享保の改革
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」C (3) ア (イ) の、産業の発達、飢饉や一揆の発生、幕府政治の動揺と諸藩の動向などを基に幕藩体制の変容を理解する事項に当たります。
18 世紀前半、財政が苦しくなった幕府を 8 代将軍徳川吉宗が立て直そうとした改革です。
0. 何を押さえるか
紀伊藩主から将軍になった徳川吉宗(将軍在職 1716〜1745)は、側用人政治をやめ、家康の時代を手本に自ら政治を行いました。
改革は 財政の立て直し・人材の登用・法と裁判の整備・実学の奨励の 4 本立てで考えると整理できます。
| ねらい | 主な政策 |
|---|---|
| 財政の立て直し | 上げ米、定免法、新田開発(町人請負新田)、倹約令 |
| 人材の登用 | 足高の制(大岡忠相らを登用) |
| 法と裁判の整備 | 公事方御定書、相対済し令、目安箱 |
| 実学の奨励・都市政策 | 漢訳洋書の輸入制限の緩和、甘藷の栽培、町火消、小石川養生所 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 上げ米は大名に米を出させる代わりに参勤交代の江戸にいる期間を半年に縮めた。参勤交代をやめたのではない
- 足高の制は在職中だけ不足分の石高を足す。家の石高(家禄)を永久に増やすのではない
- 公事方御定書は裁判の基準(刑法と訴訟法)、目安箱は庶民の意見を聞く箱。どちらも吉宗だが役割が違う
1. 財政の立て直し
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
旗本・御家人への給与が払えなくなるほど幕府の財政は悪化していました。
吉宗はまず緊急の収入を確保し、あわせて年貢を増やす仕組みを整えました。
上げ米(1722 年)で、吉宗は大名に何を求め、代わりに何を認めたか?
1 万石につき 100 石の米を上納させ、参勤交代の江戸在府の期間を半年に短くした
将軍が大名に頼る形で権威を損なうとして、財政が持ち直すとやめた。
年貢の率を、その年の作柄を調べて決める方法から、一定期間同じ率に固定する方法に改めたものを何という?
定免法
それまでの検見法をやめ、年貢の収入を安定させて増やした。
吉宗が「米公方」と呼ばれたのはなぜか?
米価の上げ下げに苦心し、米価の安定に力を注いだから
年貢米を売って収入を得る武士にとって、米価が安いことは収入の減少を意味した。大坂の堂島米市場も公認した。
2. 人材の登用と都市の政策
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
家柄が低くても有能な者を役職に就けられるようにし、江戸の町の暮らしを守る政策も進めました。
足高の制(1723 年)とはどのような制度か?
役職の基準の石高に家禄が足りない者を登用するとき、在職中に限って不足分を支給する制度
幕府の出費を抑えながら、家柄の低い有能な人材を登用できた。
足高の制などで登用され、江戸の町奉行として町火消の組織などを進めた人物は?
大岡忠相
町火消は「いろは」の組に分けて、町人の手で消火にあたらせた。
目安箱への投書をきっかけに、江戸で貧しい病人を治療するためにつくられた施設は?
小石川養生所
目安箱は評定所の前に置かれ、庶民の意見を政治に取り入れる道になった。
3. 法と裁判の整備
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
裁判の数が増え、判断のばらつきも問題になっていました。
吉宗は訴訟の処理を減らし、判決の基準を成文にしました。
1742 年、吉宗のもとで編まれた、裁判や刑罰の基準となる法典は?
公事方御定書
それまでの判例をもとに定め、裁判を公平で迅速にするねらいがあった。
金銭の貸し借りをめぐる訴訟を幕府が受け付けず、当事者どうしで解決させた法令は?
相対済し令
こうした訴訟が激増して、奉行所の仕事が滞っていたためだった。
吉宗の命で、それまでに出された幕府の法令を集めて編集した法令集は?
御触書寛保集成
公事方御定書が裁判の基準、御触書寛保集成は法令そのものの集成。どちらも法による支配を整える仕事だった。
4. 実学の奨励と改革の結果
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(イ)
吉宗は、生活や産業に役立つ学問を奨励しました。これはのちの蘭学の発展につながり、産業の発達を後押しします。
一方で年貢の取り立ての強化は百姓の負担を重くしました。
吉宗は漢訳洋書の輸入について、どのような政策をとったか?
キリスト教に関係しないものに限って輸入の制限を緩めた
青木昆陽・野呂元丈にオランダ語を学ばせ、蘭学が起こるきっかけになった。
飢饉に備える作物として、青木昆陽に研究させ栽培を広めた作物は?
甘藷(さつまいも)
ほかにもさとうきび・朝鮮人参などの栽培を奨励し、輸入に頼る品の国産化をはかった。
享保の改革で幕府の財政は持ち直したが、百姓にとってはどうだったか?
年貢の増徴で負担が重くなり、百姓一揆が増えた
1732 年の享保の飢饉のあと、翌年には江戸で初めての打ちこわしが起きた。改革で立て直せても、幕府政治の動揺の火種は残った。