石油危機から安定成長・バブル経済へ
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (エ) のうち、高度経済成長のあとの経済と、経済の国際化を扱います。
1970 年代初めのドルの動揺と石油危機で高度経済成長は終わりました。日本は省エネルギーと技術革新で危機を乗り切って安定成長に移りますが、輸出の伸びは貿易摩擦を生み、1985 年のプラザ合意後の円高と金融緩和がバブル経済を招きます。
0. 何を押さえるか
1970 年代から 1990 年代初めまでを、出来事の順で押さえます。
| 年 | 出来事 | 結果 |
|---|---|---|
| 1971 | ドルと金の交換停止(ニクソン・ショック) | 円の切り上げ |
| 1973 | 変動相場制へ移行。第 4 次中東戦争から第 1 次石油危機 | 狂乱物価、翌年は戦後初のマイナス成長 |
| 1979 | 第 2 次石油危機 | 省エネ・技術革新で比較的軽くすむ |
| 1985 | プラザ合意 | 急激な円高、円高不況 |
| 1986〜1991 ごろ | 低金利のもとで株価・地価が高騰 | バブル経済、その崩壊 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 高度経済成長を終わらせたのは第 1 次石油危機(1973)。第 2 次石油危機(1979)は日本への打撃が比較的小さかった
- プラザ合意はドル高を是正する合意で、その結果日本は円高になった
- バブル経済のきっかけは円高不況への対策としての低金利。余った資金が株と土地に向かった
1. ドルの動揺と石油危機
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(エ)
ベトナム戦争の戦費などでアメリカの国際収支が悪化し、ドルを軸とする戦後の国際通貨の仕組みが揺らぎました。
1971 年、アメリカのニクソン大統領が発表した、ドルと金の交換の停止などの政策は、日本で何と呼ばれたか?
ニクソン・ショック(ドル・ショック)
同じ年の末のスミソニアン協定で、1ドル=360円だった円は 1ドル=308円に切り上げられた。
1973 年、日本をはじめ主要国が、為替レートを固定せず市場の需給に任せる制度に移ったことを何という?
変動相場制への移行
1949 年から続いた固定相場の時代が終わった。
1973 年の第 4 次中東戦争をきっかけに、アラブの産油国が石油の輸出を制限し、原油価格が急上昇したことで起きた日本経済の混乱は?
第 1 次石油危機(オイル・ショック)
田中角栄内閣の日本列島改造論による地価の上昇とも重なって物価が急騰し(狂乱物価)、1974 年には戦後初めてのマイナス成長になった。
石油危機のあと、日本の企業が不況を乗り切るためにとった経営を何という? その中身は?
減量経営。人員の削減、省エネルギー、コンピュータや産業用ロボットの導入(ME 化)など
自動車・電気機械・半導体などの輸出が伸び、日本は他の先進国より高い成長を保った(安定成長)。
1979 年の第 2 次石油危機のきっかけとなった出来事は? 日本への打撃が比較的小さかったのはなぜか?
イラン革命。減量経営と省エネルギーがすでに進んでいたから
原油価格は再び大きく上がったが、日本は第 1 次のときのような混乱を避けられた。
1975 年に始まり、日本も第 1 回から参加した、主要な先進国の首脳が経済問題などを話し合う会議は?
先進国首脳会議(サミット)
石油危機後の世界経済の立て直しが話し合われた。国家財政では、1975 年度から赤字国債(特例国債)が本格的に発行されるようになった。
2. 貿易摩擦と行財政改革
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(エ)
日本の輸出が伸びて大きな貿易黒字が続くと、アメリカなどとの間で経済の摩擦が深まりました。
1980 年代、日本とアメリカの間で貿易摩擦の対象となった主な品目を挙げよ。
自動車や半導体(先に繊維・鉄鋼・カラーテレビなど)
日本は自動車の対米輸出を自主的に規制した。アメリカは日本市場の開放も求め、1988 年には牛肉・オレンジの輸入自由化が決まった。
中曽根康弘内閣の行財政改革で、民営化された 3 つの公社は?
日本電信電話公社・日本専売公社・日本国有鉄道
それぞれ NTT・JT・JR 各社となった。国鉄は 1987 年に分割されて民営化された。
1989 年、竹下登内閣のもとで導入された、商品やサービスの取引に広く課される税は?
消費税(税率 3%)
直接税中心の税制を見直す改革として行われたが、国民の反発も強かった。
3. プラザ合意とバブル経済
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(エ)
1980 年代前半のドル高はアメリカの貿易赤字をふくらませ、主要国はドル高の是正に乗り出しました。
1985 年、先進 5 か国(G5)の財務相・中央銀行総裁が、ドル高を是正するため協調して為替市場に介入することで合意したものは?
プラザ合意
これ以後、急速に円高が進み、輸出産業が打撃を受けた(円高不況)。企業は生産拠点を海外に移し始めた。
円高不況への対策が、なぜバブル経済を招いたのか?
日本銀行が金利を低く据え置き、あふれた資金が株式や土地の投機に流れたから
株価や地価が実際の経済の力を大きく超えて上がり続けた。1980 年代末には、日本は政府開発援助(ODA)の額でも世界最大級の国になった。
バブル経済が崩壊に向かうきっかけとなった、1989 年からの日本銀行と 1990 年の大蔵省の措置は?
日本銀行の公定歩合の引き上げと、大蔵省による不動産向け融資の総量規制
金融が引き締められたことで、1990 年から株価が、続いて地価が下がり始めた。
1990 年代初めにバブル経済が崩壊したあと、長く日本経済を苦しめた、銀行が回収できなくなった貸付金を何という?
不良債権
金融の引き締めで株価と地価が下落し、担保の価値が下がって銀行の貸付が焦げついた。長い不況(平成不況)が続いた。