れた 5 月 9 日を「国恥記念日」とした。中国の反日感情の出発点の一つになった。
4. 日本やアジアの経済成長
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(2)-ア-(ア)
ヨーロッパの国々が戦争で輸出どころではなくなると、アジアの市場には空白ができました。
日本は連合国への軍需品やアジア市場への綿織物、アメリカへの生糸の輸出を伸ばし、世界的な船不足で海運業・造船業も急成長しました。
第一次世界大戦中に、日本の輸出が急増して生まれた好景気を何という?
大戦景気
海運・造船で急に財をなした「船成金」が現れた。一方で物価も大きく上がり、民衆の暮らしは苦しくなった。
大戦景気によって、日本の対外的な経済の立場はどう変わったか?
債務国から債権国になった
大戦前は外国からの借金が多かったが、輸出超過で立場が逆転した。工業生産額も農業生産額を上回るようになった。
第一次世界大戦中、中国やインドで、自国の資本による紡績業などの工業が成長したのはなぜか?
ヨーロッパからの工業製品の輸入が減り、国内の市場が空いたから
このように植民地や従属地域で育った現地の人々の資本を民族資本という。民族資本家や労働者は、大戦後の民族運動の担い手にもなった。