みならいノート

日本史探究 2027年度版

列強の接近と幕府の対外政策

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このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。

学習指導要領「日本史探究」D (1) ア (ア) の「対外政策の変容と開国」に当たる部分の前半です。
18 世紀の末から、ロシア・イギリス・アメリカの船が日本の近海に現れ、幕府は鎖国を守るための方針を何度も変えました。

0. 何を押さえるか

19 世紀前半の幕府の対外政策の変容は、「打ち払う」と「燃料・水を与えて帰す」の間を行き来しました。
開国に至る前の段階として、何がきっかけで方針が変わったかを並べて覚えます。

年 出来事 幕府の方針
1792 ラクスマンが根室に来航 通商は拒み、長崎への入港許可証を与える
1804 レザノフが長崎に来航 通商を拒否
1806 ロシア船の来航が続く 文化の撫恤令(燃料・水を与えて帰す)
1825 イギリス船などの接近が続く 異国船打払令(見つけしだい打ち払う)
1842 アヘン戦争で清が敗れる 天保の薪水給与令(燃料・水・食料を与えて帰す)

取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。

1. ロシアの接近と北方の調査

根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(1)-ア-(ア)

ロシアはシベリアを東へ進み、18 世紀の末に日本との通商を求めてきました。
幕府は北方の防備を意識し、蝦夷地や樺太の調査を進めます。

1792 年、漂流民の大黒屋光太夫らを連れて根室に来航し、通商を求めたロシアの使節は?

ラクスマン

老中松平定信の時代。幕府は通商を拒みつつ、長崎への入港許可証(信牌)を与えて帰らせた。

1804 年、ラクスマンが得た入港許可証を持って長崎に来航したロシアの使節は?

レザノフ

幕府が通商を拒んだため、その後ロシア船が樺太や択捉島を攻撃する事件が起きた。

幕府の命で 1808 年から樺太を探査し、樺太が島であることを確かめた人物は?

間宮林蔵

大陸と樺太の間の海峡は、のちに間宮海峡と呼ばれた。択捉島の探査は、それより前に近藤重蔵・最上徳内らが行っている。

ロシアとの緊張が高まった 1807 年、幕府は蝦夷地をどう扱ったか?

松前藩から取り上げ、全域を幕府の直轄地にした

松前奉行を置いて防備を固めた。ロシアとの関係が落ち着いた 1821 年に松前藩へ戻した。

1811 年、国後島で幕府の役人に捕らえられたロシア軍艦の艦長は?

ゴローウニン(ゴローウニン事件)

報復としてロシア側に捕らえられた商人の高田屋嘉兵衛が送還後に仲立ちし、1813 年にゴローウニンは釈放された。

2. イギリス船・アメリカ船と異国船打払令

根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(1)-ア-(ア)

19 世紀に入ると、イギリスの船も日本近海に現れます。
幕府は外国船への警戒を強め、ついに見つけしだい打ち払う方針をとりました。

1808 年、イギリスの軍艦が長崎に侵入し、オランダ商館員を捕らえて薪水・食料を求めた事件は?

フェートン号事件

ナポレオン戦争でオランダと敵対したイギリスが、オランダ船を追って来た。長崎奉行松平康英は責任をとって自害した。

1825 年、清・オランダ以外の外国船は見つけしだい打ち払えと命じた幕府の法令は?

異国船打払令(無二念打払令)

イギリスの捕鯨船などが近海に現れ、上陸する事件も起きたことに対応した。

1837 年、日本人漂流民を送り届けに来たアメリカの商船が、浦賀などで砲撃された事件は?

モリソン号事件

異国船打払令に従って打ち払ったもの。通商を求める目的もあった。

モリソン号事件の打ち払いを批判した渡辺崋山・高野長英らが処罰された事件は?

蛮社の獄(1839 年)

渡辺崋山は『慎機論』、高野長英は『戊戌夢物語』で幕府の対外政策を批判した。

3. アヘン戦争と対外政策の変容

根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(1)-ア-(ア)

清がイギリスに敗れたという知らせは、幕府に強い衝撃を与えました。
打ち払いを続ければ日本も戦争に巻き込まれると考え、方針を改めます。

1840〜42 年、清がイギリスに敗れ、南京条約で香港を割譲した戦争は?

アヘン戦争

アジアの大国である清の敗北は、オランダ風説書などを通じて幕府に伝わった。

アヘン戦争の結果を知った幕府は、異国船打払令をどう改めたか?

天保の薪水給与令(1842 年)で、漂着した外国船に燃料・水・食料を与えて帰すことにした

老中水野忠邦の天保の改革の時期。打ち払いによって列強と戦争になるのを避けるためだった。

天保の薪水給与令は、鎖国をやめたことを意味するか?

意味しない。通商は認めず、外国船を穏便に帰すための方針だった

開国(和親条約)は、1853 年のペリー来航を経た 1854 年のことになる。

1844 年、国王の親書で幕府に開国を勧めたヨーロッパの国は?

オランダ

幕府はこの勧告を断り、鎖国を続けた。1846 年に浦賀に来たアメリカのビッドルの通商要求も拒んでいる。

寛政の改革のころ、『海国兵談』で海岸防備の必要を説き、幕府に処罰された人物は?

林子平

ラクスマン来航の前年、1791 年に刊行された。幕政への批判とみなされ、版木を没収された。

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