飢饉と百姓一揆・打ちこわし
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」C (3) ア (イ) の、飢饉や一揆の発生、幕府政治の動揺などを基に幕藩体制の変容を理解する事項に当たります。
村と都市の人々が領主や商人にどう抵抗したか、その形が時代とともにどう変わったかを扱います。
0. 何を押さえるか
江戸時代には冷害や虫害などによる大きな飢饉がくり返し起き、そのたびに農村では百姓一揆、都市では打ちこわしが増えました。
一揆の形は、村の代表が訴える形から、村の百姓全体、さらに藩全体が立ち上がる形へと広がっていきます。
| 飢饉 | 時期 | 主な原因 | その後の動き |
|---|---|---|---|
| 享保の飢饉 | 1732 年 | 西日本のいなご・うんかなどの虫害 | 翌 1733 年、江戸で初めての打ちこわし |
| 天明の飢饉 | 1782〜1787 年ごろ | 冷害、1783 年の浅間山の噴火 | 1787 年、江戸・大坂などで打ちこわし → 田沼の失脚後に寛政の改革 |
| 天保の飢饉 | 1833〜1839 年ごろ | 冷害などによる全国的な凶作 | 郡内騒動・加茂一揆、1837 年に大塩平八郎の乱 → 天保の改革 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 百姓一揆は農村で領主に対して、打ちこわしは主に都市で米屋や商人に対して起きた。相手と場所が違う
- 一揆の形は、代表越訴型一揆 → 惣百姓一揆 → 世直し一揆の順に移った
- 大塩平八郎は元大坂町奉行所の与力で陽明学者。百姓ではなく元役人が幕府の直轄都市で兵を挙げたことが衝撃だった
1. 三大飢饉
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
飢饉は天候不順だけでなく、年貢の取り立てや商品作物の栽培で米の蓄えが乏しくなっていたことでも被害が大きくなりました。
天明の飢饉では東北地方を中心に多くの餓死者が出たとされます(数は史料によって幅がある)。
1732 年、西日本を中心にいなごやうんかの大発生で起きた飢饉は?
享保の飢饉
米価が急に上がり、翌年、江戸で米を買い占めたとされた米問屋が打ちこわされた。
天明の飢饉を深刻にした、1783 年の自然災害は?
浅間山の噴火
冷害に加えて火山灰が広い範囲に降り、東北地方を中心に大きな被害が出た。
天明の飢饉のあと 1787 年に江戸・大坂などで打ちこわしが起きたことは、幕府の政治にどう影響したか?
田沼派が政治から退き、松平定信が老中になって寛政の改革が始まった
都市の民衆の動きが、幕府の人事を動かすほどの力を持つようになった。
2. 百姓一揆の形の移り変わり
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
一揆は、年貢の減免や不正な役人の交代などを求める百姓の集団行動でした。
村の中でも、豊かになった百姓と土地を失った百姓の差が広がり、村のなかの争いも増えます。
17 世紀後半に多かった、村の代表が百姓に代わって領主の上位の者に直訴する一揆の形は?
代表越訴型一揆
直訴は禁じられていたので、代表者は処刑されることが多かった。下総の佐倉惣五郎は義民として語り伝えられた。
17 世紀末から広がった、村の百姓全体が団結して領主に要求をぶつける一揆の形は?
惣百姓一揆
規模が大きくなると、藩の領地全体に及ぶ全藩一揆に発展することもあった。
一揆の参加者が円い形に名前を書き連ねた「傘連判状」には、どんなねらいがあったか?
誰が首謀者か分からないようにし、参加者が対等に責任を負うことを示すため
一揆の指導者は厳しく処罰されたため、それを避ける工夫だった。
村の中で、小百姓らが村役人の不正や村の運営を追及して争ったことを何という?
村方騒動
商品作物の生産や質入れで土地を集めた豪農と、土地を失い小作人となった者との差が開いたことが背景にある。
19 世紀前半、摂津・河内などの村々が団結し、大坂の株仲間による綿や菜種の取引の独占に反対して合法的に訴えた運動は?
国訴
一揆とは違い、訴訟の形で広い範囲の村々が連合した。農村の商品生産が伸びていたことを示す。
幕末に多発した、世の中の立て直しを掲げ、貧しい農民が豪農や村役人などを襲った一揆を何という?
世直し一揆
村の中の貧富の差が広がったことを背景に、一揆の相手が領主から村の有力者へと広がった。
3. 天保の飢饉と大塩平八郎の乱
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
天保の飢饉では、各地で大規模な一揆や打ちこわしが起こり、幕府政治の動揺があらわになりました。
1836 年に甲斐で起きた郡内騒動と、三河で起きた加茂一揆に共通する背景は?
天保の飢饉による米価の高騰と生活の困窮
いずれも参加者が万単位に及んだとされる大規模な一揆で、幕府は衝撃を受けた。
1837 年、大坂で貧民の救済を掲げて兵を挙げた大塩平八郎は、どんな立場の人物か?
元大坂町奉行所の与力で、陽明学者
飢饉のなかで救済策をとらない奉行所や、米を買い占める大商人に反発した。乱は 1 日で鎮圧された。
大塩平八郎の乱が幕府や諸藩に大きな衝撃を与えたのはなぜか?
幕府の直轄都市である大坂で、もと幕府の役人が武力で反乱を起こしたから
同じ年、越後柏崎では国学者の生田万が大塩の門弟と名のって陣屋を襲った。