アフリカ・アジアへのイスラームの伝播
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (2) ア (ア) の「西アジア社会の動向とアフリカ・アジアへのイスラームの伝播」のうち、アフリカとアジアへの伝播を扱います。
イスラームは征服だけで広まったのではありません。海域ではインド洋を行き来するムスリム商人が、内陸ではサハラ砂漠を越える隊商や、各地を巡る神秘主義者(スーフィー)が、教えを運びました。
0. 何を押さえるか
地域ごとに「誰が・どの道で」イスラームを運んだかを押さえます。
| 地域 | 運んだ人・道 | 主な国家・都市 |
|---|---|---|
| 東アフリカ沿岸 | インド洋のムスリム商人(ダウ船・季節風) | マリンディ・モンバサ・キルワ。スワヒリ語が生まれる |
| 西アフリカ | サハラ砂漠を越える隊商(金と塩の交易) | ガーナ王国 → マリ王国 → ソンガイ王国、トンブクトゥ |
| 北インド | アフガニスタンを拠点とするトルコ系・イラン系の軍事政権 | ガズナ朝・ゴール朝の侵入 → デリー=スルタン朝 |
| 東南アジア | ムスリム商人とスーフィー | スマトラ北部 → マラッカ王国 → ジャワ |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 東アフリカは海の道、西アフリカは砂漠の道。前者はアラビア語と現地のバントゥー系の言葉が混ざったスワヒリ語を生み、後者は金と塩の交換で栄えた
- インドでは支配者がムスリムになっても、住民の多くはヒンドゥー教徒のままだった。上からの征服と、下からの布教が別に進んだ
- 東南アジアのイスラーム化は 13 世紀末以降と遅く、交易の港から広がった。武力による征服ではない
1. インド洋のムスリム商人
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
アッバース朝の繁栄とともに、ペルシア湾や紅海からインド・東南アジア・中国へ向かう海の交易がさかんになりました。ムスリム商人はその担い手でした。
ムスリム商人がインド洋の交易で用いた、三角帆を張った木造の帆船は?
ダウ船
夏と冬で向きが反対になる季節風(モンスーン)を利用して、アラビア半島・インド・東アフリカの間を行き来した。
唐や宋の時代、中国の広州などに住んだムスリム商人などの外国人の居留地を何という?
蕃坊
海の交易を管理する役所として、唐は広州に市舶司を置いた。ムスリム商人は中国の港にまで来ていた。
14 世紀、モロッコ出身で、アフリカ・西アジア・インド・中国を旅して旅行記を残した人物は?
イブン=バットゥータ
その旅行記(『大旅行記』)は、ムスリム商人の交易網が広い地域に及んでいたことを伝える。
2. 東アフリカとサハラ交易
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
東アフリカの沿岸にはムスリム商人が住みつく港市が並びました。西アフリカでは、サハラ砂漠を越えて金と塩を交換する交易が王国の富を支えました。
東アフリカ沿岸の港市で、アラビア語の影響を受けて共通語として広まった言語は?
スワヒリ語
バントゥー系の言葉にアラビア語の語彙が多く入って成立した。マリンディ・モンバサ・キルワなどの港市で使われた。
西アフリカの王国が、サハラ砂漠を越えてくるムスリム商人と行った交易の中心となった品は?
金と塩
西アフリカは金を産し、塩はサハラの産地から運ばれた。この交易を支配することで王国が栄えた。
11 世紀後半、北アフリカのムラービト朝の攻撃を受けて衰え、西アフリカのイスラーム化が進むきっかけとなった王国は?
ガーナ王国
金の交易で栄えた王国。これ以後、西アフリカの支配者層の間にイスラームが広がっていった。
14 世紀、大量の金を携えてメッカに巡礼し、その豪勢さで知られたマリ王国の王は?
マンサ=ムーサ
マリ王国のトンブクトゥは交易と学問の都市として栄えた。15 世紀以降はソンガイ王国がこの地域を支配した。
3. インドのイスラーム化
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
10 世紀末から、アフガニスタンを拠点とするトルコ系・イラン系の王朝が北インドに侵入をくり返しました。13 世紀には、北インドにムスリムの政権が根づきます。
1206 年、アイバクがデリーを都として建てた、北インド最初のイスラーム政権は?
奴隷王朝
アイバクがマムルーク(奴隷出身の軍人)だったことからこう呼ばれる。これに続くデリーの 5 つの王朝をまとめてデリー=スルタン朝という。
インドで、ヒンドゥー教徒の住民にイスラームが受け入れられていくうえで大きな役割を果たしたのは、どのような人々か?
神秘主義者(スーフィー)
神への愛や献身を重んじる教えは、ヒンドゥー教の信愛(バクティ)の信仰と通じるところがあり、民衆に受け入れられやすかった。
インドの支配者がムスリムになったのに、住民の多くがヒンドゥー教徒のままだったのはなぜか?
政権は住民に改宗を一般には強制せず、ヒンドゥー教徒を支配の中に取り込んだから
少数の支配層が多数の住民を治めるには、在地の人々の協力が要った。イスラームと在地の文化が混じり合ったインド=イスラーム文化が生まれた。
4. 東南アジアのイスラーム化
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
東南アジアでは、インド洋と南シナ海を結ぶ海の交易の拠点から、イスラームが広がっていきました。
東南アジアで最初にイスラームが根づいたのは、どの地域か?
スマトラ島北部(13 世紀末ごろ)
インド洋側からの入り口にあたり、ムスリム商人が最初に寄港する地域だった。
15 世紀に王がイスラームに改宗し、東南アジアのイスラーム化の拠点となった港市国家は?
マラッカ王国
マラッカ海峡をおさえる交易の中心で、ここに集まる商人を通じてイスラームがジャワやモルッカ諸島方面へ広まった。
東南アジアで、イスラームが征服ではなく交易の港から広まったのはなぜか?
港市の支配者が、ムスリム商人を呼び込み交易の利益を得るために改宗したから
同じ信仰を持つことで、インド洋に広がるムスリム商人の交易網に加わりやすくなった。