国際連合と戦後の国際経済体制
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「歴史総合」C (3) ア (イ) の「国際連合と国際経済体制」を扱います。
第二次世界大戦の反省から、戦後の国際秩序は政治の面では国際連合、経済の面では IMF・世界銀行・GATT という 2 つの柱で組み立てられました。
国際連合憲章の署名と発足の日付は 2026-09-27 に国際連合広報センターの「国連の歴史」と、日本の国連加盟の日付は外務省の「日本の国連加盟」の説明と突き合わせました。
0. 何を押さえるか
戦後の国際秩序は、戦間期の失敗を裏返す形で作られました。国際連盟は戦争を防げず、ブロック経済は国どうしの対立を深めたからです。
| 戦間期の失敗 | 戦後のしくみ | |
|---|---|---|
| 平和の維持 | 国際連盟は大国が欠け、総会は全会一致、制裁は経済制裁だけ | 国際連合。大国が参加し、安全保障理事会が軍事的な措置も決められる |
| 通貨 | 各国が通貨を切り下げて競い合った | IMF が為替の安定を支える(ドルを軸にした固定相場制) |
| 復興と開発 | 国際復興開発銀行(世界銀行)が長期の資金を貸す | |
| 貿易 | 高い関税とブロック経済 | GATT で関税を下げ、自由で差別のない貿易をめざす |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- IMF は為替の安定(短期の資金)、世界銀行は復興・開発(長期の資金)。どちらも 1944 年のブレトン・ウッズ会議で設立が決まった
- 国際連合の安全保障理事会は常任理事国 5 か国が拒否権を持つ。1 か国でも反対すれば実質的な事項は決まらない
- 日本の国連加盟は 1956 年で、独立の回復(1952 年)と同時ではない。ソ連の拒否権で阻まれていたため
1. 国際連合の成立
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(3)-ア-(イ)
連合国は戦争中から、国際連盟に代わる新しい平和の組織を準備しました。
会議に集まったのは 50 か国で、あとから署名したポーランドを合わせた 51 か国が原加盟国です。
1944 年、アメリカ・イギリス・ソ連・中国が国際連合憲章の原案をまとめた会議は?
ダンバートン・オークス会議
これをもとに、翌年のサンフランシスコ会議で国際連合憲章が作られた。
国際連合憲章が署名されたのは、いつ、どこか?
1945 年 6 月、サンフランシスコ(サンフランシスコ会議)
大戦がまだ終わっていないうちに、連合国の代表が集まって署名した。
国際連合が正式に発足した日は?
1945 年 10 月 24 日
主要な国々と署名国の過半数が批准して憲章が発効した日。現在も「国連デー」とされている。
国際連合の安全保障理事会で、常任理事国となった 5 か国は?
アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国
発足時の中国の代表権は中華民国が持っていた(1971 年に中華人民共和国へ移る)。ソ連の地位は、のちにロシアが引き継いだ。
安全保障理事会で、常任理事国が 1 か国でも反対すると実質的な事項が決まらないしくみを何という?
拒否権(大国一致の原則)
大国が協調して平和を守ることを前提にしたしくみ。冷戦が始まると米ソが拒否権を使い合い、安保理はしばしば動けなくなった。
国際連盟と比べたとき、国際連合が平和を守る手段として新たに持ったものは?
安全保障理事会の決定による軍事的な措置(国際連盟の制裁は経済制裁にとどまった)
総会の議決も、国際連盟の全会一致から多数決に改められた。
日本が国際連合に加盟したのはいつか?
1956 年 12 月
それまではソ連の拒否権で加盟が阻まれていた。同年 10 月の日ソ共同宣言でソ連と国交を回復し、加盟が実現した。
2. 戦後の国際経済体制
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(3)-ア-(イ)
1930 年代、世界恐慌のなかで各国は自国の通貨を切り下げ、高い関税で自国と植民地の市場を囲い込みました。
この経済の対立が戦争の一因になったという反省から、アメリカを中心に、自由な貿易と安定した通貨を支える国際経済体制が作られました。
1944 年、連合国の代表がアメリカに集まり、戦後の国際通貨と金融のしくみを決めた会議は?
ブレトン・ウッズ会議
ここで決まった体制をブレトン・ウッズ体制という。
ブレトン・ウッズ会議で設立が決まり、為替の安定と、国際収支が赤字になった国への短期の資金の貸し出しを役割とした機関は?
国際通貨基金(IMF)
各国の通貨の交換比率を固定し、通貨の切り下げ競争を防ぐことがねらいだった。
ブレトン・ウッズ会議で設立が決まり、戦争で荒れた国の復興と発展途上国の開発に長期の資金を貸す機関は?
国際復興開発銀行(IBRD)(世界銀行)
IMF が短期の資金、世界銀行が長期の資金、と役割を分けている。
ブレトン・ウッズ体制で、各国の通貨の基準とされた通貨は?
アメリカのドル(金と一定の比率で交換できるドルを軸にした固定相場制)
金 1 オンスを 35 ドルと定めた。圧倒的な経済力と金の保有を持つアメリカが体制の中心になった。
1947 年に結ばれ、関税を引き下げて自由で差別のない貿易を広げることをめざした協定は?
関税及び貿易に関する一般協定(GATT)
のちの 1995 年に、常設の機関である世界貿易機関(WTO)へ引き継がれた。
1949 年に定められ、占領下の日本の通貨と国際経済を結びつけた為替の比率は?
1 ドル 360 円の単一為替レート
これで日本の貿易は国際経済の固定相場制に組み込まれた。1971 年まで続いた。