寛永期の文化と元禄文化
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」C (3) ア (ア) の、学問・文化の発展などを基に、幕藩体制の確立、近世の社会と文化の特色を理解する事項に当たります。
技術の向上と開発の進展で経済が豊かになったことが、17 世紀後半に上方の町人が担う元禄文化を生みました。
0. 何を押さえるか
江戸時代初めの寛永期の文化は、桃山文化を受け継ぎつつ、幕府・朝廷・京都の上層町人が担いました。
5 代綱吉のころの元禄文化は、京都・大坂の町人が主な担い手で、現実の世の中や人の心をえがく作品が生まれました。
| 寛永期の文化 | 元禄文化 | |
|---|---|---|
| 時期 | 17 世紀前半 | 17 世紀後半〜18 世紀初め |
| 担い手 | 幕府・朝廷・京都の上層町人 | 上方(京都・大坂)の町人 |
| 建築・美術 | 日光東照宮(権現造)、桂離宮(数寄屋造)、俵屋宗達「風神雷神図屏風」 | 尾形光琳「燕子花図屏風」、菱川師宣「見返り美人図」 |
| 文学・芸能 | ― | 井原西鶴(浮世草子)、松尾芭蕉(俳諧)、近松門左衛門(人形浄瑠璃の脚本) |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 琳派は俵屋宗達(寛永)に始まり、尾形光琳(元禄)が大成した。2 人は同じ時代の人ではない
- 近松門左衛門は脚本を書き、竹本義太夫が語った。語りの名手と作者を混同しない
- 元禄文化の中心は上方、化政文化の中心は江戸
1. 朱子学の広がり
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(ア)
戦乱が終わると、身分の上下と主従の秩序を重んじる朱子学が、幕府や藩に受け入れられていきました。
京都の禅僧から朱子学者となり、弟子の林羅山を徳川家康に推薦した人物は?
藤原惺窩
林羅山は家康から 4 代家綱まで仕え、林家が幕府の学問を代々担うもとになった。
なぜ幕府は朱子学を重んじたのか?
君臣・父子などの上下の秩序(大義名分)を重んじる教えが、身分制による支配を支えたから
学問・文化の発展は、幕藩体制の秩序を理論づける役割も持っていた。
朱子学の一派である南学から出て、神道と儒学を結びつけた垂加神道を唱えた人物は?
山崎闇斎
会津藩主保科正之に招かれた。京都で木下順庵らが広めた京学とは別の流れ。
2. 寛永期の文化
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(ア)
幕府の権威を示す豪華な霊廟と、簡素で洗練された書院風の建築が同じ時期に建てられました。
徳川家康を祀り、家光の時代に豪華に造り替えられた霊廟の建築様式は?
権現造(日光東照宮)
本殿と拝殿を石の間でつなぐ形。彫刻と彩色で飾り、幕府の権威を示した。
八条宮家の別荘で、書院造に茶室の要素を取り入れた数寄屋造の代表とされる建築は?
桂離宮
同じ寛永期、後水尾上皇は修学院離宮を営んだ。
「風神雷神図屏風」をえがき、装飾的な画風で琳派の祖とされる画家は?
俵屋宗達
同じころ本阿弥光悦は書・蒔絵・楽焼に優れ、京都の鷹ヶ峰に芸術家の集まる村を開いた。
有田焼で、上絵付の技法による赤絵を完成させた陶工は?
酒井田柿右衛門
朝鮮侵略の際に連れてこられた朝鮮人陶工の技術が、九州各地の窯業のもとになった。
3. 元禄文化の文学と芸能
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(ア)
経済の発展で豊かになった上方の町人が、自分たちの暮らしや欲望、義理と人情を作品にしました。
『好色一代男』『日本永代蔵』などの浮世草子で、町人の欲望や金銭をめぐる生活をえがいた作家は?
井原西鶴
もとは大坂の俳諧師。『世間胸算用』では大みそかの町人の懐具合をえがいた。
俳諧を芸術の域に高めた蕉風(正風)を確立し、『奥の細道』を著した人物は?
松尾芭蕉
さび・かるみなどを重んじ、各地を旅して門人を広げた。
『曽根崎心中』『国性爺合戦』など、人形浄瑠璃の脚本を書いた人物は?
近松門左衛門
『曽根崎心中』は実際の心中事件を題材にした世話物、『国性爺合戦』は歴史に題材をとった時代物。
元禄期の歌舞伎で、江戸で荒事を、上方で和事を得意とした役者はそれぞれ誰?
江戸=市川団十郎、上方=坂田藤十郎
荒事は勇ましい演技、和事は恋愛をえがくやわらかな演技。
4. 元禄文化の美術と学問
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(ア)
美術では琳派が大成され、庶民が買える版画の浮世絵が現れました。
学問でも、実際に役立つ研究が進みました。
「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」をえがき、琳派を大成した画家は?
尾形光琳
俵屋宗達の画風を学んだ。弟の尾形乾山は陶器で知られる。
「見返り美人図」で知られ、浮世絵を版画として広めてその祖とされる人物は?
菱川師宣
版画にしたことで安く大量に刷れるようになり、町人が絵を楽しめるようになった。
中国の暦を改めて日本独自の貞享暦をつくり、幕府の天文方に任じられた人物は?
渋川春海(安井算哲)
同じころ関孝和が和算を発達させ、貝原益軒が『大和本草』で本草学をまとめた。