ビザンツ帝国と東ヨーロッパ
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (2) ア (ア) の「ヨーロッパ封建社会とその展開」のうち、東ヨーロッパの世界を扱います。
西ローマ帝国が滅んだあとも、東のローマ帝国(ビザンツ帝国)はコンスタンティノープルを都に 1000 年近く続きました。その宗教と文化は、東ヨーロッパのスラヴ人の国々に受け継がれていきます。
0. 何を押さえるか
西ヨーロッパと東ヨーロッパは、同じキリスト教の世界でも、教会と政治の関係が違いました。
| 西ヨーロッパ | ビザンツ帝国 | |
|---|---|---|
| 教会 | ローマ=カトリック教会 | ギリシア正教会 |
| 教会と政治 | 教皇と皇帝・国王が別々の権威 | 皇帝が教会の上に立ち、教会を支配 |
| 言語 | ラテン語 | ギリシア語(7 世紀以降の公用語) |
| 伝わった先 | 西スラヴ人(ポーランド人・チェック人)、クロアティア人、マジャール人 | 東スラヴ人(ロシア人など)、セルビア人、ブルガリア人 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 1054 年に東西の教会は互いに破門しあい、分裂が決定的になった。きっかけの一つは 8 世紀の聖像禁止令をめぐる対立
- 同じ南スラヴ人でも、セルビア人は正教、クロアティア人はカトリック。受け入れた宗派が違い、使う文字も違う(キリル文字とラテン文字)
- ビザンツ帝国は 1453 年まで続いた。西ローマ帝国の滅亡(476 年)とは約 1000 年の開きがある
1. ユスティニアヌス帝の時代
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
6 世紀のユスティニアヌス帝は、かつてのローマ帝国の領土を取り戻そうとし、法や建築の面でも大きな事業を残しました。
6 世紀、ヴァンダル王国と東ゴート王国を滅ぼし、地中海のほぼ全域を一時回復したビザンツ皇帝は?
ユスティニアヌス帝
しかし領土の回復は長続きせず、戦争の出費は帝国の財政を苦しめた。
ユスティニアヌス帝が法学者トリボニアヌスらに編纂させた法典は?
『ローマ法大全』
ローマ法を集大成したもので、のちにヨーロッパの法学に大きな影響を与えた。
ユスティニアヌス帝が再建させた、ビザンツ様式を代表する大聖堂は?
ハギア=ソフィア聖堂
巨大なドームとモザイク壁画が特徴。コンスタンティノープルにある。
2. ビザンツ帝国の統治とギリシア正教
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
7 世紀以降、イスラーム勢力やスラヴ人の圧迫を受けたビザンツ帝国は、軍事と地方行政のしくみを改めて生き延びました。
7 世紀以降のビザンツ帝国で、帝国をいくつかの軍管区に分け、その司令官に軍事と行政の両方の権限を与えた制度は?
軍管区制(テマ制)
軍管区では農民に土地を与えて兵役を負わせる屯田兵制がとられた。
726 年、ビザンツ皇帝レオン 3 世が出した命令で、ローマ教会との対立を深めたものは?
聖像禁止令
ゲルマン人への布教に聖像を使っていたローマ教会は強く反発し、ビザンツ皇帝から離れてフランク王国に保護を求めるようになった。
ビザンツ帝国で、皇帝が教会の上に立ち、政治と宗教の両方の最高の権威を持ったことを何という?
皇帝教皇主義
西ヨーロッパでは教皇と皇帝・国王が別の権威として並び、ときに争ったのと対照的である。
11 世紀以降のビザンツ帝国で、軍役奉仕と引き換えに貴族に土地の管理を任せた制度は?
プロノイア制
軍管区制と屯田兵制が崩れたあとに広まった。貴族の力が強まり、皇帝の中央集権は弱まった。
3. スラヴ人の国家
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
6 世紀ごろからスラヴ人は東ヨーロッパに広がり、東・西・南の 3 つのまとまりに分かれて国を建てました。どの教会を受け入れたかが、その後の文化を分けました。
9 世紀にノルマン人の一派(ルーシ)がロシアに建てたとされる国と、その後に南に建てられた国は?
ノヴゴロド国、キエフ公国
ノルマン人はしだいにスラヴ人と同化していった。
10 世紀末、ギリシア正教に改宗し、ロシアにビザンツの文化を取り入れたキエフ公国の大公は?
ウラディミル 1 世
ビザンツ皇帝の妹と結婚した。これ以後、ロシアはギリシア正教の世界に属した。
ギリシア正教を受け入れた東スラヴ人や南スラヴ人の一部が用いるようになった文字は?
キリル文字
9 世紀にビザンツの宣教師がスラヴ人への布教のために考案した文字をもとにつくられた。
10 世紀にカトリックを受け入れた西スラヴ人の国で、14 世紀にリトアニアと合同してヤゲウォ朝を開いた国は?
ポーランド
西スラヴ人のポーランド人・チェック人はカトリックを受け入れ、西ヨーロッパの文化圏に属した。
4. ロシアとモンゴルの支配
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
13 世紀、モンゴル軍がロシアに侵入し、ロシアはキプチャク=ハン国の支配を受けました。その支配から自立したのがモスクワ大公国です。
13 世紀から約 240 年続いた、モンゴルによるロシア支配をロシアでは何と呼ぶか?
タタールのくびき
ロシアの諸公はキプチャク=ハン国に貢納し、その承認のもとで支配を続けた。
1480 年にキプチャク=ハン国の支配から自立し、ビザンツ最後の皇帝の姪と結婚してツァーリの称号を用いたモスクワ大公は?
イヴァン 3 世
ビザンツ帝国が 1453 年に滅んだあと、モスクワはギリシア正教の中心を受け継ぐ立場をとった。