推古朝と飛鳥文化
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」A (3) ア (ア) の「律令体制の成立過程と諸文化の形成」の出発点に当たります。
推古天皇のもとで、豪族の家柄ではなく個人を取り立てる仕組みや、中国に対して対等な立場を目指す外交が始まったことと、日本で最初の仏教文化である飛鳥文化を押さえます。
0. 何を押さえるか
6 世紀末、大臣の蘇我馬子は対立する大連の物部守屋を滅ぼし、さらに崇峻天皇を暗殺して、推古天皇を立てました。
推古天皇のもとで、蘇我馬子と厩戸王(聖徳太子)が協力して政治を進めました。
| 政策 | 年 | 内容 |
|---|---|---|
| 冠位十二階 | 603 年 | 才能や功績に応じて個人に冠位を与える |
| 憲法十七条 | 604 年 | 豪族に役人としての心構えを示す |
| 遣隋使 | 600 年・607 年など | 隋と国交を結び、制度や文化を学ぶ |
| 歴史書の編纂 | 620 年 | 「天皇記」「国記」をつくったとされる |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 姓は氏(一族)に与えられ世襲されるが、冠位は個人に与えられ昇進もできる。冠位十二階は家柄の仕組みを崩すためのものだった
- 憲法十七条は今の憲法(国の決まり)とは違い、役人の心得を説いた道徳的な訓戒
- 遣隋使は中国の皇帝の臣下(冊封)にはならない姿勢で送られた。倭の五王とはここが違う
1. 推古朝の政治
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)
隋が中国を統一し、朝鮮半島の国々にも圧力をかけるなかで、ヤマト政権は国内の仕組みを整える必要に迫られていました。
推古朝の改革は、のちの律令体制の成立過程の第一歩にあたります。
587 年、蘇我馬子が滅ぼした、仏教の受け入れに反対していたとされる大連は?
物部守屋
これで蘇我氏が朝廷の中で大きな力を持つようになった。592 年には蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺した。
603 年に定められた冠位十二階のねらいは?
家柄にとらわれず、才能や功績のある個人を取り立てること
冠の色で位を示し、功績によって昇進もできた。氏族ごとに世襲される姓の仕組みとは違う。
604 年に定められた憲法十七条は、誰に向けて何を示したものか?
豪族たちに、天皇に仕える役人としての心構えを示した
仏教を敬うことや、天皇の命令に従うことなどを説いている。
推古朝で蘇我馬子とともに政治を進めた、推古天皇の甥は?
厩戸王(聖徳太子)
推古天皇は、最初の女性の天皇とされる。
2. 遣隋使
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)
589 年に中国を統一した隋に対し、推古朝は使いを送りました。
倭の五王の時代と違い、中国の皇帝の臣下にはならない姿勢をとったことが特色です。
607 年に遣隋使として派遣された人物は?
小野妹子
翌年、隋の使い裴世清をともなって帰国した。
607 年の遣隋使が持って行った国書に、隋の皇帝煬帝が不快感を示したのはなぜか?
倭の王を「天子」と呼び、隋の皇帝と対等であるかのように書いていたから
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書いたことが『隋書』倭国伝に記されている。
608 年の遣隋使に同行した高向玄理・旻・南淵請安らは、帰国後どんな役割を果たしたか?
中国の制度や学問を伝え、のちの大化改新に影響を与えた
彼らは留学生・学問僧として長く中国にとどまり、隋が滅んで唐ができる様子も見た。
3. 飛鳥文化
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(ア)
7 世紀前半、飛鳥地方を中心に栄えた、日本で最初の仏教文化を飛鳥文化といいます。
朝鮮半島の百済や高句麗を通じて、中国の南北朝時代の文化の影響を受けています。
蘇我馬子が建てた、日本で最初の本格的な寺院とされる寺は?
飛鳥寺(法興寺)
豪族たちは一族の繁栄を願って氏寺を建てた。寺院は古墳に代わって豪族の権威を示すものになった。
厩戸王が建てたとされ、現存する世界最古の木造建築群をもつ寺は?
法隆寺(斑鳩寺)
『日本書紀』に 670 年に焼けたという記事があり、今の建物はその後再建されたものとする説が有力。
法隆寺金堂の釈迦三尊像をつくった仏師は?
鞍作鳥(止利仏師)
中国の北魏の様式を受けた、左右対称で厳しい表情が特色。
飛鳥文化の工芸品で、表面に玉虫の羽を用いて飾った仏具は?
玉虫厨子(法隆寺)
扉などに描かれた絵は、この時代の絵画を知る手がかりになっている。
推古朝のころ、高句麗の僧曇徴と百済の僧観勒がそれぞれ伝えたものは?
曇徴は紙・墨・絵の具の製法、観勒は暦法
仏教とともに、渡来した僧が学問や技術も伝えた。