地方支配の変化と武士の出現
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」A (3) ア (イ) の「地方支配の変化や武士の出現」に当たります。
戸籍と班田で人をつかむ律令の仕組みが崩れ、国司に税の徴収を任せる仕組みへ変わったこと、荘園が広がったこと、地方の争いの中から武士が生まれたことを押さえます。
0. 何を押さえるか
9 世紀になると、戸籍をごまかしたり、口分田を捨てて逃げたりする農民が増え、班田収授は行き詰まりました。
10 世紀には、政府は人ではなく土地に税をかける仕組みに切り替え、その運営を国司に任せます。
| 律令の仕組み(8 世紀) | 10 世紀以降の仕組み | |
|---|---|---|
| 税をかける単位 | 人(戸籍・計帳で把握) | 土地(名という単位の田) |
| 税を納める人 | 口分田を与えられた農民 | 田堵などの有力農民(負名) |
| 国司の役割 | 律令の定めどおりに治める | 一定の額を納める代わりに国内の支配を任される |
| 地方の軍事 | 軍団の兵士 | 武士が担うようになる |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 受領は、任国に赴く国司の最上席の者。任国に行かずに収入だけを得る国司は遙任という
- 不輸の権は税を免除される権利、不入の権は国司の使いの立ち入りを拒む権利
- 平将門は東国(関東)、藤原純友は西国(瀬戸内海)で乱を起こした。ほぼ同じ時期で、合わせて承平・天慶の乱という
1. 受領と負名
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(イ)
戸籍で人をつかめなくなった政府は、国司に一定額の税を納めさせる代わりに、国内の支配の多くを任せるようになりました。
地方支配の変化の中心は、この国司の役割の変化です。
9 世紀に戸籍の記載をごまかす偽籍が広がったとき、女性として登録される人が多かったのはなぜか?
女性は調・庸や兵役などの負担がないため
戸籍で人をつかむ仕組みが実態と合わなくなり、班田収授は 10 世紀初めを最後に行われなくなった。
10 世紀以降、任国に赴いて国の支配を任された国司の最上席の者を何という?
受領
一定額の税を納めれば、残りを自分の収入にできたので、強欲な受領も多かった。
10 世紀以降、国司から田地の耕作と税の納入を請け負った有力農民を何という?
田堵(請け負った田を名といい、税を負う者を負名という)
税は人ではなく名にかけられ、官物・臨時雑役と呼ばれた。
988 年、尾張国の郡司や百姓が、国司の藤原元命の悪政を訴えた文書は?
尾張国郡司百姓等解
元命は訴えにより国司をやめさせられた。受領の横暴を示す例とされる。
私財を出して朝廷の儀式や寺社の造営を助け、その見返りに官職を得ることを何という?
成功
同じ官職に再び任じられることを重任という。国司の地位は利権として求められるようになった。
任国に赴かない国司に代わって、国府で実務を担った地方の有力者たちを何という?
在庁官人
国司は代理として目代を送り、国府は留守所と呼ばれるようになった。
2. 寄進地系荘園
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(イ)
地方で土地を開発した有力者は、国司の税の取り立てから土地を守るため、中央の有力な貴族や寺社に土地を寄進しました。
こうして 11 世紀以降、寄進地系荘園が各地に広がります。
開発領主が土地を中央の貴族や寺社に寄進したのはなぜか?
国司の税の取り立てや干渉から土地を守るため
開発領主は荘官(下司・公文など)として現地を実際に支配し続けた。
寄進を受けた貴族・寺社を領家、領家がさらに寄進した上級の有力者を何という?
本家
本家と領家のうち、荘園を実際に支配する権利を持つ者を本所という。
荘園が得た権利のうち、税を免除されるものと、国司の使いの立ち入りを拒むものをそれぞれ何という?
不輸の権と不入の権
太政官や民部省の文書で不輸を認められた荘園を官省符荘、国司が認めたものを国免荘という。
3. 武士の出現と承平・天慶の乱
根拠: 学習指導要領 日本史探究-A-(3)-ア-(イ)
地方の政治が乱れるなかで、地方の豪族や有力農民は、自分の土地を守るために武装しました。
こうして生まれた武士は、一族や従者を率いて武士団をつくり、やがて都の貴族の血を引く者を棟梁として大きくまとまっていきます。
武士団の中で、棟梁として多くの武士を束ねるようになった一族は?
清和源氏と桓武平氏
ともに天皇の子孫で、地方に下った国司の子孫などが土着して武士団を率いた。
939 年に関東で反乱を起こし、「新皇」を名乗った人物と、その乱を鎮めた人物は?
平将門、平貞盛と藤原秀郷
一族の争いから始まり、常陸などの国府を襲って関東の大半を支配した。
939 年に瀬戸内海の海賊を率いて反乱を起こし、941 年には大宰府を攻め落とした元伊予国の役人は?
藤原純友
小野好古や源経基らに鎮められた。将門の乱と合わせて承平・天慶の乱という。
承平・天慶の乱によって明らかになったことは?
朝廷の軍事力が弱く、乱を鎮めるには武士の力に頼るしかないこと
武士の出現は、律令の軍団による軍事の仕組みが崩れたことの表れでもある。
1019 年に九州北部を襲った刀伊の入寇を撃退したのは誰か?
大宰権帥の藤原隆家が率いた九州の武士たち
刀伊は中国東北部の女真人とされる。地方の防衛も武士が担うようになっていた。
1028 年に房総半島で起きた平忠常の乱を鎮めたことで、東国に勢力を広げるきっかけをつかんだのは誰か?
源頼信(清和源氏)
これ以後、清和源氏が東国の武士と結びつきを強めていった。