大日本帝国憲法と初期議会
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (ア) の「大日本帝国憲法の制定」と「立憲体制への移行」に当たります。
東アジアで初めての近代的な憲法と議会が生まれ、政府と政党が議会の場で争う時代が始まりました。
0. 何を押さえるか
大日本帝国憲法は、天皇が定めて国民に与える欽定憲法で、天皇に強い権限(天皇大権)を残しつつ、
予算や法律には帝国議会の同意を必要としました。この「議会の同意」が、初期議会で政府と民党がぶつかる舞台になります。
| 中身 | |
|---|---|
| 制定の形 | 欽定憲法(天皇が定めて与える) |
| 手本 | ドイツ(プロイセン)の憲法 |
| 天皇 | 統治権を総攬。陸海軍の統帥、宣戦・講和・条約の締結、緊急勅令など |
| 帝国議会 | 貴族院と衆議院の二院制。両院はほぼ対等 |
| 国民 | 「臣民」。権利は法律の範囲内で認められる |
| 大臣 | 各国務大臣が天皇を輔弼し、天皇に対して責任を負う |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 手本はイギリスではなくドイツ。君主の権限が強い憲法を選んだ
- 内閣制度(1885 年)は憲法発布(1889 年)より前。初代内閣総理大臣は伊藤博文
- 民党は政府に反対した政党(立憲自由党・立憲改進党)、吏党は政府を支持した政党。初期議会では民党が衆議院の多数を占めた
1. 憲法制定の準備
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
国会開設の約束を受けて、政府は伊藤博文を中心に、憲法と、それを支える制度を先に整えていきました。
1882 年、憲法調査のためヨーロッパに渡った伊藤博文が、主に学んだのはどこの国の憲法理論か?
ドイツ(プロイセン)
ベルリン大学のグナイスト、ウィーン大学のシュタインから、君主権の強い憲法の理論を学んだ。
1885 年、太政官制に代えて設けられた制度と、その初代の長は?
内閣制度、初代内閣総理大臣は伊藤博文
各省の長官が国務大臣として内閣を構成する形になった。前年には、将来の貴族院の土台となる華族令が出ている。
伊藤博文らが作った憲法草案を、天皇の臨席のもとで審議するため 1888 年に設けられた機関は?
枢密院
初代議長は伊藤博文。草案の作成には井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎や、ドイツ人顧問ロエスレルが関わった。
2. 大日本帝国憲法の中身
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
1889 年 2 月 11 日、黒田清隆内閣のもとで大日本帝国憲法が発布されました。
大日本帝国憲法が「欽定憲法」であるとは、どういうことか?
天皇が定めて国民に与える形の憲法であること
国民の代表が定める「民定憲法」と対になる言葉。日本国憲法は民定憲法にあたる。
大日本帝国憲法で、議会の関与なしに天皇が行使できるとされた権限を何という? 例を 2 つ挙げると?
天皇大権。陸海軍の統帥権、宣戦・講和・条約の締結
ほかに、議会が閉会中に法律に代わる緊急勅令を出す権限や、文武官の任免権などがあった。
大日本帝国憲法のもとで、国民(臣民)の権利はどのように認められたか?
法律の範囲内で、言論・集会・結社の自由などが認められた
法律によって権利を制限できる余地が大きかった。
帝国議会の二院はそれぞれ何か。また、両院の関係は?
貴族院と衆議院。両院はほぼ対等
貴族院は皇族・華族や勅任議員からなり、公選の衆議院をおさえる役割を持った。予算は衆議院が先に審議した。
1889 年の衆議院議員選挙法で、選挙権を持てたのはどんな人々か?
直接国税 15 円以上を納める満 25 歳以上の男性
有権者は全人口の 1% 余りで、地主が多くを占めた。
3. 初期議会
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
1890 年に第 1 回衆議院議員総選挙が行われ、第一議会が開かれました。
日清戦争までの第一〜第六議会を初期議会と呼びます。
憲法発布の直後、首相黒田清隆が示した「政府は政党の意向に左右されない」という方針を何という?
超然主義
政党の力を借りずに政治を進めようとしたため、議会で民党と衝突することになった。
初期議会で民党が掲げたスローガンは?
政費節減・民力休養
行政費を削って地租を軽くせよという主張で、政府の予算案を削減しようとした。
第一議会で、首相山県有朋が軍事費の必要を説いた演説で用いた 2 つの言葉は?
主権線と利益線
国境(主権線)だけでなく、朝鮮を含む利益線を守る必要があると訴えた。
1892 年、第二議会の解散後の総選挙で、松方正義内閣の内務大臣品川弥二郎が行ったことは?
民党の候補者に激しい選挙干渉を行った
多くの死傷者が出たが、それでも民党が多数を占め、内閣は退陣に追い込まれた。
第 2 次伊藤博文内閣は、軍艦の建造費をめぐる民党との対立をどう乗り切ったか?
天皇の詔書を出してもらい、宮廷費を削って建艦費に充てることで議会の協力を得た
伊藤内閣は自由党との接近も進め、やがて日清戦争が始まると議会は政府に協力した。