律令の統治制度と土地・税
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」A (3) ア (ア) の「律令体制の成立過程」で整った国の仕組みに当たります。
大宝律令が定めた中央と地方の役所、戸籍にもとづいて土地を分け与える仕組み、人々に課された税と兵役を押さえます。奈良・平安時代の変化はすべてこの仕組みからの変化として読みます。
0. 何を押さえるか
律令国家は、戸籍で人々をつかみ、土地を分け与え、その代わりに税と労役・兵役を課す仕組みでした。
税の多くは、土地ではなく人(とくに成人男子)にかけられていたのが特色です。
| 税・負担 | かかる対象 | 中身 | 行き先 |
|---|---|---|---|
| 租 | 口分田(土地) | 1 段につき稲 2 束 2 把(収穫の約 3%) | 国の倉(地方の財源) |
| 調 | 成人男子 | 絹・布や各地の特産物 | 都(中央の財源) |
| 庸 | 成人男子 | 都での労役(歳役)の代わりに布 | 都(中央の財源) |
| 雑徭 | 成人男子 | 国司のもとで年 60 日以内の労役 | 地方 |
| 兵役 | 成人男子 | 3〜4 人に 1 人の割合で兵士に | 軍団・衛士・防人 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 租だけが土地にかかり、地方にとどまる。調・庸は人にかかり、自分たちで都まで運んだ(運脚)
- 国司は都から送られる貴族で任期がある、郡司は地方の豪族(もとの国造など)で終身
- 戸籍は 6 年ごとで班田のため、計帳は毎年で調・庸をとるため
1. 中央の仕組み
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)
中央には、神々のまつりを担う神祇官と、政治全体を担う太政官が置かれ、太政官の下に 8 つの省が並びました。
これを二官八省といいます。
律令で中央に置かれた二官とは何と何か、それぞれの役割は?
神祇官は神々のまつり、太政官は政治全体をまとめる
太政官では太政大臣・左大臣・右大臣・大納言などの公卿が会議を開き、政治を決めた。
律令の中央官制で、役人を監察し風俗を取り締まった役所は?
弾正台
このほか、宮城の警備には五衛府が当たった。
律令で、役人の地位(位階)に応じて就ける官職が決まっている仕組みを何という?
官位相当制
位階に応じて田や給与も与えられた。
五位以上の貴族の子や三位以上の貴族の孫が、父祖の位に応じて一定の位を与えられる仕組みは?
蔭位の制
上級貴族の子孫は、若いうちから高い地位に就きやすかった。貴族の地位が代々受け継がれる土台になった。
2. 地方の仕組み
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)
全国は畿内と七道に分けられ、その中に国・郡・里が置かれました。
都と九州北部などの要地には特別な役所が置かれました。
律令での地方の行政区分と、それぞれを治めた役人は?
国・郡・里、国司・郡司・里長
里はのちに郷と改められた。国司が仕事をする役所を国府(国衙)という。
国司と郡司の違いは?
国司は中央から送られる貴族で任期がある。郡司はその地方の豪族が任じられ、終身の職
国の支配は、昔からの地方豪族である郡司の力に支えられていた。
九州北部に置かれ、外交と防衛、九州の統治に当たった役所は?
大宰府
「遠の朝廷」とも呼ばれた。都には左京職・右京職、難波には摂津職が置かれた。
3. 班田収授法と身分
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)
律令国家は戸籍にもとづいて人々に口分田を分け与え、死ぬと国に返させました。
人々は良民と賤民に分けられていました。
班田収授法では、口分田は何歳以上の人に、どれだけ与えられたか?
6 歳以上の男子に 2 段、女子にはその 3 分の 2
私有の奴婢には良民の 3 分の 1 が与えられた。口分田は売り買いできず、死ぬと国に返された。
班田のためにつくられた戸籍と、調・庸をとるためにつくられた計帳の違いは?
戸籍は 6 年ごと、計帳は毎年つくられた
戸籍は口分田を与えるもと、計帳は税を課すもとになった。
律令で賤民とされた人々を、まとめて何という?
五色の賤(陵戸・官戸・家人・公奴婢・私奴婢)
人口の中では少数だったと考えられている。
4. 税と兵役
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)
律令の税は、稲を納める租のほか、成人男子にかかる調・庸や労役が中心でした。
兵役も重く、農民の暮らしを苦しめました。
租・調・庸のうち、成人男子に課され、地方の特産物などを都へ納める税は?
調
庸は、都での労役(歳役)の代わりに布を納めるもの。調と庸は農民が自ら都まで運ばなければならなかった。
国司のもとで、成人男子が年 60 日以内の労役をする負担は?
雑徭
地方の役所の仕事や土木工事などに使われた。
律令の兵役で、九州北部の守りのために送られた兵士と、主にどこから送られたか?
防人、主に東国から
任期は 3 年。都の警備に当たる兵士は衛士と呼ばれた。兵士の食料や武器は自分で用意しなければならず、重い負担だった。
国が春に稲を貸し付け、秋に利息をつけて返させた仕組みは?
出挙(国が行うものを公出挙という)
もとは農民を助けるためのものだったが、しだいに税と同じように強制されるようになった。