白鳳文化と天平文化
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」A (3) ア (ア) の「律令体制の成立過程と諸文化の形成」のうち、文化の面に当たります。
律令国家がつくられていく時期の白鳳文化と、律令国家が栄えた時期の天平文化を、国家と仏教の結びつき、歴史書と和歌の編纂を軸に押さえます。
0. 何を押さえるか
2 つの文化は、どちらも国家が仏教を保護し、仏教の力で国を守ろうとした(鎮護国家)ことが特色です。
違いは、時期と、影響を受けた唐の文化の段階です。
| 白鳳文化 | 天平文化 | |
|---|---|---|
| 時期 | 7 世紀後半〜8 世紀初め(天武・持統朝のころ) | 8 世紀(聖武天皇のころ) |
| 影響 | 初唐の文化 | 盛唐の文化(国際色が豊か) |
| 寺院・仏像 | 薬師寺、興福寺仏頭 | 東大寺の大仏、国分寺・国分尼寺 |
| 絵画 | 法隆寺金堂壁画、高松塚古墳壁画 | 正倉院鳥毛立女屛風、薬師寺吉祥天像 |
| 文字の文化 | 漢詩・和歌が盛んになる | 古事記・日本書紀・風土記・懐風藻・万葉集 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 古事記は天皇家の伝承を日本語の音も生かして記したもの、日本書紀は漢文で年月を追って書いた正式な歴史書
- 懐風藻は漢詩集、万葉集は和歌集。どちらも奈良時代にまとめられた
- 正倉院は東大寺の倉で、聖武天皇の遺品が納められた。宝物にはペルシアなど西アジアの影響を受けたものもある
1. 白鳳文化
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)
天武・持統朝のころの文化で、天皇の力が強まるなか、国家が寺院をつくり仏教を広めるようになりました。
天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気が治るよう祈って建て始めた寺は?
薬師寺
東塔は、各層に裳階という小さな屋根をつけた、リズミカルな姿で知られる。
1972 年に奈良県で発見された、男女の人物像などが色あざやかに描かれた白鳳文化の壁画は?
高松塚古墳壁画
朝鮮半島の高句麗の古墳壁画との共通点が指摘されている。
1949 年に火災で損なわれた、インドや中国の影響を受けた白鳳文化の壁画は?
法隆寺金堂壁画
この火災がきっかけとなり、翌 1950 年に文化財保護法が定められた。
2. 天平文化と国家仏教
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)
聖武天皇は、疫病や反乱が続く社会の不安を、仏教の力で鎮めようとしました(鎮護国家)。
741 年、聖武天皇が国ごとに建てるよう命じた寺は?
国分寺と国分尼寺
都の東大寺は、全国の国分寺の中心とされた。
743 年に聖武天皇が造立の詔を出し、752 年に開眼供養が行われた仏像は?
東大寺の盧舎那仏(大仏)
詔は紫香楽宮で出された。開眼供養は、聖武天皇の娘の孝謙天皇のもとで行われた。
民衆に仏教を広めて政府に取り締まられたが、のちに大仏造立に協力して大僧正に任じられた僧は?
行基
橋や用水をつくる社会事業も行い、民衆の支持を集めた。
奈良時代の都の大寺院で研究された、仏教の 6 つの学派をまとめて何という?
南都六宗(三論・成実・法相・倶舎・華厳・律)
宗派というより、仏教の理論を学ぶ学派だった。
天平文化の仏像で多い、木の芯に粘土を盛ってつくる像と、漆で麻布を固めてつくる像をそれぞれ何という?
塑像と乾漆像
塑像の例は東大寺法華堂の執金剛神像、乾漆像の例は東大寺法華堂の不空羂索観音像や興福寺の阿修羅像。
聖武天皇の死後、光明皇太后が遺品を東大寺に納めた倉は?
正倉院
三角の木材を組んで壁にした校倉造の建物。遺品には、螺鈿紫檀五絃琵琶のように西アジアやインドの影響が見られるものもある。
3. 歴史書と和歌の編纂
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)
律令国家ができると、国の成り立ちと天皇の支配の正しさを示すために、歴史書がつくられました。
地方の様子をまとめた地誌や、漢詩・和歌の集もまとめられました。
712 年にできた古事記は、誰が何をもとにまとめたか?
稗田阿礼が読み覚えていた帝紀・旧辞を、太安万侶が筆録した
漢字の音と訓を使い分けて、日本語を書き表そうとしている。
720 年に舎人親王らがまとめた日本書紀の特色は?
漢文で、年月を追って書いた正式な歴史書(編年体)
のちに続く 6 つの正式な歴史書(六国史)の最初。
713 年に諸国に命じてまとめさせた、地名の由来や産物、伝承などを記した地誌は?
風土記
今に伝わるのは常陸・出雲・播磨・豊後・肥前の 5 か国分で、ほぼ完全に残るのは出雲国風土記。
天皇から庶民まで約 4500 首の和歌を収め、東国の人々がよんだ東歌や防人歌も含む歌集は?
万葉集
漢字の音や訓を使って日本語を書き表す万葉仮名で記された。編集には大伴家持が関わったと考えられている。
751 年にまとめられた、現存する日本最古の漢詩集は?
懐風藻
貴族たちの間で、漢詩をつくる教養が重んじられていたことを示す。