アジア諸国との国交と沖縄返還
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (エ) のうち、アジア諸国との関係を扱います。
サンフランシスコ平和条約に加わらなかった国々との国交は、相手ごとに別々に結ばれました。あわせて、アメリカの施政権下に残された沖縄の返還までを押さえます。
0. 何を押さえるか
国交の正常化は、相手・年・内閣の組で覚えます。
| 相手 | 文書 | 年 | 日本の内閣 |
|---|---|---|---|
| ソ連 | 日ソ共同宣言 | 1956 | 鳩山一郎 |
| 韓国 | 日韓基本条約 | 1965 | 佐藤栄作 |
| 中華人民共和国 | 日中共同声明 | 1972 | 田中角栄 |
| 中華人民共和国 | 日中平和友好条約 | 1978 | 福田赳夫 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 日ソ共同宣言は「宣言」で、平和条約はいまも結ばれていない。北方領土問題が解決していないため
- 日中共同声明(1972)で国交が正常化し、平和友好条約(1978)はその後に結んだ。条約の年と声明の年を取り違えない
- 沖縄返還は 1972 年 5 月 15 日、佐藤栄作内閣のとき。日中共同声明と同じ年
1. 日ソ国交回復と国際連合加盟
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(エ)
鳩山一郎内閣は、吉田茂内閣の対米重視に対して自主外交を掲げ、ソ連との国交の回復をめざしました。
1956 年、鳩山一郎首相がモスクワで調印し、日ソ間の戦争状態を終わらせて国交を回復した文書は?
日ソ共同宣言
平和条約を結んだあとに、歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことが定められた。日本政府は、北方四島(択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島)は日本固有の領土であるとの立場をとっている。
日ソ共同宣言の結果、1956 年に日本が実現できたことは?
国際連合への加盟
それまでは国連の安全保障理事会でソ連が反対していた。
日本が東南アジアの国々に対して、戦争の賠償をどのような形で支払ったか? その結果は?
生産物や役務(技術・労働)を提供する形で支払い、日本企業が東南アジアに進出する足がかりになった
1950 年代に、ビルマ・フィリピン・インドネシア・南ベトナムと賠償協定を結んだ。
2. 日韓基本条約
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(エ)
韓国との交渉は、植民地支配の清算や漁業の問題をめぐって難航し、10 年以上かかりました。
1965 年、佐藤栄作内閣が韓国の朴正煕政権と結び、国交を樹立した条約は?
日韓基本条約
同時に結ばれた協定で、日本は韓国に経済協力を行い、両国の間の請求権の問題は解決されたとされた。
日韓基本条約で、日本は韓国政府をどのように位置づけたか? また、韓国併合以前の条約をどう扱ったか?
韓国政府を朝鮮にある唯一の合法的な政府と認め、併合以前の条約・協定は「もはや無効」であると確認した
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)とは国交が結ばれないまま残った。
竹島について、日本政府はどのような立場をとっているか?
竹島は日本固有の領土であり、韓国が不法に占拠している
1952 年に韓国の李承晩政権が国際法に反して一方的に設けた「李承晩ライン」の内側に竹島を取り込み、1954 年からは警備隊員を常駐させるなどして占拠を続けている。日本政府は抗議を続けている。
3. 日中国交正常化
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(エ)
日本は 1952 年に台湾の中華民国と日華平和条約を結び、中華人民共和国とは国交のないまま、民間の貿易を続けていました。1972 年 2 月、アメリカのニクソン大統領が中国を訪問すると、事態が動きます。
1972 年 9 月、田中角栄首相が北京を訪問して調印し、中華人民共和国との国交を正常化した文書は?
日中共同声明
日本は中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府と認めた。中国は日本に対する戦争の賠償の請求を放棄した。
日中共同声明の結果、台湾の中華民国との関係はどうなったか?
国交が断たれ、日華平和条約は終了したとされた
その後も台湾との間では、民間の形で経済や文化の交流が続いている。
1978 年、福田赳夫内閣が中華人民共和国と結んだ条約と、そのなかで両国が反対を約束したものは?
日中平和友好条約。覇権(どの国がアジア・太平洋で覇権を求めることにも反対する)
中国は対立していたソ連を念頭にこの条項を強く求めた。
4. 沖縄返還
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(エ)
沖縄ではアメリカの統治のもとで基地の建設が進み、住民の間で祖国への復帰を求める運動が高まりました。ベトナム戦争では、沖縄の基地がアメリカ軍の出撃や補給の拠点になりました。
1969 年の佐藤栄作首相とニクソン大統領の会談で、沖縄の返還について合意した方針は?
「核抜き・本土並み」で 1972 年に返還する
核兵器を置かず、本土と同じく日米安全保障条約を適用するという意味。1971 年に沖縄返還協定が調印された。
佐藤栄作内閣が表明した、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という方針を何という?
非核三原則
のちに国会でも決議された。
1972 年 5 月 15 日に沖縄が日本に返還されたあとも、沖縄に残された課題は?
アメリカ軍の基地の多くがそのまま残った
在日アメリカ軍の専用施設の多くが沖縄に集中する状態は、返還後も続いた。尖閣諸島も沖縄とともに日本の施政下に戻った。日本政府は、尖閣諸島は日本固有の領土であり、解決すべき領有権の問題はそもそも存在しないとの立場をとっている。