みならいノート

日本史探究 2027年度版

軍部の台頭と政党政治の終わり

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このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。

学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (ウ) のうち、軍部の台頭を扱います。
恐慌と満州事変のなかで、政党や財閥を倒して国家を造り変えようとする動きが軍人や右翼に広がり、テロとクーデタが続きました。1932 年に政党内閣が途絶え、1936 年の二・二六事件のあとは軍部が政治への発言力を決定的に強めます。

0. 何を押さえるか

3 つの事件は、年・実行した者・結果で区別します。

事件 年 中心になった者 結果
五・一五事件 1932 海軍の青年将校ら 犬養毅首相が殺害され、政党内閣が終わる
天皇機関説事件 1935 (議会・軍・右翼による攻撃) 政府が国体明徴声明を出し、機関説を否定
二・二六事件 1936 陸軍の皇道派の青年将校ら 鎮圧後、統制派が主導権を握り軍の発言力が増す

取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。

1. 政党政治への不満と国家改造運動

根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ウ)

1924 年から、衆議院の多数党が内閣を組織する「憲政の常道」が続いていました。しかし恐慌への無策や汚職事件で、政党と財閥への反感が強まります。

1932 年、井上日召が率いる右翼の団体が、前蔵相の井上準之助と三井合名会社理事長の団琢磨を暗殺した事件は?

血盟団事件

「一人一殺」を掲げ、政党や財閥の指導者をねらった。

1931 年、陸軍の青年将校の結社である桜会が、軍部による政権樹立をめざして計画した未遂のクーデタを 2 つ挙げよ。

三月事件と十月事件

どちらも実行前に発覚したが、関係者への処分は軽かった。軍内部の国家改造の動きはその後も続いた。

2. 五・一五事件と挙国一致内閣

根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ウ)

満州国の承認をめぐって犬養毅首相が慎重な姿勢をとるなか、海軍の青年将校らが首相官邸を襲いました。

1932 年 5 月 15 日、海軍の青年将校らが首相官邸などを襲い、犬養毅首相を殺害した事件は?

五・一五事件

陸軍士官学校の生徒や農本主義者も加わった。事件後、実行者への減刑を求める運動が国民の間に広がった。

五・一五事件のあと、元老の西園寺公望が推薦して成立した、海軍大将を首相とする内閣は?

斎藤実内閣

政党からも閣僚を入れた挙国一致内閣。これで 1924 年から続いた政党内閣は途絶え、戦前に政党内閣が復活することはなかった。

1933 年、京都帝国大学の刑法学者の学説が危険思想とされ、休職処分を受けた事件は?

滝川事件

処分したのは斎藤実内閣の鳩山一郎文相。大学の自治と学問の自由が侵された事件として、教授らが抗議して辞職した。

3. 天皇機関説事件

根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ウ)

大正期から憲法学の通説だった天皇機関説が、1935 年に一転して排撃されます。

天皇機関説とは、どのような学説か?

統治権は法人としての国家にあり、天皇はその国家の最高機関として統治権を行使する

天皇の権力も憲法に従って行使されるとする考えで、政党内閣を支える理論にもなっていた。

1935 年、貴族院で天皇機関説が反国体的だと攻撃され、議員の辞職に追い込まれた憲法学者は?

美濃部達吉

著書は発売禁止になった。軍部や右翼、野党の立憲政友会が、岡田啓介内閣を攻撃する材料にした。

天皇機関説事件で岡田啓介内閣が出した、天皇機関説を否定し、日本は天皇が統治する国だと宣言した声明は?

国体明徴声明

政府が学説の正否を声明で決めたことで、政党内閣を支えた理論は公に否定された。

4. 二・二六事件とその後

根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ウ)

陸軍の内部では、天皇中心の国家改造を直接行動でめざす皇道派と、軍の統制のもとで総力戦体制をつくろうとする統制派が対立していました。

1936 年 2 月 26 日、陸軍の青年将校らが部隊を率いて首相官邸などを襲い、斎藤実内大臣や高橋是清蔵相を殺害した事件は?

二・二六事件

首都の中心部を一時占拠したが、戒厳令が出され、昭和天皇が厳しい処置を求めたこともあって反乱軍として鎮圧された。

二・二六事件を起こした青年将校らが属した陸軍の派閥と、その思想に影響を与え、事件後に処刑された人物は?

皇道派、北一輝

北一輝は『日本改造法案大綱』を著した。事件後は皇道派が排除され、統制派が陸軍の主導権を握った。

二・二六事件のあと成立した広田弘毅内閣が復活させ、軍部が内閣の成立や存続を左右できるようにした制度は?

軍部大臣現役武官制

陸軍・海軍大臣を現役の大将・中将に限る制度で、軍が大臣を出さなければ内閣は組織できない。

二・二六事件はなぜ「鎮圧されたのに軍部の台頭を早めた」と言われるのか?

軍が再発の恐れを背景に政治に強く介入するようになり、政党も財界もそれに逆らえなくなったから

広田弘毅内閣は軍の要求を受け入れて軍備の拡張を進め、1936 年には日独防共協定を結んだ。

このノートの 12 問を、暗記カードで復習できます

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答えを隠して出題し、忘れそうなころにもう一度出します。

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