室町時代の庶民文化と文化の地方普及
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」B (3) ア (イ) の内容の取扱いは、「公家や武家,庶民などの文化の形成や融合」に触れるよう求めています。
このノートでは、村や町で力をつけた庶民が文化の担い手・受け手となり、京都の文化が地方にも広がっていった過程を扱います。
0. 何を押さえるか
惣村や自治都市が育つと、庶民も芸能や物語を楽しみ、寄り合って文芸をつくるようになりました。
また応仁の乱で京都が荒れると、公家や僧が地方の大名を頼って下り、京都の文化が各地に伝わりました。
| 担い手・場 | 代表的なもの | |
|---|---|---|
| 芸能 | 村や町の人々も見物した | 狂言、風流踊り(のちの盆踊り) |
| 物語 | 絵入りの短い物語を庶民が読む | 御伽草子(『一寸法師』『浦島太郎』など) |
| 文芸 | 多くの人が集まって句をつなぐ | 連歌(二条良基・宗祇)、俳諧連歌(宗鑑) |
| 地方への広がり | 地方の大名の城下町、学問の拠点 | 大内氏の山口、足利学校、薩摩の桂庵玄樹 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 『菟玖波集』は二条良基(南北朝期)、『新撰菟玖波集』は宗祇(15 世紀末)。宗祇は正風連歌を確立し、宗鑑はより自由な俳諧連歌を始めた
- 狂言は能の合間に演じられた、せりふ中心の喜劇。能と同じ舞台だが、庶民の日常や身分の上の者への風刺を題材にした
- 文化が地方に広がったのは、応仁の乱で京都の公家や僧が地方へ逃れたことが大きい
1. 庶民の芸能と物語
根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)
村の祭りや町の人々の楽しみのなかで、庶民自身が担い手となる芸能が広がりました。
能の合間に演じられ、日常の話し言葉で庶民の生活や大名・僧への風刺を描いた喜劇は?
狂言
能が歌と舞を中心とする劇なのに対し、狂言はせりふとしぐさで笑いを生む。
『一寸法師』『浦島太郎』『物くさ太郎』などの、絵入りの短い物語をまとめて何という?
御伽草子
庶民が主人公となり、立身出世や恋を描く話が多い。読み手が庶民にまで広がったことを示す。
室町時代の庶民に好まれた小歌を集めた歌謡集は?
『閑吟集』
恋や人生のはかなさを歌った歌が多い。
祭りなどで、華やかな衣装を着て踊った集団の踊りを何という?
風流踊り
念仏踊りと結びついて、盆踊りとして各地の村に定着していった。
2. 連歌
根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)
和歌の上の句と下の句を、何人もで順番に付けていく連歌は、公家・武家・庶民がともに楽しむ文芸として広まりました。
連歌が身分をこえて広まったのはなぜか?
多くの人が集まって句をつなぐ文芸で、寄り合いの場で公家・武家・庶民がともに楽しめたから
連歌師が各地を旅して教えたことも、地方への広がりを助けた。
南北朝期に二条良基が撰び、勅撰和歌集に準じる扱いを受けた連歌集は?
『菟玖波集』
連歌が和歌と並ぶ文芸と認められたことを示す。
15 世紀末、芸術性の高い正風連歌を確立し、『新撰菟玖波集』を撰んだ連歌師は?
宗祇
弟子たちと詠んだ『水無瀬三吟百韻』も知られる。各地の大名に招かれて旅をした。
宗祇の連歌に対し、より自由で滑稽な俳諧連歌を始め、『犬筑波集』を編んだのは?
宗鑑(山崎宗鑑)
俳諧連歌は、のちの江戸時代の俳諧につながっていく。
3. 文化の地方普及
根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)
応仁の乱で荒れた京都を離れた公家や僧は、地方の大名のもとに身を寄せました。大名も都の文化を求め、城下町が地方の文化の中心になりました。
応仁の乱のあと、京都の文化が地方に広がった主な経路は?
京都を逃れた公家や僧が、都の文化を求める地方の大名のもとに身を寄せて伝えた
大名の城下町が地方の文化の拠点となった。連歌師や画僧も各地の大名を訪ねて歩いた。
多くの公家や文化人が身を寄せ、「西の京都」と呼ばれるほど文化が栄えた大内氏の城下町は?
山口
大内氏は日明貿易の富を背景に文化人を保護した。雪舟もここを拠点に活動した。
関東管領の上杉憲実が再興し、全国から学生が集まった学問の場は?
足利学校
下野にあり、儒学などが教えられた。
薩摩の島津氏に招かれ、朱子学を講じた禅僧は?
桂庵玄樹
朱子学の書物も刊行した。その流れは薩南学派と呼ばれる。
室町時代に武士や庶民の子どもの読み書きの教科書として使われた、手紙の形式の書物は?
『庭訓往来』
寺院で武士の子どもなどが学んだ。国語辞書の『節用集』も刊行された。読み書きの広がりが庶民の文化を支えた。
4. 庶民に広がった仏教
根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)
鎌倉時代に生まれた新しい仏教の宗派は、室町時代に村や町の庶民の間に深く根を下ろしました。
京都の町衆の間に広まり、1532 年に一揆を結んで一向一揆と戦ったこともある宗派は?
日蓮宗(法華宗)
京都の町衆がつくった法華一揆は町の自治を担ったが、1536 年に延暦寺の僧兵に攻められて京都を追われた(天文法華の乱)。
室町時代、村や町の人々の間で浄土真宗や日蓮宗が広がったのはなぜか?
講などの集まりを通じて、惣村や町の結びつきと重なりながら教えが伝えられたから
庶民が集まる場が、信仰と文化の両方を広げる場になった。