冷戦の始まりとアジア諸国の動向
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「歴史総合」C (3) ア (イ) の「冷戦の始まりとアジア諸国の動向」を扱います。
内容の取扱いは、戦後の国際政治では冷戦と植民地の独立の動向が相互に関連していたことに触れるよう求めています。
0. 何を押さえるか
大戦が終わると、アメリカを中心とする資本主義の西側陣営と、ソ連を中心とする社会主義の東側陣営が対立しました。
直接の大きな戦争には至らなかったので冷戦と呼ばれます。ヨーロッパでは東西の分断として、アジアでは独立したばかりの国々の内戦や分断として表れました。
| 西側(アメリカ中心) | 東側(ソ連中心) | |
|---|---|---|
| 対抗の方針 | トルーマン・ドクトリン(1947 年、封じ込め) | コミンフォルム(1947 年、共産党の連絡組織) |
| 経済 | マーシャル・プラン(1947 年) | 経済相互援助会議(コメコン、1949 年) |
| 軍事 | 北大西洋条約機構(NATO、1949 年) | ワルシャワ条約機構(1955 年) |
| ドイツ | ドイツ連邦共和国(西ドイツ、1949 年) | ドイツ民主共和国(東ドイツ、1949 年) |
アジアでは、独立と冷戦が次のように重なりました。
- 中国は国民党と共産党の内戦のすえ、1949 年に中華人民共和国が成立し、国民党は台湾へ逃れた
- 朝鮮は北緯 38 度線を境に米ソが分割占領し、1948 年に南北 2 つの国が生まれ、1950 年に朝鮮戦争が起きた
- ベトナムは独立を宣言したがフランスが認めず、独立の戦争が東西の対立に組み込まれた
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- トルーマン・ドクトリンは軍事・経済の援助で共産主義を封じ込める方針、マーシャル・プランはヨーロッパの経済復興の援助。どちらも 1947 年
- 朝鮮戦争の「国連軍」はアメリカ軍が主力。安保理がソ連の欠席中に決議したので派遣できた。北朝鮮側には中国の人民義勇軍が加わった
- インドは 1947 年に独立したとき、ヒンドゥー教徒が多いインドとイスラーム教徒が多いパキスタンに分かれた
1. ヨーロッパでの冷戦の始まり
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(3)-ア-(イ)
ソ連は大戦の末期にドイツから解放した東ヨーロッパの国々に、共産党が主導する政権を次々に立てました。
アメリカはこれを共産主義の拡大とみて、援助と同盟で対抗します。
1946 年、イギリスのチャーチル前首相が、ソ連の勢力圏とされたヨーロッパ東部の閉ざされたようすをたとえた言葉は?
「鉄のカーテン」
バルト海からアドリア海まで鉄のカーテンが下ろされている、と演説した。
1947 年、アメリカのトルーマン大統領が、ギリシアとトルコへの援助を通じて共産主義の拡大を防ぐと表明した方針は?
トルーマン・ドクトリン(封じ込め政策)
ここからアメリカは、世界各地で共産主義の拡大を封じ込める政策をとった。
1947 年にアメリカが発表した、ヨーロッパの経済復興を援助する計画は?
マーシャル・プラン(ヨーロッパ経済復興援助計画)
ソ連と東欧の国々は受け入れを拒み、ヨーロッパの東西の分断がはっきりした。
1948 年、ソ連が西側の占領地区と西ベルリンを結ぶ交通を断ち切った出来事は?
ベルリン封鎖
アメリカ・イギリスは西ベルリンへ空から物資を運び続けた(空輸)。翌 1949 年、ドイツは東西 2 つの国に分かれた。
1949 年、アメリカと西ヨーロッパの国々が結成した軍事同盟は?
北大西洋条約機構(NATO)
同じ 1949 年にソ連が原子爆弾の実験に成功し、アメリカによる核の独占が終わった。
2. 東アジアの革命と分断
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(3)-ア-(イ)
日本の敗戦後、東アジアでは日本の支配や占領が退いたあとの主導権をめぐって争いが起こり、そこに米ソが関わりました。
1949 年 10 月に成立した、毛沢東を主席とする国家は?
中華人民共和国
国民党と共産党の内戦(国共内戦)に共産党が勝って成立した。翌 1950 年にはソ連と中ソ友好同盟相互援助条約を結んだ。
国共内戦に敗れた蔣介石の国民党政府(中華民国)が逃れた先は?
台湾
アメリカは台湾の中華民国を支持し続け、国連の中国代表権も 1971 年まで中華民国が持った。
日本の敗戦後、朝鮮半島を北はソ連、南はアメリカが分割して占領したときの境界線は?
北緯 38 度線
1948 年、南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国が成立し、分断が固まった。
1950 年、北朝鮮が韓国に侵攻して始まった戦争で、韓国を支援するために派遣された、アメリカ軍を主力とする軍は?
国連軍
安全保障理事会はソ連が欠席している間に北朝鮮の行動を「平和の破壊」と認定し、加盟国に韓国への援助を勧告した。北朝鮮側には中国の人民義勇軍が加わった。
朝鮮戦争の休戦協定が結ばれたのはいつか?
1953 年(板門店で調印)
休戦であって平和条約は結ばれておらず、南北の分断は今も続いている。
3. 植民地の独立と冷戦
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(3)-ア-(イ)
大戦が終わると、アジアの植民地は次々に独立しました。しかし独立の過程では、旧宗主国との戦争や、国内の東西どちらにつくかの争いが起こり、
冷戦と植民地の独立の動向は切り離せないものになりました。
1947 年にイギリスから独立したとき、宗教の違いから南アジアの植民地が分かれてできた 2 つの国は?
インドとパキスタン
ヒンドゥー教徒が多いインドと、イスラーム教徒が多いパキスタンに分かれた。インドの初代首相はネルー。
1945 年にスカルノが独立を宣言し、旧宗主国オランダとの戦争を経て独立を認めさせた国は?
インドネシア
オランダが独立を認めたのは 1949 年。
1946 年、ベトナム民主共和国の独立を認めないフランスとの間で始まった戦争は?
インドシナ戦争
1954 年のジュネーヴ休戦協定で終わったが、ベトナムは北緯 17 度線で南北に分けられ、のちのベトナム戦争につながった。