西ヨーロッパ封建社会の成立
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (2) ア (ア) の「ヨーロッパ封建社会とその展開」のうち、封建社会が成り立つまでを扱います。
ゲルマン人の移動で西ローマ帝国が滅んだあと、フランク王国がローマ教会と結んで西ヨーロッパをまとめました。王国が分かれ、外からの侵入が続くなかで、主従関係と荘園を柱とする封建社会ができあがります。
0. 何を押さえるか
封建社会は、上の層の「主従関係」と、下の層の「荘園」の 2 階建てで考えると整理できます。
| 層 | しくみ | 結ばれる人 | 押さえること |
|---|---|---|---|
| 上の層 | 封建的主従関係 | 主君と家臣(国王・諸侯・騎士) | 封土を与える代わりに軍役を負う。双務的な契約 |
| 下の層 | 荘園 | 領主と農奴 | 賦役と貢納、領主の裁判権、不輸不入権 |
| 精神の面 | ローマ=カトリック教会 | 教皇・司教・修道院 | 教会も大土地を持つ領主だった |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 主従関係は双務的な契約。主君が義務を果たさなければ家臣は従わなくてよく、1 人の家臣が複数の主君に仕えることもあった
- 封建的主従関係の起源は 2 つ。ローマの恩貸地制度(土地を与える)と、ゲルマンの従士制(忠誠を誓って仕える)が結び付いた
- カール大帝の戴冠(800 年)はローマ教皇が行った。教会は東のビザンツ皇帝に代わる保護者をフランク王に求めた
1. ゲルマン人の移動と西ローマ帝国の滅亡
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
4 世紀後半、アジア系のフン人に押されたゲルマン人がローマ帝国の領内に移り住み、各地に王国を建てました。
4 世紀後半、フン人に圧迫されてドナウ川を越え、ローマ帝国の領内に移ったゲルマン人の一派は?
西ゴート人
フン人の西進による 375 年の動きが、ゲルマン人の大移動の始まりとされる。フン人はアッティラ王のもとで一時大きな勢力をふるった。
476 年、西ローマ皇帝を退位させ、西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン人の傭兵隊長は?
オドアケル
東のローマ帝国(ビザンツ帝国)は、このあとも 1453 年まで続いた。
2. フランク王国とローマ教会の結び付き
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
ゲルマン人の王国の多くは短命でしたが、フランク王国は勢力を広げ、ローマ教会と手を結ぶことで西ヨーロッパの中心となりました。
フランク王国のクローヴィスが、ほかのゲルマン人の王たちと違って支持を得られたのはなぜか?
ローマ教会の正統とするアタナシウス派に改宗したから
ほかのゲルマン人の多くは異端とされたアリウス派を信じていたため、ローマ系の住民や教会の支持を得にくかった。
732 年、フランク王国の宮宰カール=マルテルが、イベリア半島から進出したウマイヤ朝の軍を破った戦いは?
トゥール・ポワティエ間の戦い
これによりカール=マルテルの家系の力が強まり、子のピピンがカロリング朝を開いた。
ピピンがランゴバルド王国から奪ったラヴェンナ地方を教皇に献じたことを何といい、何の起源となったか?
ピピンの寄進、教皇領の起源
ピピンは教皇の承認を得て王位につき(751 年、カロリング朝)、その返礼の意味もあった。
800 年、カール大帝に西ローマ皇帝の帝冠を授けた教皇は?
レオ 3 世
ローマ教会はビザンツ皇帝から自立し、フランク王を新たな保護者とした。西ヨーロッパがローマ的・キリスト教的・ゲルマン的な要素をあわせ持つ一つの世界としてまとまった。
カール大帝の死後、フランク王国を 3 つに分けた 2 つの条約は?
ヴェルダン条約(843 年)とメルセン条約(870 年)
この分割が、のちのフランス・ドイツ・イタリアのもとになった。
3. 外からの侵入と封建社会の成立
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
9〜10 世紀の西ヨーロッパは、北からノルマン人、東からマジャール人、南からムスリムの侵入を受けました。王の力が弱いなか、人々は身近な有力者に保護を求め、封建社会ができあがります。
962 年、マジャール人を撃退した功績により、教皇からローマ皇帝の帝冠を受けた東フランク(ドイツ)の王は?
オットー 1 世
これが神聖ローマ帝国の始まりとされる。
10 世紀初め、北フランスに定住したノルマン人の首長が建てた国は?
ノルマンディー公国
1066 年にはノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服し、ノルマン朝を開いた(ノルマン=コンクェスト)。
封建的主従関係で、主君と家臣の関係はどのような性格の契約だったか?
双務的な契約(互いに義務を負う)
主君は家臣に封土を与えて保護し、家臣は主君に忠誠を誓って軍役を果たした。一方の義務が果たされなければ関係は解消できた。
4. 荘園と農奴
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
封建社会の経済の土台は荘園でした。荘園では領主が農民を支配し、農民は領主の土地で働くとともに、生産物を納めました。
荘園の農民が、領主直営地で週に何日か無償で働かされる負担を何という?
賦役
自分の保有地の生産物を納める負担は貢納という。農民はこのほか、教会に十分の一税を納めた。
荘園の農民(農奴)が、移住の自由を持たなかったほかに課された、結婚や相続のときの負担は?
結婚税と死亡税
農奴は領主の裁判権にも服した。奴隷と違い、家族や家屋・農具を持つことはできた。
荘園の領主が、国王の役人の立ち入りや課税を拒むことができた権利を何という?
不輸不入権(インムニテート)
領主が自分の荘園を独立した支配の単位としたため、国王の権力は地方に及びにくかった。
耕地を秋耕地・春耕地・休閑地に分けて順番に使う農法を何という?
三圃制
11 世紀ごろから、重い鉄製の犂(すき)とともに広まり、農業の生産力が上がった。