織田信長の統一事業
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」C (1) ア (ア) の、織豊政権の政治・経済政策、貿易や対外関係などを扱う事項に当たります。
信長は、室町幕府を倒し、商業の自由化と寺社勢力の屈服によって、統一への道を開きました。
0. 何を押さえるか
織豊政権の前半を担った織田信長は、尾張から出て京都に入り、将軍を擁したのちに追放して室町幕府を滅ぼしました。
軍事だけでなく、経済政策(楽市・楽座、関所の撤廃)と、寺社勢力との戦いに特色があります。
| 年 | 出来事 | 相手 |
|---|---|---|
| 1560 | 桶狭間の戦い | 今川義元 |
| 1568 | 足利義昭を立てて京都に入る | — |
| 1570 | 姉川の戦い | 浅井長政・朝倉義景 |
| 1571 | 延暦寺の焼打ち | 比叡山延暦寺 |
| 1573 | 足利義昭を京都から追放(室町幕府の滅亡) | 足利義昭 |
| 1575 | 長篠合戦 | 武田勝頼 |
| 1580 | 石山本願寺が屈服 | 本願寺(顕如) |
| 1582 | 本能寺の変で自害 | 明智光秀 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 1568 年は義昭を立てて入京、1573 年は義昭を追放。信長ははじめ将軍を利用し、対立すると追い出した
- 長篠合戦(1575 年)の相手は武田勝頼。信玄ではない。鉄砲を大量に用いた戦いとして知られる
- 楽市・楽座は、座の特権を否定して自由な営業を認める政策。関所の撤廃と合わせて、物の流れを自由にした
1. 京都への進出と室町幕府の滅亡
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(1)-ア-(ア)
尾張の戦国大名だった信長は、東の今川氏を破って勢いをつかみ、将軍家の足利義昭を立てて京都に入りました。
1560 年、織田信長が駿河の今川義元を破った戦いは?
桶狭間の戦い
大軍を率いて尾張に攻め込んだ今川義元を討ち、信長が台頭するきっかけとなった。
1568 年、信長が京都に入ったとき、立てて将軍にした人物は?
足利義昭
信長は将軍の権威を利用して京都を押さえたが、やがて義昭と対立した。
1573 年に室町幕府が滅んだのは、信長が何をしたからか?
足利義昭を京都から追放した
義昭は武田・浅井・朝倉氏や寺社と結んで信長包囲をはかったが、敗れて京都を追われた。
1575 年、信長・徳川家康の連合軍が、鉄砲を大量に用いて武田勝頼を破った戦いは?
長篠合戦(長篠の戦い)
武田信玄はすでに死去しており、相手はその子の勝頼。
信長が「天下布武」の印を用い、1576 年から近江に築いた城は?
安土城
壮大な天守を持つ城で、城下町の安土山下町も整えられた。
2. 楽市・楽座と関所の撤廃
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(1)-ア-(ア)
信長の経済政策は、商工業者を古い特権から解き放ち、物と人の流れを自由にすることで、自分の支配する地域を豊かにしようとするものでした。
市場での座の特権を否定し、商人が自由に営業できるようにした政策を何という?
楽市・楽座
1577 年、安土山下町に出した楽市令が知られる。城下町に商工業者を集める狙いがあった。
信長が各地の関所を撤廃したのは、何のためか?
通行を自由にして、物の流通を盛んにするため
関所は寺社や公家などが通行料を取る場で、流通の妨げになっていた。
信長が矢銭(軍用金)を課し、のちに直轄にした、自治で知られる貿易港は?
堺
会合衆による自治で栄えた港町を押さえ、その経済力を手に入れた。
信長が悪銭の扱いや銭の使い方の基準を定めて出した法令は?
撰銭令
質の悪い銭の受け取り拒否(撰銭)による取引の混乱を抑えようとした。
3. 寺社勢力との戦いと本能寺の変
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(1)-ア-(ア)
中世の寺社は、武力と経済力を持つ大きな勢力でした。信長は、これに従わない寺社を武力で屈服させました。
一方で、南蛮貿易やキリスト教の布教には寛容で、対外関係では宣教師を保護しています。
1571 年、浅井・朝倉氏に味方したとして信長が焼打ちにした寺院は?
比叡山延暦寺
古代以来の宗教的権威にも容赦しない姿勢を示した。
信長が 1570 年から 11 年にわたって戦い、1580 年に屈服させた浄土真宗の本拠地は?
石山本願寺(石山戦争)
本願寺の顕如は各地の一向一揆を動かして抵抗した。伊勢長島や越前の一向一揆も信長に鎮圧された。
信長は、キリスト教の布教にどう対応したか? その理由は?
宣教師を保護して布教を認めた。仏教勢力への対抗や南蛮貿易の利益が理由とされる
京都に南蛮寺、安土にセミナリオが建てられた。
1582 年、京都で信長が家臣に攻められて自害した事件と、攻めた家臣は?
本能寺の変、明智光秀
統一事業は、光秀を討った羽柴(豊臣)秀吉に引き継がれた。