四つの口と琉球・アイヌ
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」C (3) ア (ア) の、貿易の統制と対外関係などから、幕藩体制の確立を理解する事項に当たります。
内容の取扱いは、長崎、琉球、対馬、松前藩やアイヌの人々を通して、それぞれオランダ、中国、朝鮮との交流や北方貿易が行われたことを取り上げるよう求めています。
0. 何を押さえるか
「鎖国」のもとでも、日本は外の世界と切れていたわけではありません。
長崎・対馬・薩摩・松前の 4 つの窓口(四つの口)を通して、異国・異民族との交流が続いていました。
長崎は幕府が直接管理し、ほかの 3 つは藩(対馬藩・薩摩藩・松前藩)が幕府から任されていました。
| 窓口 | 担当 | 相手 | 何が行われたか |
|---|---|---|---|
| 長崎 | 幕府(長崎奉行) | オランダ・中国 | 出島のオランダ商館、唐人屋敷の中国商人との貿易 |
| 対馬 | 対馬藩(宗氏) | 朝鮮 | 釜山の倭館での貿易、通信使の往来の仲立ち |
| 薩摩 | 薩摩藩(島津氏) | 琉球(その先の中国) | 琉球を支配し、琉球の朝貢貿易を通して中国の産物を得る |
| 松前 | 松前藩(松前氏) | アイヌ | アイヌとの交易を独占。アイヌは樺太や大陸とも交易(北方貿易) |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 長崎で相手にしたのはオランダと中国。朝鮮は対馬、琉球は薩摩、アイヌは松前が窓口
- 琉球は薩摩に支配されながら、中国への朝貢も続けた。日本と中国の両方に属する形(両属)になった
- 朝鮮とは正式な国交(通信使の来日)があったが、オランダ・中国とは国交のない貿易だけの関係だった
1. 長崎 — オランダと中国
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(ア)
長崎は幕府の直轄地で、長崎奉行が貿易を管理しました。来航が許されたのは、オランダ船と中国船だけです。
四つの口のうち、幕府が直接管理した窓口と、そこで貿易した相手は?
長崎。オランダと中国
ほかの 3 つの窓口(対馬・薩摩・松前)は、それぞれの藩に任されていた。
長崎に来航するオランダ船が、海外の情報をまとめて幕府に出した報告書を何という?
オランダ風説書
幕府はこれによって、限られた窓口からでも海外の動きを知ることができた。
長崎に来航する中国の商人を住まわせるため、17 世紀末に設けられた施設は?
唐人屋敷
それまで町に雑居していた中国人を一か所に集めた。オランダ人の出島に当たる施設。
2. 対馬 — 朝鮮
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(ア)
秀吉の出兵で断たれた朝鮮との国交は、家康のもとで対馬の宗氏が仲立ちして回復しました。
1609 年、対馬藩の宗氏が朝鮮と結び、朝鮮との貿易の決まりを定めた条約は?
己酉約条
対馬藩は朝鮮との貿易を独占し、その利益が藩の財政を支えた。
朝鮮との貿易のため、朝鮮の釜山に設けられた対馬藩の施設は?
倭館
対馬藩の役人や商人が滞在し、ここで取引が行われた。
将軍の代替わりなどに、朝鮮から日本に送られた使節を何という?
通信使(朝鮮通信使)
江戸時代を通じて 12 回来日した。最初の 3 回は、秀吉の出兵で連れ去られた人々を連れ帰る役目も負っていた。
3. 薩摩 — 琉球
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(ア)
琉球王国は、明・清への朝貢で栄えた中継貿易の国でした。17 世紀初めに薩摩藩に征服されてからも、王国の形は保たれました。
1609 年、琉球王国を武力で征服し、支配下に置いた藩は?
薩摩藩(島津家久)
薩摩藩は琉球で検地を行い、年貢を取るようになった。
薩摩藩は、支配下に置いた琉球の中国への朝貢をどう扱ったか? それはなぜか?
やめさせず続けさせた。朝貢貿易で得られる中国の産物を手に入れるため
琉球は、日本(薩摩藩)と中国の両方に従う立場になった。
琉球国王の代替わりごとに、琉球から江戸に送られた使節は? 将軍の代替わりごとの使節は?
謝恩使(国王の代替わり)、慶賀使(将軍の代替わり)
使節には中国風の服装をさせ、幕府は異国が将軍にあいさつに来る形を演出した。
4. 松前 — アイヌと北方貿易
根拠: 学習指導要領 日本史探究-C-(3)-ア-(ア)
蝦夷地に住むアイヌの人々は、狩猟・漁労を営み、交易を通して和人や、樺太・大陸の人々と結びついていました。
アイヌの人々が大陸から得た絹織物(蝦夷錦)などが和人にも渡るなど、北方貿易の要でした。
1604 年、家康からアイヌとの交易を独占する権利を認められた大名は?
松前氏(松前藩)
蝦夷地の南部に拠点を置いた。米がとれないため、アイヌとの交易の利益が藩の財政を支えた。
松前藩が、上級の家臣に米の代わりにアイヌとの交易の権利を与えた仕組みを何という?
商場知行制
家臣は与えられた交易場所(商場)でアイヌと取引し、その利益を収入とした。
1669 年、不利な交易を強いられたアイヌの人々が、松前藩に対して起こした戦いは?
シャクシャインの戦い
シャクシャインを中心に広い地域のアイヌが立ち上がったが、鎮圧された。以後、アイヌは松前藩への従属を強められた。
18 世紀ごろから、商場での交易を和人の商人に請け負わせるようになった仕組みを何という?
場所請負制
商人はアイヌを漁場などで働かせるようになり、アイヌの人々はいっそう厳しい立場に置かれた。