天保の改革と諸藩の藩政改革
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」C (3) ア (イ) の、幕府政治の動揺と諸藩の動向などを基に、幕藩体制の変容と近代化の基盤の形成を理解する事項に当たります。
19 世紀前半、幕府の改革が失敗する一方で、財政を立て直した藩が力をつけていく流れを扱います。
0. 何を押さえるか
天保の飢饉と大塩平八郎の乱のあと、老中水野忠邦は享保・寛政の改革を手本に幕府を立て直そうとしましたが、2 年余りで失敗しました。
同じころ、薩摩・長州・肥前などの諸藩は、下級武士を登用し、専売や貿易で財政を立て直して「雄藩」となり、幕末の政治を動かす力を持ちます。
幕府が弱まり藩が力をつけたことは、幕藩体制の変容そのものでした。
| 中心人物 | 主な政策 | 結果 | |
|---|---|---|---|
| 幕府(天保の改革) | 老中水野忠邦(12 代家慶) | 倹約令・風俗取締、株仲間の解散、人返しの法、上知令 | 上知令の撤回で失脚。幕府の力の衰えが明らかに |
| 薩摩藩 | 調所広郷 | 借財の整理、黒砂糖の専売の強化、琉球を通じた貿易 | 財政を立て直す |
| 長州藩 | 村田清風 | 借財の整理、越荷方の設置 | 財政を立て直す |
| 肥前(佐賀)藩 | 藩主鍋島直正 | 均田制、陶磁器の専売、反射炉の築造 | 洋式の軍事工業を進める |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 株仲間の解散は、物価を下げるために流通の独占を崩そうとした政策。かえって流通が混乱し、物価は下がらなかった
- 上知令は江戸・大坂周辺の土地を幕府の直轄にしようとした法令。大名・旗本の反対で撤回され、水野忠邦の失脚につながった
- 藩政改革が成功した藩は、年貢を増やすより、専売や貿易で商品の利益をつかんだ。幕府の改革とは財源の求め方が違う
1. 天保の改革の政策
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
1841 年、大御所として実権を握っていた家斉が死ぬと、水野忠邦は改革に着手しました。
倹約と風俗の取締り、物価の引き下げ、農村の人手の回復をねらいます。
対外面では、1842 年に外国船に燃料や水を与えて帰らせる天保の薪水給与令も出しました。
天保の改革の倹約・風俗取締で処罰された、人情本の作者と合巻の作者はそれぞれ誰?
人情本=為永春水、合巻=柳亭種彦
江戸の芝居小屋も町はずれの浅草に移された。庶民の娯楽まで細かく締めつけた。
水野忠邦が株仲間の解散を命じたのはなぜか?
株仲間が流通を独占して物価をつり上げていると考えたから
実際には、商品を大坂から江戸へ運ぶ流通の仕組みそのものが崩れ、かえって混乱した。株仲間はのちに再興が認められた。
1843 年、江戸に流れ込んだ貧しい農民を強制的に村へ帰らせた法令は?
人返しの法
寛政の改革の旧里帰農令が奨励だったのに対し、こちらは強制だった。
2. 上知令と天保の改革の失敗
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
水野忠邦は、幕府の財政と海防の強化のために、江戸・大坂周辺の土地を直接支配しようとしました。
その結果は、幕府の命令が大名や旗本の反対で覆るという、幕府政治の動揺を示すものになりました。
1843 年、水野忠邦が江戸・大坂周辺の大名・旗本の領地を幕府の直轄地にしようとした法令は?
上知令
大名・旗本の強い反対で撤回され、水野忠邦は老中を退いた。
上知令の撤回は、幕府の力について何を示したか?
幕府が大名・旗本の反対を押し切って命令を実行できなくなっていたこと
その少し前、川越・庄内・長岡の 3 藩の領地を入れ替える三方領知替えも、反対を受けて撤回されていた。
天保の改革が失敗した理由を、享保の改革と比べてまとめると?
商品経済が広がった社会で、昔の改革の手本どおりの統制と倹約を押しつけ、大名・旗本や民衆の反発を招いたから
享保のころに比べ、産業の発達で流通の仕組みは複雑になり、幕府の命令だけでは動かせなくなっていた。
3. 薩摩藩と長州藩の改革
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
諸藩もまた財政難に苦しんでいました。そのなかで、身分の低い武士を抜てきして大胆な改革を行った藩が成果をあげます。
薩摩藩で藩政改革を進め、多額の借財の整理や黒砂糖の専売の強化で財政を立て直した人物は?
調所広郷
奄美諸島の黒砂糖の専売を強め、琉球を通じた中国との貿易でも利益をあげた。借財は長期の分割払いにして事実上切り捨てた。
長州藩で村田清風が設けた越荷方とは、何をする役所か?
下関に入る他国の船の積荷(越荷)を買い取ったり、それを担保に金を貸したりして利益をあげる役所
下関が西廻り海運の要所であることを生かした。
薩摩藩で、幕末に藩主島津斉彬が鹿児島に築いた洋式の工場群は?
集成館
反射炉や造船所、ガラスの製造所などを備えた。
4. 雄藩の台頭と近代化の基盤
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
藩政改革は 18 世紀後半から各地で始まっていました。天保期に改革に成功した藩は、洋式の技術を取り入れて軍事力を高めました。
こうした藩の力と技術の蓄えは、幕末の政治の担い手と、明治以降の近代化の基盤になっていきます。
18 世紀後半、米沢藩で倹約と殖産興業を進め、藩校興譲館を再興した藩主は?
上杉治憲(鷹山)
同じころ熊本藩の細川重賢、秋田藩の佐竹義和も、藩校を整え特産物の生産を奨励する改革を行った。
肥前(佐賀)藩主鍋島直正が進めた改革の特徴は?
均田制で本百姓を立て直し、陶磁器の専売で収入を得て、反射炉を築き大砲を造った
反射炉は鉄を溶かして質のよい大砲をつくるための炉で、肥前藩のものが国内で早い例とされる。
藩政改革に成功し、幕末の政治に大きな発言力を持つようになった藩を何という?
雄藩
薩摩・長州・土佐・肥前などが代表。成功の鍵は、下級武士の登用と、専売・貿易による財源の確保、洋式の軍事力の導入だった。