江戸時代の学問と思想
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」C (3) ア (イ) の、学問・思想の展開などを基に、幕藩体制の変容と近代化の基盤の形成を理解する事項に当たります。
朱子学を出発点に、それを批判する儒学、日本の古典に帰る国学、西洋の学術を学ぶ蘭学が生まれ、教育が身分をこえて広がっていきました。
0. 何を押さえるか
江戸時代の学問・思想の展開は、「何を手がかりに真理や正しいあり方を求めたか」で分けると整理できます。
| 学派 | 手がかり | 主な人物 |
|---|---|---|
| 朱子学 | 宋の朱熹の解釈した儒学(上下の秩序を重んじる) | 林羅山、木下順庵、新井白石 |
| 陽明学 | 知ることと行うことを一つとみる(知行合一) | 中江藤樹、熊沢蕃山、大塩平八郎 |
| 古学 | 朱子学などの後世の解釈を退け、孔子・孟子の原典に帰る | 山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠 |
| 国学 | 儒教・仏教が伝わる前の日本の古典に帰る | 賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤 |
| 蘭学(洋学) | オランダ語を通じて西洋の学術を学ぶ | 前野良沢・杉田玄白、大槻玄沢、伊能忠敬 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 古学は儒学の一派、国学は儒学を「漢意」として退ける学問。どちらも「古」に帰るが、帰る先が違う
- 『解体新書』の訳者は前野良沢・杉田玄白ら、『蘭学事始』は杉田玄白の回想
- 藩校は藩士の子弟の学校、寺子屋は庶民の子の学校。庶民向けの郷学や、身分を問わない私塾もあった
1. 儒学の諸派と経世論
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
幕府の保護を受けた朱子学に対し、実践を重んじる陽明学や、原典に帰ろうとする古学が生まれました。
18 世紀には、社会の行き詰まりを経済の面から立て直そうとする経世論も盛んになります。
「近江聖人」と呼ばれ、日本の陽明学の祖とされる人物は?
中江藤樹
弟子の熊沢蕃山は岡山藩主池田光政に仕えたが、のちに著作で幕府の政治を批判したとして処罰された。
『聖教要録』で朱子学を批判し、赤穂に流された古学の学者は?
山鹿素行
幕府が保護する朱子学を正面から批判したことが処罰の理由だった。
京都の堀川に古義堂を開き、『論語』『孟子』の本来の意味を求めた古学の学者は?
伊藤仁斎
その学派は古義学(堀川学派)と呼ばれる。
古文辞学を唱え、将軍吉宗の諮問に答えて『政談』を著した儒学者は?
荻生徂徠
武士を城下町から農村に土着させるべきだと説くなど、政治や経済を論じる経世論の先がけとなった。弟子の太宰春台は藩の専売で利益をあげることを説いた。
京都の町人に、商業の利益を得ることも正しい道だと説いた心学(石門心学)の創始者は?
石田梅岩
儒教・仏教・神道をあわせて、正直・倹約など町人の生き方を平易に教えた。
2. 国学と尊王論
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
『万葉集』や『古事記』などの古典の研究から、日本古来の心を探る国学が生まれました。
のちには天皇を尊ぶ考えと結びつき、幕末の思想に影響します。
『古事記伝』を著し、日本古来の心を「もののあはれ」に見て国学を大成した人物は?
本居宣長
儒教・仏教の考え方を「漢意(からごころ)」として退けた。賀茂真淵に学んだ。
本居宣長の死後に国学を学び、復古神道を唱えて幕末の尊王攘夷の思想に影響を与えた人物は?
平田篤胤
その教えは地方の豪農や神職などに広がった。
水戸藩で編纂が始まった『大日本史』を通じて生まれ、天皇を尊ぶ考えを説いた学問を何という?
水戸学
藩主徳川光圀が編纂を始めた。19 世紀の後期水戸学は、会沢安(正志斎)らが尊王攘夷論を説いた。
3. 蘭学と洋学
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
吉宗の漢訳洋書の輸入制限の緩和をきっかけに、オランダ語で西洋の学術を学ぶ蘭学が起こりました。
医学から始まり、天文・地理・物理などへ広がって、のちの近代化の基盤となる知識を蓄えます。
1774 年、前野良沢・杉田玄白らが西洋の解剖書を翻訳して刊行した書物は?
『解体新書』
もとの本は『ターヘル=アナトミア』と呼ばれた。実際の解剖に立ち会い、図の正確さに驚いたことが翻訳のきっかけだった。
江戸に芝蘭堂を開いて多くの蘭学者を育て、入門書『蘭学階梯』を著した人物は?
大槻玄沢
同じころ稲村三伯が蘭日辞書『ハルマ和解』をつくり、オランダ語の学習が進んだ。
幕府の命で全国の沿岸を実測し、正確な日本地図をつくった人物は?
伊能忠敬
その成果は死後に「大日本沿海輿地全図」としてまとめられた。幕府は天文方に蛮書和解御用を置き、洋書の翻訳にも取り組んだ。
4. 教育の広がり
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
藩は藩士の子弟のために藩校を設け、庶民の子は寺子屋で読み書きを学びました。
身分をこえて学べる私塾もでき、読み書きのできる人の多さは、明治以降の近代化を支えました。
庶民の子どもが読み・書き・そろばんを学んだ、各地の民間の教育施設は?
寺子屋
教科書には往来物と呼ばれる手紙の文例集などが使われた。
岡山藩主池田光政が設け、藩士だけでなく庶民の子弟も学べた郷学は?
閑谷学校
藩校は藩士の子弟を教える学校で、米沢藩の興譲館、熊本藩の時習館などがある。
大坂の町人が出資して設けた学問所で、富永仲基や山片蟠桃らを生んだのは?
懐徳堂
町人が自分たちの手で学問を支えたことを示す。ほかに長崎でシーボルトが開いた鳴滝塾、大坂で緒方洪庵が開いた適塾などの私塾もあった。