ヨーロッパ人の来航と南蛮貿易
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」C (1) ア (ア) の、織豊政権の政治・経済政策、貿易や対外関係などを扱う事項の入り口です。
ヨーロッパ人の来航は、戦国の戦い方と東アジアの貿易の形を変え、織豊政権が向き合う前提をつくりました。
0. 何を押さえるか
16 世紀の半ば、ポルトガル人・スペイン人が東アジアの海に現れ、日本に鉄砲とキリスト教をもたらしました。
彼らとの貿易(南蛮貿易)は、中国の生糸と日本の銀を結ぶ中継貿易が中心で、布教と一体で進められました。
| 鉄砲の伝来 | キリスト教の伝来 | |
|---|---|---|
| 年 | 1543 年 | 1549 年 |
| 場所 | 種子島 | 鹿児島 |
| 伝えた人 | 中国船に乗っていたポルトガル人 | イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエル |
| その後 | 堺・国友・根来などで量産され、戦い方が変わる | 宣教師が布教し、キリシタン大名が現れる |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 鉄砲が先(1543 年・種子島)、キリスト教が後(1549 年・鹿児島)。6 年の差がある
- 南蛮貿易の輸入の中心は中国産の生糸、輸出の中心は銀。ポルトガル人は中国と日本の間をつなぐ中継貿易で利益を得た
- 南蛮人とはポルトガル人・スペイン人のこと。のちに来るオランダ人・イギリス人は紅毛人と呼ばれて区別された
1. 鉄砲の伝来
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(1)-ア-(ア)
ヨーロッパがアジアへ乗り出した大航海時代の波が、16 世紀の半ばに日本へ届きました。
最初に日本の歴史を動かしたのは、一丁の鉄砲でした。
1543 年、ポルトガル人を乗せた中国船が漂着し、日本に鉄砲が伝わった島は?
種子島(大隅国)
島主の種子島時堯が鉄砲を買い求め、家臣に製法を学ばせたとされる。
伝来した鉄砲は、国内のどこで量産されるようになったか?
堺(和泉)・国友(近江)・根来(紀伊)など
伝来からまもなく国産化が進み、戦国大名の間に急速に広まった。
鉄砲の普及は、戦い方と城のつくりをどう変えたか?
足軽の鉄砲隊による集団戦が広まり、城も防御を固めた造りに変わった
騎馬中心の戦いから、足軽を組織した集団戦へと移っていった。
2. キリスト教の伝来と布教
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(1)-ア-(ア)
ヨーロッパで宗教改革が進むなか、カトリックの側では海外布教に力を入れる修道会が生まれました。
その宣教師たちが、貿易船とともに日本に来て布教を始めます。
1549 年に鹿児島に来て、日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師と、その所属する修道会は?
フランシスコ=ザビエル、イエズス会
ザビエルは鹿児島から山口・豊後府内などで布教した。
宣教師たちが布教のために各地に建てた施設には、どんなものがあったか?
南蛮寺(教会堂)、コレジオ(宣教師の養成学校)、セミナリオ(神学校)
コレジオやセミナリオでは、日本人の聖職者を育てることもめざされた。
キリスト教の洗礼を受けた大名を何という? 代表的な人物を 3 人挙げよ。
キリシタン大名(大友義鎮〈宗麟〉・有馬晴信・大村純忠)
入信には、信仰だけでなく南蛮貿易の利益を得たいという思惑もあったとされる。
1582 年、宣教師ヴァリニャーニの勧めで、九州のキリシタン大名がローマ教皇のもとへ送った少年使節を何という?
天正遣欧使節
伊東マンショら 4 人の少年がローマに赴き、1590 年に帰国した。
大村純忠が 1580 年にイエズス会に寄進した港町は?
長崎
この寄進は、のちに豊臣秀吉が宣教師を警戒する理由の一つになった。
3. 南蛮貿易で何が行き来したか
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(1)-ア-(ア)
ポルトガル人は、中国のマカオを拠点に、中国の生糸を日本に運んで銀と交換しました。
日本は当時、世界有数の銀の産出国で、この銀が東アジアの貿易を動かしていました。
ポルトガル人・スペイン人を当時の日本では何と呼び、彼らとの貿易を何というか?
南蛮人、南蛮貿易
南方からやって来たことによる呼び名。オランダ人・イギリス人は紅毛人と呼ばれた。
南蛮貿易で日本が輸入した主な品と、輸出した主な品は?
輸入は中国産の生糸・絹織物、鉄砲・火薬など。輸出は銀
ポルトガル人は日本の銀で中国の生糸を買い、日本へ運ぶ中継貿易で大きな利益を得た。
日本で銀の産出が増えた背景となった精錬の技術は?
灰吹法
石見銀山などで取り入れられ、銀の産出が大きく増えた。
スペイン人が日本に来航するようになったのは、どこを拠点としてからか?
フィリピンのマニラ
1584 年に肥前の平戸に来航した。ポルトガルはマカオ、スペインはマニラが東アジアの拠点。
南蛮貿易と布教はどのような関係にあったか?
一体で進められ、宣教師は貿易船に乗って来航した
そのため大名は貿易の利益を求めて布教を許し、みずから入信する者も出た。