みならいノート

日本史探究 2027年度版

奈良時代の政治と遣唐使

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このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。

学習指導要領「日本史探究」A (3) ア (ア) の「律令体制の成立過程」に続く、律令国家が動き出した時代に当たります。
平城京を舞台に藤原氏と皇族が権力を争った流れ、土地の私有を認めていく政策の変化、遣唐使による唐との交流を押さえます。

0. 何を押さえるか

710 年に都が平城京に移ってから、794 年に平安京へ移るまでを奈良時代といいます。
政治の中心は、藤原氏と、皇族やそれに近い人物との間で入れ替わりました。

政権の中心 主な出来事
藤原不比等 養老律令をまとめ、娘を天皇家に嫁がせる
長屋王 三世一身法(723 年)。729 年、長屋王の変で自殺に追い込まれる
藤原四子 光明子を皇后に立てる。737 年、天然痘で 4 人とも死ぬ
橘諸兄 吉備真備・玄昉を登用。740 年、藤原広嗣の乱。墾田永年私財法(743 年)
藤原仲麻呂 光明皇太后の信頼を得る。764 年、恵美押勝の乱で敗死
道鏡 称徳天皇の信頼を得る。769 年、宇佐八幡宮神託事件

取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。

1. 平城京

根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)

平城京は唐の都長安にならってつくられ、律令国家の中心となりました。

710 年に平城京へ都を移した天皇は?

元明天皇

平城京は唐の長安にならい、碁盤の目のように区切られた。中央を南北に走る朱雀大路で左京と右京に分かれる。

708 年につくられ、平城京の造営などに使われた銭貨は?

和同開珎

政府は 711 年に蓄銭叙位令を出して銭の流通を促したが、都とその周辺以外では稲や布による交換が中心だった。

2. 藤原氏と皇族の政争

根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)

藤原不比等は、娘を天皇家に嫁がせて天皇家との結びつきを強めました。
その死後、藤原氏と皇族・他の貴族が交互に政権を担います。

729 年、藤原四子の策謀によって、左大臣だった皇族が自殺に追い込まれた事件は?

長屋王の変

この後、藤原四子は不比等の娘の光明子を聖武天皇の皇后に立てた。皇族以外から皇后が立てられたのは初めてだった。

藤原四子が死んだ後に政権を握った人物と、登用した唐からの帰国者は?

橘諸兄、吉備真備と玄昉

藤原四子は 737 年に天然痘の流行で相次いで死んだ。

740 年、吉備真備と玄昉を除くよう求めて九州で反乱を起こした人物は?

藤原広嗣(藤原広嗣の乱)

乱の後、聖武天皇は恭仁京・難波宮・紫香楽宮と都を転々と移した。

孝謙上皇の信頼を得た僧道鏡と対立し、764 年に反乱を起こして敗れた人物は?

藤原仲麻呂(恵美押勝の乱)

仲麻呂は光明皇太后の後ろ盾で力をふるい、淳仁天皇を立てて恵美押勝の名を与えられていた。乱の後、孝謙上皇は再び即位して称徳天皇となった。

769 年の宇佐八幡宮神託事件とはどんな事件か?

道鏡を天皇の位に就けよという神のお告げを、和気清麻呂が偽りだと報告して阻んだ事件

称徳天皇の死後、道鏡は失脚し、藤原百川らが天智天皇の孫の光仁天皇を立てた。

3. 土地の私有を認める政策

根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)

人口が増えて口分田が足りなくなり、政府は開墾を進めるために土地の私有を認めていきました。
これは、すべての土地を国のものとする律令体制の原則を崩すことにもなりました。

723 年に出された三世一身法の内容は?

新しく灌漑施設をつくって開墾すれば 3 代、もとからある施設を使えば本人 1 代の間、私有を認める

期限が来ると国に返すことになるため、期限が近づくと耕作をやめて土地が荒れてしまった。

743 年に出された墾田永年私財法の内容は?

開墾した土地の永久の私有を認める(位階に応じて面積に上限があった)

貴族や大寺院が盛んに開墾を進め、初期荘園が生まれた。

墾田永年私財法のあと、貴族や大寺院が開墾して持った私有地を何という?

初期荘園

東大寺などの大寺院が多く持った。国司や郡司の力を借りて経営したので、律令の仕組みが弱まるとともに衰えた。

4. 遣唐使と東アジア

根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)

遣唐使は、唐の進んだ制度や文化、仏教の経典などを持ち帰りました。
朝鮮半島の新羅とは緊張した関係が続き、中国東北部の渤海とは親しく交流しました。

最初の遣唐使として 630 年に派遣された人物は?

犬上御田鍬

8 世紀にはほぼ 20 年に 1 度の割合で派遣された。

8 世紀に入って遣唐使の航路が朝鮮半島沿いから東シナ海を横切る道に変わったのはなぜか?

新羅との関係が悪くなったから

東シナ海を渡る航路は危険で、遭難する船も多かった。

遣唐使として唐に渡り、帰国できないまま唐で一生を終えた人物は?

阿倍仲麻呂

唐の役人として仕えた。一緒に渡った吉備真備や玄昉は帰国して政治に関わった。

何度も渡航に失敗しながら 8 世紀半ばに来日し、正式な戒律を伝えた唐の僧は?

鑑真

のちに唐招提寺を開いた。

奈良時代に日本と親しく使いを送り合った、中国東北部の国は?

渤海

渤海は唐や新羅との対立から日本と結ぼうとした。一方、新羅を日本は従属国として扱おうとし、関係は悪化した。

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