仏教の受容と平安仏教
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「倫理」A (2) ア (ア) の「我が国の風土や伝統,外来思想の受容などを基に」のうち、最初に来た大きな外来思想である仏教を扱います。
6 世紀に伝わった仏教が、聖徳太子の理解、奈良時代の国家仏教、平安時代の最澄・空海と浄土信仰へと、日本でどう受け止められていったかを見ます。
0. 何を押さえるか
仏教は初め、国家を守る力(鎮護国家)として受け入れられ、次第に個人の救いを説く教えへと重心を移していきます。
平安時代の最澄と空海は、それぞれ新しい宗派を開き、のちの鎌倉仏教の母体になりました。
| 最澄 | 空海 | |
|---|---|---|
| 宗派 | 天台宗 | 真言宗 |
| 拠点 | 比叡山延暦寺 | 高野山金剛峯寺 |
| 中心の考え | 一切衆生悉有仏性(すべての者に仏になる性質がある) | 即身成仏(この身のままで仏になる) |
| 著作 | 『山家学生式』 | 『三教指帰』『十住心論』 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 「一切衆生悉有仏性」は最澄、「即身成仏」は空海。最澄は、すべての人が仏になれると主張して法相宗と論争した
- 「世間虚仮,唯仏是真」は聖徳太子(十七条憲法ではなく、太子の言葉として伝わるもの)。十七条憲法の第一条は「和を以て貴しと為す」
- 浄土信仰を広めたのは空也(市聖)と源信(『往生要集』)。浄土宗の開祖は鎌倉時代の法然で、平安の人物ではない
1. 聖徳太子と仏教の受容
根拠: 学習指導要領 倫理-A-(2)-ア-(ア)
仏教は 6 世紀に朝鮮半島の百済から伝わりました。当初、仏は「蕃神(となりのくにのかみ)」として、日本の神と同じような力を持つものと受け止められました。
その仏教を思想として深く理解しようとしたのが、聖徳太子(厩戸王)とされます。
聖徳太子が定めたとされる十七条憲法の第一条で、最も大切にすべきとされたことは?
和(「和を以て貴しと為す」)
対立を避け、話し合いによって物事を決めることを求めた。第二条では仏・法・僧の三宝を敬うよう説く。
聖徳太子の言葉として伝わり、この世は仮のもので仏だけが真実であるという仏教的な世界観を表したものは?
世間虚仮,唯仏是真(せけんこけ,ゆいぶつぜしん)
現世を仮のものとみる無常観が表れている。
十七条憲法で、人はみな欲にとらわれた存在であるから、自分だけが正しいと思い込まないよう説く際に用いられた言葉は?
凡夫(「共に是れ凡夫のみ」)
自分も相手も等しく迷いの中にある凡夫だと自覚すれば、争いを避けられるとした。
2. 奈良仏教と鎮護国家
根拠: 学習指導要領 倫理-A-(2)-ア-(ア)
奈良時代には、仏教の力で国家の安泰を守ろうとする考えが国の政策になりました。
仏教はまず個人の救いよりも、国家を守る教えとして受け入れられたのです。
奈良時代、仏教の力によって国家の安泰を守ろうとした考えを何という?
鎮護国家
聖武天皇は国ごとに国分寺・国分尼寺を建て、東大寺に大仏を造立した。
日本古来の神と外来の仏を結び付けて信仰することを何という? その後、仏が神の姿で現れたとする考えは何と呼ばれたか。
神仏習合。のちの考えは本地垂迹説
仏(本地)が人々を救うために、仮に神の姿(垂迹)で現れるとされた。
3. 最澄と空海
根拠: 学習指導要領 倫理-A-(2)-ア-(ア)
平安時代の初め、唐に渡った 2 人の僧が新しい仏教を持ち帰り、山の中に修行の場を開きました。
天台宗を開き、比叡山に延暦寺を建てた僧は誰か? その中心となる考えは?
最澄。一切衆生悉有仏性(生きとし生けるものはすべて仏になる性質を持つ)
誰もが仏になれると説き、成仏できない者もいるとする法相宗の徳一と論争した。
最澄が、比叡山で修行する僧の規則を定め、国を支える人材の育成を説いた著作は?
『山家学生式』(さんげがくしょうしき)
比叡山は、のちに法然・親鸞・栄西・道元・日蓮らが学ぶ場となった。
真言宗を開き、高野山に金剛峯寺を建てた僧は誰か? その教えの中心は?
空海。即身成仏(この身のままで仏になれる)
宇宙の真理そのものである大日如来と一体になることを目指す密教を説いた。
空海の若いころの著作で、儒教・道教・仏教を比べ、仏教が最も優れていると論じたものは?
『三教指帰』(さんごうしいき)
空海は、手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏を念じる三密の修行を説いた。
4. 浄土信仰と末法思想
根拠: 学習指導要領 倫理-A-(2)-ア-(ア)
平安時代の後半、釈迦の教えが廃れて世が乱れる「末法」の時代に入ったとする考えが広まり、
死後に阿弥陀仏の極楽浄土に生まれることを願う浄土信仰が貴族や庶民に広がりました。
釈迦の死後、時代が下るにつれて正しい教えが衰え、悟りを開く人がいなくなるとする歴史観を何という?
末法思想
日本では 1052 年に末法の世に入るとされ、浄土信仰の広まりを後押しした。
市中で念仏を広め、「市聖」(いちのひじり)と呼ばれた平安時代中期の僧は?
空也
庶民に「南無阿弥陀仏」の念仏を勧め、道や橋を造るなど社会事業も行った。
源信が『往生要集』で説いた、汚れたこの世を嫌って離れ、極楽浄土に生まれることを願い求める言葉は?
厭離穢土,欣求浄土(おんりえど,ごんぐじょうど)
念仏によって極楽往生を目指す教えを体系的にまとめ、のちの法然に影響を与えた。