みならいノート

日本史探究 2027年度版

建武の新政と南北朝の動乱

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このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。

学習指導要領「日本史探究」B (3) ア (イ) の「武家政権の変容」に当たります。鎌倉幕府が倒れたあと、後醍醐天皇の親政が短く終わり、
足利尊氏が開いた幕府のもとで朝廷が南北に分かれて争うなか、各国の守護が力を伸ばしていった過程を押さえます。

0. 何を押さえるか

鎌倉幕府の滅亡(1333 年)から、南北朝の争いが長引くまでの流れです。天皇中心の政治をめざした建武の新政は武士の不満を招いて 3 年足らずで崩れ、
その後の半世紀以上の内乱のなかで、武家政権は「守護が国を束ねる」形へと変わっていきました。

建武の新政 室町幕府の出発(南北朝の動乱期)
中心人物 後醍醐天皇 足利尊氏(弟の直義が政務を分担)
拠点 京都 京都(北朝を立てる)
土地の保証 天皇の綸旨がないと認めない 幕府が武士の所領を保証する
基本方針 天皇の親政、公家を重んじる 建武式目(1336 年)
結末 1336 年に崩れ、後醍醐天皇は吉野へ 南北朝の対立が 1392 年まで続く

取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。

1. 建武の新政

根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)

後醍醐天皇は、足利高氏(のちの尊氏)や新田義貞らの力を借りて鎌倉幕府を倒し、天皇がみずから政治を行う体制をめざしました。

1333 年に鎌倉幕府が滅んだあと、後醍醐天皇が始めた天皇中心の政治を何という?

建武の新政

翌 1334 年に元号を「建武」と改めたことからこう呼ぶ。摂政・関白を置かず、天皇がみずから政治を行う形をめざした。

建武の新政で、所領をめぐる訴訟を扱うために置かれた機関は?

雑訴決断所

中央には重要な政務を扱う記録所も置かれた。訴訟が殺到して処理が追いつかず、混乱を招いた。

建武の新政が武士の不満を招いた主な理由は?

所領の保証に天皇の綸旨を必要とし、恩賞も公家に厚く武士に薄かったから

武士社会の慣習を無視したやり方が反発を呼んだ。当時の京都の混乱ぶりは「二条河原落書」に皮肉られている。

1335 年、北条高時の子の時行が鎌倉を一時奪った反乱は?

中先代の乱

これを鎮めるために関東へ下った足利尊氏が、そのまま新政に背いた。

2. 南北朝の分裂

根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)

足利尊氏は京都を押さえて新しい天皇を立て、幕府を開く方針を示しました。後醍醐天皇が吉野へ逃れたことで、二つの朝廷が並び立つ時代になります。

1336 年、足利尊氏が京都で立てた北朝の天皇は?

光明天皇

同じ年、後醍醐天皇は大和の吉野に移って自分こそ正統だと主張し、南朝を開いた。

1336 年、足利尊氏が幕府を開くにあたって政治の方針を示したものは?

建武式目

17 か条からなり、幕府の所在地や政治の心得を示した。裁判の基準となる法は、引き続き御成敗式目だった。

足利尊氏が征夷大将軍に任じられたのは何年か?

1338 年

幕府の成立を 1336 年(建武式目)とみるか 1338 年とみるかは、何を開幕の指標にするかで変わる。

1350 年ごろから、足利尊氏と弟の直義が争い、幕府が二つに割れた内紛を何という?

観応の擾乱

尊氏の執事の高師直と直義の対立に始まった。争う双方が南朝と結ぶこともあり、内乱が長引く一因になった。

3. 守護の権限の拡大

根拠: 学習指導要領 日本史探究-B-(3)-ア-(イ)

内乱が長く続いたのは、武士の家のあり方が変わり、一族のなかでも争いが起きやすくなっていたためでもあります。
幕府は地方の武士を味方につけるため守護の権限を広げ、守護は国の支配者へと成長していきました。

南北朝の動乱が長引いた背景にある、武士の相続のあり方の変化は?

分割相続から、嫡子がすべてを継ぐ単独相続に変わり、惣領制がゆるんだこと

一族の結びつきが弱まり、家の中や一族の間の対立が南朝・北朝に分かれて争う形になった。

鎌倉時代の守護の権限(大犯三カ条)に加えて、室町幕府が守護に与えた権限を 2 つ挙げると?

刈田狼藉の取り締まりと、使節遵行

刈田狼藉は所領争いで他人の田の稲を刈り取る実力行使。使節遵行は幕府の裁判の判決を現地で強制的に実行すること。

1352 年に出された半済令は、どんな内容の法か?

荘園・公領の年貢の半分を、兵粮として守護が武士に分け与えることを認めた

はじめは近江・美濃・尾張の 3 国で 1 年限りだったが、のちに全国に広がり、恒常的なものになった。

荘園や公領の領主が、年貢の徴収を守護に請け負わせたしくみを何という?

守護請

守護は国内の荘園・公領への支配を強めた。こうして国全体を支配するようになった守護を守護大名と呼ぶ。

南北朝の動乱で、武家政権はどのように変容したか?

幕府が権限を広げた守護を通じて、地方の武士を組織する体制になった

鎌倉幕府は将軍と御家人が御恩と奉公で直接結びついていた。室町幕府では、守護が国内の武士(国人)を家臣にしていった。

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