奈良時代と律令国家
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領 歴史的分野 B (1) 古代までの日本 ア (ウ)「律令国家の形成」。
0. どういう論点か
大化の改新で示された「土地と人々を国のものにする」方針は、8 世紀の初めに律令という法として形になりました。
律令国家の仕組みは、ひとことで言えば、国が戸籍で人々をつかみ、土地を貸し与え、その代わりに税と兵役を負わせるものです。
ところが、重い負担から逃げ出す人が出たり、人口が増えて貸す土地(口分田)が足りなくなったりしました。
そこで国は開墾をすすめるため、新しく開いた土地の私有を認めます。これが公地公民の原則が崩れ、荘園が生まれるきっかけになりました。
| 負担 | 中身 | 納め方 |
|---|---|---|
| 租 | 稲(収穫のおよそ 3%) | 国府(地方の役所)に納める |
| 調 | 地方の特産物(絹・魚・塩など) | 自分で都まで運ぶ |
| 庸 | 労役の代わりの布 | 自分で都まで運ぶ |
| 兵役 | 兵士として訓練を受ける。一部は防人・衛士に | 武器や食料は自分で用意 |
引っかけの分かれ目は次の 3 つ。
- 律は刑罰のきまり、令は政治の仕組みや人々の負担のきまり
- 国司は都から送られる貴族、郡司はその地方の豪族
- 墾田永年私財法は「新しく開墾した土地」の永久私有を認めた(口分田を私有にしたのではない)
1. 大宝律令と国の仕組み
根拠: 学習指導要領 歴-B-(1)-ア-(ウ)
701 年に、唐の律令にならってつくられた法は?
大宝律令
これによって、天皇を中心とする律令国家の仕組みが整った。
律令の「律」と「令」は、それぞれ何を定めたきまりか?
律=刑罰のきまり
令=政治の仕組みや人々の負担などのきまり
2 つをあわせて律令という。
律令国家で、地方の国を治めるために都から送られた役人と、その下で郡を治めた地元の豪族を、それぞれ何という?
国司(都から送られる貴族)・郡司(地方の豪族)
地方は国・郡・里に分けられた。
九州北部に置かれ、外交と九州の防衛にあたった役所は?
大宰府
大陸や朝鮮半島に最も近い玄関口として重んじられた。
2. 平城京
根拠: 学習指導要領 歴-B-(1)-ア-(ウ)
710 年、唐の都の長安にならって奈良につくられた都は?
平城京
碁盤の目のように道路で区切られていた。ここから都が平安京に移るまでを奈良時代という。
平城京の造営にあわせるように、708 年からつくられ、都で使われた貨幣は?
和同開珎
都には市が開かれ、各地から運ばれた品物が売り買いされた。
3. 班田収授法と人々の負担
根拠: 学習指導要領 歴-B-(1)-ア-(ウ)
律令国家で、6 年ごとにつくられ、人々を登録した帳簿は?
戸籍
戸籍をもとに土地を与え、税や兵役を割り当てた。
戸籍に登録された 6 歳以上の男女に口分田を与え、死ぬと国に返させた制度は?
班田収授法
口分田は女子には男子の 3 分の 2 が与えられた。土地を貸して税を取る仕組みの土台。
律令国家の税のうち、口分田の収穫のおよそ 3% の稲を納めるものは?
租
租は地方で納めるが、調と庸は農民が自分で都まで運ばなければならなかった。
律令国家の税のうち、地方の特産物を納める調と、労役の代わりに布を納める庸は、どのようにして納められたか?
農民が自分で都まで運んだ
行き帰りの食料も自分で用意したため、重い負担になった。
兵役のうち、九州北部の守りにつかされた兵士を何という?
防人
主に東国の農民が送られた。白村江の戦いのあと、唐や新羅に備えて置かれた。
4. 墾田永年私財法と荘園のおこり
根拠: 学習指導要領 歴-B-(1)-ア-(ウ)
人口が増え、また重い負担から逃げ出す人も出て、口分田は足りなくなり荒れていきました。
国はまず 723 年に、開墾した土地を 3 代まで私有してよいとしましたが、期限が来ると返すことになるので開墾は進みませんでした。
743 年に出された、新しく開墾した土地をいつまでも自分のものにしてよいとした法は?
墾田永年私財法
公地公民の原則が崩れるきっかけになった。
墾田永年私財法のあと、貴族や大きな寺社が開墾を進めて広げた私有地を何という?
荘園
地方の豪族や農民を使って開墾させ、私有地を増やしていった。
5. 遣唐使
根拠: 学習指導要領 歴-B-(1)-ア-(ウ)
唐の進んだ制度や文化を取り入れるために、7 世紀から 9 世紀にかけて送られた使いを何という?
遣唐使
留学生や僧も同行した。船が遭難することも多く、命がけの航海だった。