条約改正
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (ア) の「条約改正」に当たります。
幕末に結んだ不平等条約を改めることは、明治政府が 40 年近くかけて取り組んだ最大の外交課題でした。
0. 何を押さえるか
条約改正の目標は 2 つ、領事裁判権(治外法権)の撤廃と関税自主権の回復です。
前者は 1894 年、後者は 1911 年に実現し、2 段階で達成されました。
| 担当者 | 時期 | 目標・方法 | 結果 |
|---|---|---|---|
| 岩倉具視 | 1871〜73 | 予備交渉 | 失敗し、視察に切り替え |
| 寺島宗則 | 1870 年代後半 | 関税自主権の回復 | アメリカは同意、英独が反対して無効 |
| 井上馨 | 1880 年代 | 外国人判事の任用、欧化政策 | 批判を受けて中止 |
| 大隈重信 | 1888〜89 | 大審院に限って外国人判事 | 襲撃され中止 |
| 青木周蔵 | 1891 | イギリスと交渉 | 大津事件で辞任 |
| 陸奥宗光 | 1894 | 日英通商航海条約 | 領事裁判権の撤廃 |
| 小村寿太郎 | 1911 | 日米通商航海条約の改正 | 関税自主権の回復 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 領事裁判権の撤廃は陸奥宗光(1894 年)、関税自主権の回復は小村寿太郎(1911 年)
- 井上馨と大隈重信がつまずいたのは、外国人判事を認める点。国の主権を損なうとして強い反対を受けた
- イギリスが改正に応じたのは、ロシアの東アジア進出を警戒して日本に接近したから
1. 初期の交渉と井上馨の欧化政策
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
政府は、欧米と対等な国になるには、法律や社会の仕組みを欧米並みに整える必要があると考えました。
1870 年代後半、外務卿寺島宗則が、まず回復を目指した権利は?
関税自主権
アメリカは同意したが、イギリス・ドイツが反対したため、新しい条約は発効しなかった。
外務卿・外務大臣井上馨の改正案で、領事裁判権の撤廃と引き換えに認めようとしたことは?
外国人判事の任用と、外国人の内地雑居(国内での自由な居住・営業)
外国人が関わる裁判に外国人の判事を加えることは主権の侵害だと、政府の内外から批判された。
井上馨が交渉を有利に進めるため、東京に建てた洋風の社交場を舞台に進めた政策を何という?
欧化政策(鹿鳴館外交)
鹿鳴館で舞踏会を開くなど、欧米の風俗をまねる政策は、うわべだけだと批判された。
1886 年、イギリス船が沈没し、日本人乗客が全員死亡したのにイギリスの領事裁判で船長が軽い刑で済んだ事件は?
ノルマントン号事件
領事裁判権の撤廃を求める世論が高まった。井上の改正交渉は 1887 年に中止された。
2. 大隈重信と青木周蔵の交渉
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
井上のあと、交渉は国ごとに個別に進める方式に変わりましたが、外国人判事の問題はなお残りました。
外務大臣大隈重信の改正案で、とくに批判を浴びた点は?
大審院に限って外国人判事の任用を認めたこと
イギリスの新聞に内容が報じられて反対が強まり、大隈は 1889 年に国家主義団体の青年に爆弾で襲われて交渉は中止された。
外務大臣青木周蔵のとき、イギリスが条約改正に前向きになった理由は?
ロシアがシベリア鉄道を建設して東アジアに進出するのを警戒したから
イギリスは日本をロシアへの備えとして重く見るようになった。
1891 年、来日中のロシア皇太子が滋賀県で警備の巡査に斬りつけられ、青木周蔵が辞任した事件は?
大津事件
政府は犯人を死刑にするよう求めたが、大審院長児島惟謙は法に従って無期徒刑とし、司法権の独立を守ったとされる。
3. 領事裁判権の撤廃
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
憲法や法律が整い、議会が開かれたことで、日本は欧米に近代的な法治国家として認められつつありました。
1894 年、外務大臣陸奥宗光がイギリスと結び、領事裁判権の撤廃を実現した条約は?
日英通商航海条約
日清戦争の開戦の直前に調印された。ほかの国々とも同じ内容の条約を結び、1899 年に施行された。
日英通商航海条約では、関税についてどこまで改められたか?
税率の一部を引き上げただけで、関税自主権の完全な回復には至らなかった
最恵国待遇も相互に与え合う対等なものになった。
1899 年に改正条約が施行されたことで、外国人が認められるようになったことは?
居留地の外でも自由に住み、営業すること(内地雑居)
居留地は廃止され、外国人も日本の法律と裁判に従うことになった。
4. 関税自主権の回復
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
日露戦争に勝ち、列強の一員とみなされるようになった日本は、残る関税自主権の回復に取り組みました。
1911 年、関税自主権の回復を実現した外務大臣は?
小村寿太郎
日米通商航海条約の改正で完全な回復を果たし、ほかの国々とも同様の条約を結んだ。
条約改正の 2 つの目標を、実現した順に並べると?
領事裁判権の撤廃(1894 年)→ 関税自主権の回復(1911 年)
幕末の修好通商条約から半世紀余りで、日本は欧米と対等な条約を結ぶ国になった。
条約改正の達成は、日本のどんな変化と並行していたか?
憲法の制定と議会の開設、日清・日露戦争の勝利による国際的地位の向上
法制度の整備で近代国家と認められ、戦争の勝利で列強の一員とみなされたことが交渉を後押しした。