日中戦争と戦時体制
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (ウ) のうち、戦時体制の強化を扱います。
1937 年に始まった日中戦争は長期化し、政府は議会の手を経ずに人や物資を動員できるしくみを整えました。経済も国民の暮らしも、戦争のために統制されていきます。
0. 何を押さえるか
戦時体制は、法律・経済・政治の組織の 3 方向から固められました。
| 分野 | 主なしくみ | 年 |
|---|---|---|
| 法律 | 国家総動員法 | 1938 |
| 動員 | 国民徴用令(国家総動員法にもとづく勅令) | 1939 |
| 物価・物資 | 価格等統制令、切符制・配給制 | 1939〜1941 |
| 政治の組織 | 大政翼賛会(新体制運動) | 1940 |
| 労働の組織 | 大日本産業報国会 | 1940 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 国家総動員法は、議会の承認なしに勅令で人や物資を動員できることが要点。議会の力は大きく損なわれた
- 大政翼賛会は政党ではない。各政党が解散して合流した、首相を総裁とする上意下達の組織
- 盧溝橋事件は 1937 年 7 月、国家総動員法は 1938 年、大政翼賛会は 1940 年。いずれも近衛文麿内閣のとき
1. 盧溝橋事件と全面戦争
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ウ)
満州事変のあとも、日本軍は華北を国民政府から切り離す工作を進めていました。中国では抗日の気運が高まり、1936 年の西安事件をへて国民党と共産党が歩み寄ります。
1937 年 7 月 7 日、北京郊外で日本軍と中国軍が衝突し、日中戦争の始まりとなった事件は?
盧溝橋事件
第 1 次近衛文麿内閣ははじめ不拡大方針をとったが、軍の強硬論に押されて兵力を増派し、8 月には上海でも戦闘が始まって全面戦争になった。
日中戦争の開始後、国民党と共産党が内戦をやめて協力し、抗日民族統一戦線をつくったことを何という?
第 2 次国共合作
中国側の抵抗が一つにまとまったことで、戦争は日本の予想に反して長期化した。
1937 年 12 月、日本軍は国民政府の首都を占領した。その首都はどこか? 国民政府はその後どこに移ったか?
南京。国民政府は奥地の重慶に移って抗戦を続けた
南京の占領の際、日本軍は捕虜や一般の住民を多数殺害した(南京事件)。犠牲者の数については研究者の間で見方が分かれている。
2. 戦争の長期化
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ウ)
日本は早く戦争を終わらせるつもりでしたが、国民政府は屈服せず、戦線は中国の広い範囲に伸びていきました。
1938 年 1 月、第 1 次近衛文麿内閣が出し、和平交渉の道をみずから閉ざした声明は?
「国民政府を対手とせず」(第 1 次近衛声明)
同じ年の 11 月には、戦争の目的を日本・満州・中国による「東亜新秩序」の建設だとする声明も出した。
国民政府の要人で重慶を脱出し、1940 年に日本の支援で南京に新しい国民政府をつくった人物は?
汪兆銘(汪精衛)
日本はこの政府を相手に和平を図ったが、中国の民衆の支持は得られず、戦争は終わらなかった。
アメリカ・イギリスなどが、仏領インドシナやビルマを通じて重慶の国民政府に物資を送った道を何という?
援蔣ルート
この道を断つことが、のちに日本が南方へ進む理由の一つになった。
3. 国家総動員法と経済統制
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ウ)
長い戦争を続けるため、政府は経済全体を軍需産業に振り向けていきました。物資の計画を立てる機関として、1937 年に企画院が設けられています。
1938 年に制定され、戦争のために必要な人や物資を、議会の承認なしに勅令で動員できるようにした法律は?
国家総動員法
戦時体制の土台となった法律。これにもとづいて 1939 年に国民徴用令が出され、一般の国民が軍需工場などで働かされた。
1939 年、国家総動員法にもとづいて物価や賃金を一定の日の水準に据え置かせた勅令は?
価格等統制令
物資が不足するなかで値上がりを力で抑えようとしたが、闇取引が広がった。
1941 年から大都市で米に採用された、家族の人数に応じて決まった量を割り当てる制度は?
配給制(通帳による配給)
これより前の 1940 年には、砂糖・マッチなどに切符制が採用されていた。農家には米を政府に売り渡させる供出制もとられた。
4. 新体制運動と大政翼賛会
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ウ)
ドイツがヨーロッパで優勢になった 1940 年、近衛文麿を中心に、強力な一国一党の組織をつくろうとする新体制運動が起こりました。
1940 年、新体制運動の結果つくられた、総裁を首相とし、道府県知事などを支部長とする組織は?
大政翼賛会
各政党はみずから解散して合流した。国民を戦争に協力させる上意下達の組織で、政党のような政治の担い手にはならなかった。
大政翼賛会の末端で、配給や防空、回覧板による連絡などを担った、数戸から 10 戸ほどでつくる組織は?
隣組
その上に都市の町内会や農村の部落会が置かれた。国民の暮らしが、戦争のための組織に組み込まれた。
1940 年、労働組合や労働団体が解散させられて一つにまとめられた、労使が協力して生産に励むための全国組織は?
大日本産業報国会
職場ごとの産業報国会を束ねた。労働者が待遇の改善を求める組合は姿を消した。