カントの道徳哲学
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「倫理」A (1) ア (ウ) の「善,正義,義務などに着目して,社会の在り方と人間としての在り方生き方について思索するための手掛かりとなる様々な倫理観」。
カントは、人間が認識できることの範囲を見定めたうえで、道徳の根拠を結果や幸福ではなく、理性が自ら立てる義務に置きました。
何が無条件に善なのかを問い、人格の尊厳を基礎づけたその倫理観は、功利主義と並ぶ近代倫理学の柱です。
0. 何を押さえるか
カントの仕事は、認識の限界を見定める「批判」と、その上に立てた道徳の哲学の 2 段です。
| 理論理性(認識) | 実践理性(道徳) | |
|---|---|---|
| 問い | 何を知ることができるか | 何をなすべきか |
| 著作 | 『純粋理性批判』 | 『実践理性批判』『道徳形而上学の基礎づけ』 |
| 要点 | 対象が認識に従う(コペルニクス的転回)。物自体は認識できない | 善意志・定言命法・自律・人格の尊厳 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 義務に適った行為と、義務からなされた行為は違う。道徳的な価値があるのは後者だけ
- 定言命法は無条件、仮言命法は条件付き。道徳法則は定言命法の形をとる
- 自律は理性が立てた法則に自ら従うこと。欲望や外の命令に従うのは他律
1. 批判哲学 — 認識の範囲を見定める
根拠: 学習指導要領 倫理-A-(1)-ア-(ウ)
カントは、経験論(ヒューム)の懐疑と合理論の独断の両方を乗り越えようとしました。
認識は経験から始まるが、経験を秩序づける枠組みは人間の側にある、と考えたのです。
カントが、認識が対象に従うのではなく、対象が人間の認識の形式に従うと考え方を逆転させたことを、何にたとえて呼ぶか?
コペルニクス的転回
天動説から地動説への転換になぞらえた。主著『純粋理性批判』。
カントが、人間は現象としてしか物を認識できず、その背後にある物のあり方そのものは認識できないとしたもの(認識の限界の外にあるもの)を何という?
物自体
神や魂の不死、自由は理論理性では証明できないが、道徳の領域(実践理性)では要請されるとした。
カントの三批判書をすべて挙げると?
『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』
順に、認識・道徳・美と目的を扱う。経験論と合理論を統合した批判哲学を打ち立てた。
2. 善意志と義務
根拠: 学習指導要領 倫理-A-(1)-ア-(ウ)
カントは、才能や富や幸福でさえ、使い方しだいで悪にもなると考えました。
無条件に善いと言えるのは、ただ義務に従おうとする意志だけです。
カントが、この世で無条件に善いと言える唯一のものとしたのは何か?
善意志
行為の道徳的な価値は、結果ではなく、義務に従おうとする動機によって決まるとした。
商人が損をしないために正直に商売をする場合と、それが義務だからという理由で正直に商売をする場合——カントはこの違いをどう区別したか?
前者は義務に適った行為(適法性)にすぎず、後者の義務からなされた行為だけが道徳性を持つ
外から見て同じ行為でも、動機によって道徳的な価値が分かれる。
カントが、道徳法則は条件付きの命令ではなく、無条件の命令の形をとるとしたとき、その無条件の命令を何という? 条件付きの命令は?
無条件: 定言命法、条件付き: 仮言命法
「幸福になりたいなら〜せよ」は仮言命法。道徳は何かの目的の手段であってはならない。
カントの定言命法「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」の「格率」とは何か?
各人が自分で立てる行為の方針(主観的な規則)
その方針が、誰もが従う普遍的な法則になっても矛盾しないかを確かめて行為せよ、という命令。
3. 自律と人格の尊厳
根拠: 学習指導要領 倫理-A-(1)-ア-(ウ)
道徳法則は外から押しつけられるのではなく、理性を持つ人間が自分で立て、自分で従うものです。
カントはここに人間の自由と尊厳を見ました。
カントが、自らの理性が立てた道徳法則に自ら従うことを何と呼び、それを何だとしたか?
自律。それこそが真の自由だとした
欲望や他人の命令に従うのは他律で、自由ではない。
自律的に道徳法則に従う主体としての人間を、カントは何と呼び、どう扱うよう求めたか?
人格。人格を常に同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱わないよう求めた
人格は値段のつけられない尊厳を持つとした。
すべての人が互いの人格を目的として尊重し合う理想の共同体を、カントは何と呼んだか?
目的の国(目的の王国)
カントは晩年の『永遠平和のために』で、国家どうしの永続的な平和の条件も論じている。
4. 啓蒙と永遠平和
根拠: 学習指導要領 倫理-A-(1)-ア-(ウ)
カントは、一人ひとりが自分の理性を使うことを求め、その考えを国際社会の平和にまで広げました。
その倫理観はのちにヘーゲルによって、内面にとどまるものだと批判されます(ヘーゲルと人倫)。
カントが論文『啓蒙とは何か』で、啓蒙を何からの脱出だと定義したか?
人間が自ら招いた未成年状態(他人の指導なしに自分の理性を使えない状態)からの脱出
「あえて賢くあれ(自分の理性を使う勇気を持て)」を啓蒙の標語とした。
カントが、常備軍の廃止や諸国家の連合によって恒久的な平和をめざすことを説いた著作は?
『永遠平和のために』
国家どうしの連合という構想は、のちの国際連盟・国際連合の思想的な源流とされる。