江戸幕府の成立と幕藩体制
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」C (3) ア (ア) の、法や制度による支配秩序の形成と身分制、貿易の統制と対外関係などから、幕藩体制の確立と近世の社会・文化の特色を理解する事項に当たります。
このノートは、将軍と大名が全国の土地と人々を分けて治める仕組みがどう組み立てられたかを扱います。
0. 何を押さえるか
徳川家康は関ヶ原の戦いに勝って江戸に幕府を開き、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼしました。
その後、秀忠・家光の代にかけて、大名の配置・法令・参勤交代によって支配秩序が固められ、3 代将軍家光のころに幕藩体制の確立を見ます。
| 区分 | どんな大名か | 配置 |
|---|---|---|
| 親藩 | 徳川家の一門(尾張・紀伊・水戸の三家など) | 要地に置く |
| 譜代 | 関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えた大名 | 要地に置き、幕府の要職に就く |
| 外様 | 関ヶ原の戦いの前後に徳川家に従った大名 | 江戸から遠い地に置くことが多い |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 武家諸法度の最初(元和令・1615 年)は 2 代秀忠の名で出された。参勤交代を制度として定めたのは 3 代家光の寛永令(1635 年)
- 幕府の要職(老中など)に就くのは譜代大名と旗本。外様大名は大きな領地を持っていても幕政には加わらない
- 大名とは 1 万石以上の領地を与えられた者。1 万石未満の直属の家臣は旗本・御家人
1. 関ヶ原の戦いと大坂の陣
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(ア)
秀吉の死後、五大老の筆頭だった徳川家康が力を伸ばし、豊臣政権を支えようとする石田三成らと対立しました。
1600 年、徳川家康が石田三成らの西軍を破った戦いは?
関ヶ原の戦い
勝った家康は、西軍の大名の領地を取り上げたり減らしたりして、全国の支配権を握った。
徳川家康が征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開いたのは何年か?
1603 年
2 年後の 1605 年に将軍職を子の秀忠に譲り、将軍は徳川家が継ぐことを示した。家康は大御所として実権を持ち続けた。
1614〜1615 年、家康が豊臣秀頼を攻めて豊臣氏を滅ぼした戦いは?
大坂の陣(冬の陣・夏の陣)
これで徳川家に対抗できる勢力はなくなった。
2. 大名の統制と武家諸法度・参勤交代
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(ア)
幕府は大名を親藩・譜代・外様に分けて配置し、法令で行動を縛りました。違反した大名は、領地を取り上げられる改易などの厳しい処分を受けました。
1615 年、大名の居城を 1 つに限り、それ以外の城を壊させた法令は?
一国一城令
大名の軍事力を弱めるための法令。同じ年に武家諸法度も出された。
1615 年、2 代将軍秀忠の名で出された、大名を統制するための法令は?
武家諸法度(元和令)
城の無断修理や、大名家どうしの無断の婚姻などを禁じた。起草したのは僧の金地院崇伝。
1635 年、3 代将軍家光が武家諸法度(寛永令)で制度として定めたことは?
参勤交代
大名は 1 年おきに江戸と領地を行き来し、妻子は江戸に住まわされた。
参勤交代が大名にもたらした影響と、社会全体への影響は?
大名は多くの出費を負担した。一方で街道や宿場が整い、江戸が大都市になった
将軍と大名の主従関係を確かめる儀礼でもあった。
1619 年、広島城を無断で修築したとして改易された大名は?
福島正則
外様だけでなく親藩・譜代の大名も、武家諸法度の違反や跡継ぎがいないことを理由に改易された。
朝廷と公家の行動を統制するため、1615 年に幕府が定めた法令は?
禁中並公家諸法度
天皇や公家の役割を学問などに限り、朝廷が政治に関わらないようにした。
3. 幕府の組織と幕藩体制
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(ア)
将軍(幕府)と大名(藩)が、それぞれの領地と人々を治めつつ、大名は将軍に従う。この仕組みを幕藩体制と呼びます。
将軍と大名は、石高を基準とした領地の給与と軍役の負担でつながっていました。
将軍が大名に領地を与え、大名がその領地と領民を独自に治める一方、将軍に従う支配の仕組みを何という?
幕藩体制
将軍と大名は、領地を与える御恩と軍役を果たす奉公で結ばれていた。
江戸幕府で政務を統轄した常置の最高職は? 臨時に置かれた最高職は?
老中(常置)、大老(臨時)
老中は譜代大名から選ばれ、若年寄がこれを補佐した。
江戸幕府の三奉行とは何か?
寺社奉行・町奉行・勘定奉行
寺社奉行は将軍直属で大名から、町奉行と勘定奉行は老中の下で旗本から選ばれた。
朝廷の監視や西国大名の監視のために京都に置かれた幕府の役職は?
京都所司代
大坂には大坂城代が置かれた。