日明貿易と東アジアの交易
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」B (3) ア (イ) が名指しする「日明貿易」を中心に、14〜16 世紀の東アジアの交易を扱います。
明の建国と朝鮮の成立で東アジアの国際関係が組み直されるなか、日本は倭寇の取り締まりと引きかえに、明・朝鮮と正式な通交を結びました。
0. 何を押さえるか
明は民間の海外渡航を禁じ(海禁)、周辺の国々に朝貢を求めました。日本は明の皇帝から「日本国王」と認められる形で貿易を始め、
朝鮮とは対馬の宗氏を窓口に通交しました。どちらも、倭寇をどう抑えるかと表裏一体です。
| 日明貿易 | 日朝貿易 | |
|---|---|---|
| 始まり | 1404 年(足利義満) | 1392 年の朝鮮建国の後まもなく |
| 形式 | 明の皇帝への朝貢。勘合を持参する | 対馬の宗氏が通交を仲立ちし、統制する |
| 主な輸入品 | 銅銭(明銭)、生糸、絹織物、書籍、陶磁器 | 木綿、大蔵経 |
| 主な輸出品 | 刀剣、銅、硫黄、扇 | 銅、硫黄、南方産の蘇木・香木 |
| 担い手の移り変わり | 幕府 → 細川氏(堺商人)と大内氏(博多商人) | 三浦の乱(1510 年)以後しだいに縮小 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 勘合は明が発行し、正式な使節の船であることを示す証明書。倭寇と区別するためのもの
- 日明貿易は朝貢の形をとったので、滞在費などを明が負担し、日本側の利益は大きかった。形式が「対等」でなかったことと、利益が大きかったことを分けて覚える
- 前期倭寇(14 世紀ごろ)は日本人が中心、後期倭寇(16 世紀)は中国人が多かった
1. 倭寇と明の成立
根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)
14 世紀、南北朝の動乱で日本の統制がゆるむと、朝鮮半島や中国の沿岸を荒らす海賊集団が活発になりました。
14 世紀ごろ、朝鮮半島や中国沿岸で略奪を行った海賊集団を何と呼ぶ?
倭寇
この時期のものを前期倭寇といい、対馬・壱岐・肥前松浦地方の人々が中心だったとされる。高麗の衰えの一因にもなった。
1368 年に建国した明が、民間人の海外渡航や貿易を禁じた政策は?
海禁
明は周辺の国に朝貢を求め、国と国との朝貢の形の貿易だけを認めた。そのため日本も正式な国交を結ばないと貿易ができなかった。
2. 勘合を使う日明貿易
根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)
足利義満は明に使いを送って国交を開き、明の皇帝から日本国王に任じられる形で貿易を始めました。
1401 年に明に使いを送った足利義満が、明に対してとった立場は?
明の皇帝から「日本国王」に任じられ、臣下として朝貢する立場
中国を中心とする冊封体制に入る形をとった。これを屈辱的とみて、4 代将軍義持は貿易を中断した。
日明貿易で使われた「勘合」とは何か?
明が発行した、正式な貿易船であることを示す証明書
倭寇の船と区別するために持参させた。そのため日明貿易を勘合貿易ともいう。
日明貿易が日本にとって利益の大きい貿易だったのはなぜか?
朝貢の形式なので、使節の滞在費や運送費を明が負担したから
さらに持ち込んだ品は高値で引き取られた。形は従属でも、実利は大きかった。
日明貿易で日本が大量に輸入し、国内の貨幣として流通したものは?
銅銭(明銭)(永楽通宝など)
朝廷も幕府も銭を造っていなかったため、輸入した銭が取り引きを支えた。
中断していた日明貿易を 1432 年に再開した将軍は?
足利義教(6 代)
4 代義持が中断し、6 代義教が再開した。
応仁の乱の後、日明貿易の実権をめぐって争った 2 つの守護大名とその背後の商人は?
細川氏と堺の商人、大内氏と博多の商人
幕府の力が衰え、貿易の実権は守護大名とそれに結ぶ商人に移った。
1523 年、細川氏と大内氏の使節が明の港で衝突した事件と、その結果は?
寧波の乱。以後、大内氏が日明貿易を独占した
大内氏が 16 世紀半ばに滅ぶと、勘合による貿易も途絶えた。
16 世紀に活発になった後期倭寇の特徴は?
中国人が多く加わっていた
明の海禁に反して密貿易を行う人々が中心で、日本人は一部にとどまった。前期倭寇とは担い手が異なる。
3. 日朝貿易と三浦の乱
根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)
1392 年、朝鮮半島では高麗に代わって朝鮮が建国され、日本とも通交が始まりました。幕府だけでなく守護や商人も通交に加わったため、朝鮮は対馬の宗氏を通じて統制しました。
日朝貿易で、朝鮮との通交を仲立ちし、統制する役目を担ったのは?
対馬の宗氏
幕府だけでなく守護・国人・商人も通交したため、朝鮮は宗氏に通交の許可の役目を担わせた。
1419 年、朝鮮が倭寇の根拠地とみて対馬を攻撃した事件は?
応永の外寇
一時的に貿易は途絶えたが、まもなく再開した。
日朝貿易で日本が大量に輸入し、衣料として人々の暮らしを変えたものは?
木綿
当時の日本ではまだ綿花の栽培が広まっていなかった。ほかに仏教の経典を集めた大蔵経も求められた。
1510 年、朝鮮の 3 つの港に住む日本人が特権の縮小に反発して起こした暴動は?
三浦の乱
三浦は富山浦・乃而浦・塩浦。これを境に日朝貿易はしだいに衰えた。