冷戦と平和条約・独立の回復
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (エ) のうち、平和条約と独立の回復を扱います。
アメリカとソ連の冷戦が東アジアに及ぶと、アメリカは占領政策の重点を民主化から経済の復興へ移しました。朝鮮戦争をへて、日本は 1951 年に平和条約を結び、翌年主権を回復します。
0. 何を押さえるか
1951 年 9 月 8 日、日本は同じ日に 2 つの条約に調印しました。
| サンフランシスコ平和条約 | 日米安全保障条約 | |
|---|---|---|
| 相手 | 48 か国 | アメリカ |
| 中身 | 戦争状態の終結、日本の主権の回復、領土の範囲 | 独立後もアメリカ軍が日本に駐留する |
| 発効 | 1952 年 4 月 28 日 | 同じ日 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- ソ連は会議に出席したが調印せず、中華人民共和国と中華民国はどちらも招かれなかった
- 旧安保条約にはアメリカの日本防衛義務が明記されず、期限もなかった。これを改めたのが 1960 年の新安保条約
- 警察予備隊(1950)→保安隊(1952)→自衛隊(1954)の順
1. 冷戦と占領政策の転換
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(エ)
1948 年に朝鮮半島で南北に 2 つの国家が成立し、翌年には中華人民共和国が成立しました。アメリカは日本を東アジアの友好国として育てる方針に変えます。
冷戦の激化を受けて、アメリカが日本の占領政策をどう転換したか?
非軍事化・民主化の徹底から、経済を復興させて日本を西側陣営の一員として強くする方向へ
過度経済力集中排除法の適用は大幅に緩められ、公職追放も順次解除された。
1948 年 12 月、GHQ が日本政府に指示した、予算の均衡や徴税の強化などによってインフレを抑えるための方針は?
経済安定九原則
これを具体化するため、翌年アメリカの銀行家ドッジが来日した(ドッジ・ライン)。
1948 年、GHQ の指示を受けた政令で、国家公務員が失ったものは?
争議権(ストライキをする権利)
これを政令 201 号という。労働運動の高まりを抑えるねらいがあった。1947 年には GHQ の命令で二・一ゼネストが中止させられていた。
2. 朝鮮戦争と再軍備
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(エ)
1950 年 6 月、北朝鮮が韓国に侵攻して朝鮮戦争が始まりました。在日アメリカ軍が朝鮮半島に出動すると、日本の防衛と治安が問題になります。
朝鮮戦争が始まった 1950 年、GHQ の指令で日本に新設された組織は?
警察予備隊
1952 年に保安隊、1954 年には自衛隊に改組された。自衛隊の発足と同じ年に防衛庁が設けられた。
1950 年、GHQ の指示で共産党員やその同調者が職場から追放されたことを何という?
レッドパージ
同じ年、GHQ の後押しで反共産党の立場をとる労働組合の全国組織として日本労働組合総評議会(総評)が結成された。
1954 年、アメリカから経済援助を受ける代わりに、日本が防衛力の増強を義務づけられた協定は?
MSA 協定(日米相互防衛援助協定など)
この協定を受けて、同じ年に自衛隊が発足した。
3. サンフランシスコ平和条約
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(エ)
講和の進め方をめぐって、国内の意見は割れました。第 3 次吉田茂内閣は、西側諸国とだけでも早く講和する道を選びます。
ソ連なども含むすべての交戦国と講和すべきだという主張と、西側諸国とだけでも講和すべきだという主張を、それぞれ何という?
全面講和論と単独講和論(片面講和)
南原繁らの知識人、社会党・共産党は全面講和を唱えた。社会党はこの問題で左派と右派に分裂した。
1951 年 9 月、サンフランシスコ平和条約に調印した日本の首席全権は?
吉田茂
日本は 48 か国と調印した。インド・ビルマなどは会議に参加せず、のちに個別に平和条約を結んだ。
サンフランシスコ平和条約で、日本が放棄した地域は?
朝鮮(独立を承認)、台湾・澎湖諸島、千島列島、南樺太など
日本政府は、北方領土(択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島)は日本固有の領土で、放棄した千島列島には含まれないとの立場をとっている。
サンフランシスコ平和条約で、沖縄・奄美・小笠原はどう扱われたか?
引き続きアメリカの施政権下に置かれた
奄美群島は 1953 年、小笠原諸島は 1968 年、沖縄は 1972 年に日本に返還された。
サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が独立を回復した日は?
1952 年 4 月 28 日
同じ日に、日本は台湾の中華民国と日華平和条約を結んだ。
4. 日米安全保障条約
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(エ)
独立を回復したあとも、アメリカ軍は日本にとどまることになりました。
平和条約と同じ日に結ばれた日米安全保障条約で、日本が認めたことは?
独立後もアメリカ軍が日本に駐留し、基地を使うこと
アメリカ軍は極東の平和と安全の維持や、日本国内の大規模な内乱の鎮圧にも出動できるとされた。
1951 年の日米安全保障条約の不平等な点として、のちに改定を求められた点は?
アメリカが日本を防衛する義務が明記されておらず、条約に期限もなかった
1952 年の日米行政協定で、日本は基地を提供し、駐留費用を分担することになった。