応仁の乱と戦国大名
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」B (3) ア (イ) の「地域権力の成長」に当たります。
応仁の乱で幕府の力が衰えると、各地で実力のある者が自分の力で領国を治めるようになり、戦国大名が生まれました。
0. 何を押さえるか
応仁の乱は、将軍家と有力守護家の家督争いが、細川勝元と山名持豊(宗全)の対立に結びついて起きました。
11 年に及ぶ戦乱で京都は荒れ、守護大名が京都を離れて領国に戻るなか、守護代や国人が主家をしのいで各地を実力で治めるようになります。
| 守護大名 | 戦国大名 | |
|---|---|---|
| 支配の根拠 | 幕府から任じられた守護の地位 | 自分の実力(幕府の権威に頼らない) |
| 住む場所 | 原則として京都 | 領国(城下町) |
| 家臣の組織 | 国人を家臣にするが、つながりは弱い | 寄親・寄子制で家臣を組織 |
| 領国の法 | 幕府の法に従う | 分国法を定める |
| 出身 | 足利一門や有力守護の家 | 守護大名のほか、守護代や国人から成り上がった者も |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 応仁の乱の東軍は細川勝元、西軍は山名持豊(宗全)。対立する家督争いの当事者が、どちらかの側に付いた
- 戦国大名には守護大名から成長した者(今川・武田など)と、守護代や国人から成り上がった者(朝倉・伊達など)がいる
- 分国法は大名が自分の領国に出した法で、幕府の法ではない
1. 応仁の乱
根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)
8 代将軍足利義政の時代、将軍家や管領家の相続争いが、幕府の実権を争う細川氏と山名氏の対立と結びつき、大乱になりました。
応仁の乱が始まったのは何年、何年まで続いたか?
1467 年〜1477 年
11 年に及び、主な戦場となった京都は焼け野原になった。
応仁の乱で、将軍家の跡継ぎをめぐって争ったのは誰と誰か?
将軍足利義政の弟の義視と、義政の子の義尚
義尚の母は日野富子。管領家の畠山氏・斯波氏も、それぞれ家督をめぐって一族が分かれて争っていた。
応仁の乱で東軍と西軍を率いた人物は?
東軍は細川勝元、西軍は山名持豊(宗全)
幕府の実権を争う 2 人が、それぞれの家督争いの当事者を抱え込んだ。
応仁の乱で活躍した、軽装で機動力にすぐれた雇われの歩兵を何という?
足軽
寺社や町に放火・略奪を行うことも多く、当時の貴族から非難された。
応仁の乱のあと、守護大名の多くが京都を離れたのはなぜか?
領国で守護代や国人が力を伸ばし、国元を押さえないと支配を保てなくなったから
守護が京都に住んで幕府を支えるという室町幕府の骨組みが崩れた。
2. 下剋上と戦国の始まり
根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)
応仁の乱のあとは、身分の低い者が実力で上の者を倒す動きが各地で見られました。関東では、それより早く争乱が始まっていました。
下の身分の者が実力で上の者をしのぎ、その地位を奪うことを何という?
下剋上
守護代が守護を追う、家臣が主君を倒す、国人や農民が守護を退けるなど、さまざまな形で現れた。
1454 年、鎌倉公方の足利成氏が関東管領の上杉憲忠を殺したことに始まる関東の争乱は?
享徳の乱
鎌倉公方は古河公方と、幕府が送った堀越公方とに分かれ、関東は京都より早く戦乱の時代に入った。
1493 年、管領の細川政元が将軍を廃して新しい将軍を立てた事件は?
明応の政変
家臣が将軍をすげ替えたことで、将軍の権威の失墜が決定的になった。戦国時代の始まりをここに置く見方もある。
伊豆の堀越公方を倒し、相模の小田原を拠点に関東へ勢力を広げた戦国大名は?
北条早雲(伊勢宗瑞)
子孫は北条氏(後北条氏)として、関東の大半を治める大名になった。
3. 戦国大名の領国支配
根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)
戦国大名は、幕府の権威に頼らず、自分の力で家臣と領民を組織して領国(分国)を治めました。地域権力の成長がはっきりした形をとったのです。
戦国大名が自分の領国を治めるために定めた法を何という?
分国法(家法)
今川氏の『今川仮名目録』、武田氏の『甲州法度之次第』、伊達氏の『塵芥集』などがある。
分国法に多く見られる、争った者を理由を問わず双方とも罰する定めを何という?
喧嘩両成敗
家臣どうしが私的に争うことを禁じ、争いの解決を大名の裁判に集めようとした。
戦国大名が家臣の収入や負担する軍役を、銭に換算した額で表したしくみを何という?
貫高制
家臣の所領の規模を統一した基準で把握し、軍役を割り当てた。
戦国大名が、有力な家臣を親、下級の武士を子に見立てて組織した家臣団のしくみは?
寄親・寄子制
地侍などを有力家臣のもとに付けて、大名の命令で動く組織だった軍団をつくった。
戦国大名が家臣や商工業者を集め、領国の政治・経済の中心として整えた町を何という?
城下町
朝倉氏の一乗谷、北条氏の小田原、大内氏の山口などが代表。大名の城を中心に家臣と商工業者が住んだ。