平安時代と摂関政治
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領 歴史的分野 B (1) 古代までの日本 ア (ウ)「律令国家の形成」。
0. どういう論点か
奈良時代の終わりには、仏教の寺院や僧が政治に口を出すようになり、政治が乱れていました。
桓武天皇は都を移して政治の立て直しを図り、東北地方へも支配を広げます。
しかし 9 世紀以降、政治の実権は天皇から藤原氏へ移っていきました。
藤原氏は、娘を天皇のきさきにし、生まれた子を天皇に立て、その祖父(外戚)として摂政や関白の地位について政治を動かしました。これが摂関政治です。
その力を支えたのが、各地から寄せられた荘園でした。
| 地位 | どんなときに置かれるか | すること |
|---|---|---|
| 摂政 | 天皇が幼いときや女性のとき | 天皇に代わって政治を行う |
| 関白 | 天皇が成人したあと | 天皇を補佐して政治を行う |
引っかけの分かれ目は次の 3 つ。
- 摂政は「幼い天皇の代わり」、関白は「成人した天皇の補佐」
- 摂関政治の全盛期は藤原道長と子の頼通(道長は和歌で権勢を表し、頼通は平等院鳳凰堂を建てた)
- 荘園を寄進したのは、税を免れるため(寄進された貴族や寺社はそれで豊かになった)
1. 桓武天皇の政治
根拠: 学習指導要領 歴-B-(1)-ア-(ウ)
794 年に都を平安京に移した天皇は?
桓武天皇
いまの京都市。ここから鎌倉幕府が開かれるまでのおよそ 400 年を平安時代という。
桓武天皇が、奈良の平城京から都を移した大きなねらいは?
政治に口を出すようになった寺院の勢力から離れ、政治を立て直すため
地方では国司の不正を取りしまるなど、律令の仕組みの立て直しにも取り組んだ。
征夷大将軍に任じられ、東北地方の蝦夷を従わせるために大軍を率いた人物は?
坂上田村麻呂
蝦夷の指導者アテルイの抵抗を抑え、朝廷の支配を東北地方に広げた。
2. 摂関政治
根拠: 学習指導要領 歴-B-(1)-ア-(ウ)
藤原氏が、摂政や関白の地位について政治の実権を握った政治を何という?
摂関政治
娘を天皇のきさきにし、生まれた子を天皇に立てて、その祖父として力をふるった。
摂政と関白の違いは?
摂政=天皇が幼いときなどに、天皇に代わって政治を行う
関白=天皇が成人したあとに、天皇を補佐して政治を行う
どちらも藤原氏が代々この地位についた。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」とよみ、摂関政治の全盛を築いた人物は?
藤原道長
娘を次々と天皇のきさきにし、3 人の天皇の祖父となった。
藤原道長の子で、およそ 50 年にわたって摂政・関白をつとめた人物は?
藤原頼通
道長と頼通の時代が摂関政治の全盛期にあたる。
3. 荘園の広がりと地方政治の乱れ
根拠: 学習指導要領 歴-B-(1)-ア-(ウ)
律令の仕組みが崩れ、戸籍や班田収授は行われなくなっていきました。
朝廷は地方の政治を国司に任せきりにするようになり、国司の中には、任命された国に行かずに代理を送る者や、
任地で税を重く取り立てて自分の財産を増やす者が現れました。
地方の豪族などが、自分の開いた土地を有力な貴族や寺社に寄進したのはなぜ?
税を免れたり、国司の立ち入りを拒んだりして、土地を守るため
寄進を受けた貴族や寺社は荘園を増やし、特に藤原氏は多くの荘園を持って豊かになった。
平安時代の中ごろ、地方の政治を任されながら、自分の収入を増やすことにつとめる者が多く出た役人は?
国司
尾張国(愛知県)では、郡司や農民たちが国司の不正を朝廷に訴え出たことが記録に残っている。