武士の成長と鎌倉幕府
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領 歴史的分野 B 近世までの日本とアジア (2) 中世の日本 ア (ア)『武家政治の成立とユーラシアの交流』。
0. どういう論点か
武士はもともと、都の貴族や地方の豪族に仕えて武力で土地や人を守る人々でした。
その武力が朝廷の争いを決めるようになり、やがて武士が自分たちの政権を作ります。
その土台が、将軍と武士が土地を仲立ちに結ぶ御恩と奉公の主従関係です。
「誰が、どんな立場で政治を動かしたか」で並べると、似た名前が入れ替わらなくなります。
| 仕組み | 政治を動かした人 | 天皇との関係・立場 |
|---|---|---|
| 摂関政治 | 藤原氏(摂政・関白) | 天皇の母方の祖父(外戚) |
| 院政 | 上皇 | 位をゆずった天皇(天皇の父や祖父) |
| 平氏の政権 | 平清盛 | 太政大臣。娘を天皇のきさきにした |
| 執権政治 | 北条氏(執権) | 鎌倉幕府で将軍を補佐する役 |
| 役職 | 置く単位 | 仕事 |
|---|---|---|
| 守護 | 国ごと | 軍事・警察(御家人の統率) |
| 地頭 | 荘園・公領ごと | 年貢の取り立て・土地の管理 |
引っかけの分かれ目は次の 4 つ。
- 院政を始めたのは白河上皇、承久の乱を起こしたのは後鳥羽上皇(どちらも上皇なので入れ替わる)
- 守護は国ごと、地頭は荘園・公領ごと
- 御恩は将軍が与えるもの、奉公は御家人が尽くすもの(向きが逆)
- 六波羅探題は承久の乱の後に京都に置かれた(朝廷を見張るため。鎌倉ではない)
1. 武士のおこり
根拠: 学習指導要領 歴-B-(2)-ア-(ア)
地方の政治が乱れると、有力な農民や豪族は土地を守るために武装しました。
これが武士のはじまりで、やがて一族や家来をまとめた武士団になります。
天皇の子孫である源氏と平氏は、その武士団の棟梁(かしら)として力をのばしました。
10 世紀の中ごろ、関東で反乱を起こし、自ら「新皇」と名乗った武士は?
平将門
同じころ瀬戸内海で反乱を起こしたのが藤原純友。どちらも別の武士の力でしずめられた。
10 世紀の中ごろ、瀬戸内海で海賊を率いて反乱を起こしたのは?
藤原純友
関東の平将門の乱と同じころ。朝廷は反乱をしずめるのにも武士の力を借りた。
2. 院政と平氏の政権
根拠: 学習指導要領 歴-B-(2)-ア-(ア)
1086 年、天皇の位をゆずって上皇となった後も政治を動かした人物は?
白河上皇
上皇(とその住まい=院)が行う政治なので院政という。
摂関政治と院政では、政治を動かした人の天皇との関係はどう違う?
摂関政治=天皇の母方の祖父(外戚)の藤原氏、院政=天皇の父や祖父にあたる上皇
院政が始まると、藤原氏の摂政・関白は実権を失っていった。
保元の乱・平治の乱に勝ち、武士として初めて太政大臣になった人物は?
平清盛
娘を天皇のきさきにし、生まれた子を天皇に立てた。やり方は藤原氏の摂関政治に似ている。
平清盛が兵庫の港(大輪田泊)を整えて盛んに行った貿易は?
日宋貿易
中国の宋との貿易。宋の銅銭(宋銭)が大量に入り、日本でも使われるようになった。
3. 源平の争乱と鎌倉幕府の成立
根拠: 学習指導要領 歴-B-(2)-ア-(ア)
1185 年、平氏が滅んだ戦いは?
壇ノ浦の戦い
源頼朝の弟の源義経らが、平氏を追いつめて滅ぼした(今の山口県下関市のあたり)。
1185 年、源頼朝が国ごとに置くことを朝廷に認めさせ、軍事・警察を受け持たせた役職は?
守護
同時に荘園・公領ごとに置いたのが地頭(年貢の取り立てと土地の管理)。
荘園や公領ごとに置かれ、年貢の取り立てや土地の管理を受け持った役職は?
地頭
国ごとの守護と取り違えやすい。地頭は荘園・公領という「より小さい単位」。
鎌倉幕府で、将軍が御家人に与えた「御恩」とは何か?
先祖からの領地を保護し、手柄に応じて新しい領地を与えること
土地を仲立ちにした主従関係。これに対して御家人が尽くすのが奉公。
鎌倉幕府で、御家人が将軍に尽くした「奉公」とは何か?
戦いのときに命をかけて戦い、ふだんは京都や鎌倉の警備にあたること
御恩と奉公の関係で結ばれた将軍と御家人の主従関係が、幕府の土台になった。
4. 執権政治と承久の乱
根拠: 学習指導要領 歴-B-(2)-ア-(ア)
源頼朝の死後、鎌倉幕府で将軍を補佐する役職について実権をにぎった一族は?
北条氏
その役職を執権という。頼朝の妻の北条政子の実家。
1221 年、朝廷の力を取り戻そうとして兵を挙げ、幕府に敗れた上皇は?
後鳥羽上皇
この戦いが承久の乱。上皇は隠岐に流された。院政を始めた白河上皇と取り違えないこと。
承久の乱の後、朝廷を見張り西日本の武士をまとめるため、幕府が京都に置いたものは?
六波羅探題
上皇方の貴族や武士の領地を取り上げ、東日本の御家人を地頭に任じた。幕府の支配が西日本にも広がった。
1232 年、執権の北条泰時が定めた、武士の裁判の基準となる法は?
御成敗式目(貞永式目)
源頼朝以来の先例や武士の社会の慣習をもとにした、武士のための最初の法。