世界恐慌とファシズム
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「歴史総合」C (3) ア (ア) の「世界恐慌,ファシズムの伸張,日本の対外政策などを基に,国際協調体制の動揺を理解すること」のうち、
世界恐慌とファシズムの側を扱います。内容の取扱いは、世界恐慌による混乱、国際協調を基調とするこれまでの国際秩序の変容、当時の政治制度の特性や国際情勢に触れるよう求めています。
日本の対外政策(満州事変から日中戦争へ)は、このフォルダの「満州事変から日中戦争へ」で扱います。
0. 何を押さえるか
1929 年にアメリカで始まった世界恐慌は、アメリカの資金に支えられていた世界経済を連鎖的に落ち込ませました。
各国は自国の経済を守ることを優先し、恐慌への対応の違いが国の進路を分けました。
経済の基盤が弱く、ヴェルサイユ体制に不満を持っていた国では、議会政治を否定するファシズムが支持を集め、
1920 年代に築かれた国際協調体制の動揺が始まります。
| 国 | 恐慌への対応 | その後 |
|---|---|---|
| アメリカ | ニューディール(政府が経済に積極的に介入) | 議会政治を保つ |
| イギリス・フランス | ブロック経済(本国と植民地で囲い込む) | 議会政治を保つ |
| ソ連 | 五か年計画を進めていて、恐慌の影響をほとんど受けない | スターリンの独裁 |
| ドイツ・イタリア | 植民地が少なく、対外進出と軍備拡張に活路を求める | ファシズムの一党独裁 |
| 日本 | 昭和恐慌のあと、金輸出再禁止と軍需で回復 | 満州事変から軍部の発言力が強まる |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- ファシズムは選挙を通じて力を伸ばした。ナチ党はクーデタでなく、選挙で第一党になって政権を得た。大衆社会の宣伝と動員が、そのまま独裁の道具になった
- ソ連は世界恐慌の影響をほとんど受けなかった。計画経済で市場から切り離されていたため
- ブロック経済は「持てる国」の対策。広い植民地を持つイギリス・フランスはブロックで囲い込めたが、持たない国は対外進出に向かい、国際対立が深まった
1. 世界恐慌と各国の対応
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(3)-ア-(ア)
1920 年代のアメリカの繁栄は、生産が消費を上回る過剰生産と、株式への投機に支えられていました。
アメリカの資金がドイツの賠償支払いを通じてイギリス・フランスへ流れるしくみがあったため、アメリカの落ち込みはヨーロッパにそのまま伝わりました。
世界恐慌のきっかけとなった、1929 年 10 月の出来事は?
ニューヨーク株式市場(ウォール街)での株価の暴落
企業や銀行の倒産が相次ぎ、アメリカから世界へ広がった。
アメリカのフランクリン・ローズヴェルト大統領が 1933 年から進めた、政府が経済に積極的に介入して恐慌を克服しようとした政策は?
ニューディール
テネシー川流域開発公社(TVA)などの公共事業で雇用を生み、労働者の団結権を認めた。それまでの自由放任の経済から転換した。
イギリスやフランスが、本国と植民地などで経済圏をつくり、外国の商品に高い関税をかけて締め出した政策を何という?
ブロック経済
イギリスは 1932 年のオタワ連邦会議で、イギリス連邦内の特恵関税を定めた(スターリング・ブロック)。世界の貿易が縮み、植民地の少ない国は苦しくなった。
世界恐慌の時期に、ソ連が恐慌の影響をほとんど受けなかったのはなぜか?
五か年計画による計画経済を進めていて、資本主義の世界市場から切り離されていたから
工業化の成果は宣伝されたが、その裏で農業集団化の強制やスターリンの粛清が進んだ。
世界恐慌が日本に波及して起きた 1930 年からの深刻な不況を何という?
昭和恐慌
浜口雄幸内閣が金解禁(金輸出の解禁)を行った直後に世界恐慌が重なり、生糸の輸出が落ち込んで農村が特に苦しんだ。
昭和恐慌のあと、1931 年に金輸出を再び禁止し、円安のもとで輸出を伸ばして景気を回復させた大蔵大臣は?
高橋是清
軍事費の拡大も景気を押し上げ、日本は列強の中で早く恐慌から抜け出した。
2. ファシズムの伸張
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(3)-ア-(ア)
ヴェルサイユ体制に不満を持つ国々では、議会政治が恐慌に対応できないと見た人々が、強い指導者を求めました。
ファシズムは、大衆社会のマスメディアや大衆集会を使って支持を集めたところに特徴があります。
個人の自由や議会制民主主義を否定し、一党独裁のもとで国家や民族の利益を最優先して国民を動員する政治のあり方を何という?
ファシズム(全体主義)
共産主義にも強く反対した。イタリアのファシスト党の名から来ている。
1922 年に「ローマ進軍」で政権を握り、イタリアでファシスト党の一党独裁を築いた人物は?
ムッソリーニ
世界恐慌後は対外進出に活路を求め、1935 年にエチオピアに侵攻した。
第一次世界大戦後のドイツで制定され、男女平等の普通選挙や社会権(生存権)を定めた憲法は?
ヴァイマル憲法
当時もっとも民主的な憲法とされたが、世界恐慌後の混乱の中で議会が機能しなくなり、大統領の緊急令で政治が行われるようになった。
ヒトラーが率いたナチ党は、どのようにして 1933 年に政権を得たか?
選挙で国会の第一党となり、ヒトラーが首相に任命された
その後、全権委任法で議会の立法権を政府に移させ、ほかの政党を解散させて一党独裁を築いた。
3. 国際協調体制の動揺
根拠: 学習指導要領 歴史総合-C-(3)-ア-(ア)
1930 年代、国際連盟の常任理事国だった日本・ドイツ・イタリアが相次いで連盟を離れ、ヴェルサイユ体制とワシントン体制は崩れていきました。
国際連盟は大国の侵略を止める力を持っていませんでした。
1933 年に国際連盟を脱退した国を 2 つ挙げると?
日本とドイツ
日本は満州国を認めない勧告の採択に反発して、ドイツは軍備の平等が認められないとして脱退した。イタリアはエチオピア侵攻への制裁ののち 1937 年に脱退した。
1935 年にドイツが宣言した、ヴェルサイユ条約の軍備制限を破る政策は?
再軍備(徴兵制の復活)
翌 1936 年には、条約で非武装とされたラインラントに軍を進めた。イギリス・フランスはこれを強く止めなかった。
1936 年に日本とドイツが結び、翌年イタリアも加わった、共産主義の国際組織への対抗を掲げた協定は?
日独伊防共協定(1936 年は日独防共協定)
ソ連とコミンテルンに対抗する名目で、国際協調体制から離れた 3 国が結びついた。のちの三国同盟につながる。