明治の思想と文化
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (イ) の「近代の文化の形成」に当たる部分です。
文明開化とともに西洋の思想が紹介され、やがて国家や民族を重んじる思想が力を増しました。文学・美術・演劇では、西洋の方法を取り入れながら伝統と向き合う試みが続きます。
0. 何を押さえるか
明治の思想は、時期によって重心が「個人の自立」から「国家・民族」へ移っていきました。
| 思想 | 中心人物 | 団体・雑誌 | 主張 |
|---|---|---|---|
| 啓蒙思想 | 福沢諭吉・中村正直・森有礼 | 明六社『明六雑誌』 | 西洋の学問と個人の自立を広める |
| 平民主義 | 徳富蘇峰 | 民友社『国民之友』 | 平民の立場からの近代化(西洋化) |
| 国粋保存主義 | 三宅雪嶺・志賀重昂 | 政教社『日本人』 | 日本の伝統や美点を守りつつ近代化 |
| 国民主義 | 陸羯南 | 新聞『日本』 | 国民の統一と独立を重んじる |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 平民主義も国粋保存主義も、政府の欧化政策に反対した点は共通。前者は民衆の側からの西洋化、後者は日本の伝統の尊重を掲げた
- 徳富蘇峰は日清戦争(三国干渉)をきっかけに、国家の力を重んじる立場へ転じた
- 写実主義は坪内逍遙の『小説神髄』、言文一致は二葉亭四迷の『浮雲』。理論と実作を組にして覚える
1. 啓蒙思想
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(イ)
明治の初め、西洋の近代思想を紹介し、人々の考え方を改めようとする啓蒙思想が盛んになりました。
1873 年、森有礼の発議で結成され、機関誌で西洋の思想を紹介した啓蒙の団体は?
明六社(『明六雑誌』)
福沢諭吉・中村正直・西周・加藤弘之らが加わった。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と説き、学問による個人の自立を勧めた福沢諭吉の著作は?
『学問のすゝめ』
福沢は『西洋事情』で欧米の制度も紹介し、慶応義塾を開いた。
スマイルズの『自助論』を翻訳した『西国立志編』や、ミルの『自由之理』を著した人物は?
中村正直
努力して身を立てる生き方を説く『西国立志編』は、広く読まれた。
2. 平民主義と国家主義
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(イ)
1880 年代後半、政府の極端な欧化政策への反発から、新しい思想の流れが生まれました。日清戦争を境に、国家主義が思想界の主流となっていきます。
民友社をつくり、雑誌『国民之友』で平民主義を唱えた人物は?
徳富蘇峰
政府の上からの欧化を批判し、平民の生活を豊かにする近代化を説いた。三国干渉のあと国家主義に転じた。
三宅雪嶺・志賀重昂らが政教社の雑誌『日本人』で唱えた思想は?
国粋保存主義(近代的な民族主義)
西洋化そのものを否定したのではなく、日本の伝統や美点を大切にしながら近代化すべきだとした。
日清戦争のあと、高山樗牛が雑誌『太陽』で唱え、日本の大陸進出を肯定した思想は?
日本主義
日清戦争の勝利と三国干渉をへて、国家の発展を第一とする考えが思想界の主流になっていった。
3. 言文一致と近代文学
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(イ)
江戸以来の戯作文学や、自由民権運動の宣伝を目的とした政治小説のあと、人間の内面を描く近代文学が生まれます。話し言葉に近い文体(言文一致体)の工夫もその一部でした。
『小説神髄』で、人の心の動きや世の中をありのままに描く写実主義を唱えたのは?
坪内逍遙
勧善懲悪の物語を離れ、小説を芸術として位置づけた。
話し言葉に近い言文一致体で『浮雲』を書いたのは?
二葉亭四迷
坪内逍遙の写実主義を実作で示した。言文一致体はやがて小説や新聞の文章に広がった。
日清戦争前後に盛んになった、感情や個性の解放を重んじた文学の流れと、その代表的な作家は?
ロマン主義。森鷗外(『舞姫』)、樋口一葉(『たけくらべ』)、島崎藤村(詩集『若菜集』)など
北村透谷らの雑誌『文学界』がその拠点となった。
日露戦争前後に文壇の主流となった自然主義の代表作は?
島崎藤村の『破戒』、田山花袋の『蒲団』
人間や社会の暗い面もありのままに描こうとした。夏目漱石や森鷗外はこの流れとは距離を置いた。
俳句と短歌の革新を進め、雑誌『ホトトギス』に関わった人物は?
正岡子規
写生を重んじた。短歌では与謝野晶子が『明星』で情熱的な歌を発表した(『みだれ髪』)。
4. 美術と演劇
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(イ)
美術では、日本の伝統美術を見直す動きと、西洋画を学ぶ動きが並んで進みました。演劇では、歌舞伎に加えて新派劇・新劇という新しい舞台が生まれます。
伝統的な日本美術の価値を説き、東京美術学校の設立に尽くした 2 人は?
フェノロサと岡倉天心
東京美術学校は西洋画の学科を持たずに開校した。狩野芳崖の「悲母観音」はこの動きを代表する作品。
フランスで学んだ明るい画風を伝え、白馬会をつくった洋画家は?
黒田清輝(「湖畔」「読書」)
のちに東京美術学校に西洋画科が設けられ、その指導に当たった。
明治の末に始まった「新劇」は、何を上演した演劇か? 担った団体は?
西洋の近代劇(翻訳劇)。坪内逍遙・島村抱月の文芸協会、小山内薫の自由劇場
これより先、川上音二郎らの壮士芝居から、現代の世相を扱う新派劇が生まれていた。