十字軍と中世ヨーロッパの変容
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (2) ア (ア) の「ヨーロッパ封建社会とその展開」のうち、封建社会の展開と変容を扱います。
11 世紀末に始まった十字軍は、西ヨーロッパと地中海の東側を結び付け、商業と都市を発展させました。一方で、教皇と封建領主の力は弱まり、国王が力を伸ばしていきます。
0. 何を押さえるか
十字軍のあと、封建社会を支えた 2 つの柱(教皇の権威と、荘園に立つ封建領主)がともに揺らぎ、国王と都市が伸びました。
| 十字軍の前(11 世紀) | 十字軍のあと(14〜15 世紀) | |
|---|---|---|
| 教皇 | 叙任権闘争(カノッサの屈辱)を経て、権威が高まる | アナーニ事件・教皇のバビロン捕囚で権威が衰える |
| 諸侯・騎士 | 荘園に立って力を持つ | 遠征や戦争で没落する者が増える |
| 国王 | 諸侯の上に立つ名目的な存在 | 身分制議会を開き、中央集権を進める |
| 経済 | 荘園の中の自給が中心 | 遠隔地商業と都市が発展、貨幣経済が広がる |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 十字軍はイェルサレムの奪回をうたったが、成功したのは第 1 回だけ(のち外交交渉で一時回復した例はある)。第 4 回はヴェネツィアの意向でコンスタンティノープルを占領した
- 教皇の権威の頂点は 13 世紀初めのインノケンティウス 3 世、転落は 1303 年のアナーニ事件
- 百年戦争の原因は 2 つ。フランス王位の継承問題と、毛織物業でイギリスと結び付いたフランドル地方をめぐる争い
1. 十字軍
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
セルジューク朝に小アジアを奪われたビザンツ皇帝がローマ教皇に救援を求めたことから、十字軍が始まりました。
1095 年、クレルモン宗教会議で十字軍の派遣を呼びかけた教皇は?
ウルバヌス 2 世
第 1 回十字軍(1096〜1099 年)はイェルサレムを占領し、イェルサレム王国を建てた。
1187 年にイェルサレムを奪回し、第 3 回十字軍と戦ったアイユーブ朝の建国者は?
サラーフ=アッディーン(サラディン)
第 3 回十字軍には、イギリス王リチャード 1 世、フランス王フィリップ 2 世、神聖ローマ皇帝フリードリヒ 1 世が加わった。
第 4 回十字軍(1202〜1204 年)が、聖地ではなくコンスタンティノープルを占領して建てた国は?
ラテン帝国
商業上の利益をねらうヴェネツィアの意向が働いた。十字軍が宗教の目的から外れていったことを示す。
十字軍の結果、西ヨーロッパの教皇・諸侯・国王・イタリア諸都市の力はそれぞれどう変わったか?
教皇の権威と諸侯・騎士の力が衰え、国王の権力が伸び、イタリア諸都市の東方貿易が栄えた
遠征の失敗で教皇の威信が傷つき、多くの諸侯・騎士が戦死や出費で没落した。
2. 商業と都市の発展
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
11 世紀以降、農業の生産力が上がって余った作物が取引されるようになり、十字軍で交通も活発になりました。遠くの地域どうしを結ぶ商業が発達し、都市が成長します。
ヴェネツィアやジェノヴァなどのイタリア諸都市が、地中海の東側から香辛料などをもたらした交易を何という?
東方貿易(レヴァント貿易)
アジアの香辛料や絹織物をムスリム商人から買い、ヨーロッパで売って大きな利益を得た。
リューベックを盟主として、北海・バルト海の交易を支配した北ドイツの都市同盟は?
ハンザ同盟
海産物・木材・穀物などを扱った。北イタリアでは、神聖ローマ皇帝に対抗してロンバルディア同盟が結ばれた。
中世都市で、商人や手工業者がつくった同業組合を何という?
ギルド
商人ギルドのあとに手工業者の同職ギルド(ツンフト)ができた。自由な競争を制限し、品質や価格を統制した。
3. 荘園の変化と黒死病
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
貨幣経済が農村に広がると、領主は賦役よりも貨幣で地代を取るようになり、農民の地位は向上しました。14 世紀の黒死病(ペスト)の流行は、この動きをさらに進めます。
14 世紀半ばに黒死病が流行したあと、農奴の地位が上がったのはなぜか?
人口が激減して働き手が不足し、領主が農民の待遇を良くせざるをえなかったから
黒死病による死者は、ヨーロッパの人口の 3 分の 1 ほどにのぼったとされる(推計には幅がある)。
領主が農民への締め付けを強めようとしたことに反発して起きた、14 世紀のフランスとイギリスの農民反乱は?
ジャックリーの乱(フランス、1358 年)、ワット=タイラーの乱(イギリス、1381 年)
イギリスでは農奴から解放された独立自営農民(ヨーマン)が増えていった。
4. 教皇権の衰退と王権の伸長
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
13 世紀末以降、国王は教会への課税などをめぐって教皇と争い、これに勝ちました。国王は聖職者・貴族・都市の代表を集めた身分制議会を開き、国内をまとめていきます。
1303 年、聖職者への課税をめぐって対立したフランス王フィリップ 4 世が、教皇ボニファティウス 8 世を捕らえた事件は?
アナーニ事件
フィリップ 4 世はこれに先立ち、1302 年に三部会を開いて国内の支持を固めていた。
1309 年から約 70 年間、教皇庁が南フランスのアヴィニョンに移されたことを何という?
教皇のバビロン捕囚
その後ローマとアヴィニョンに教皇が並び立つ教会大分裂(大シスマ)が起き、コンスタンツ公会議(1414〜1418 年)で解消された。
1215 年、イギリスの貴族たちがジョン王に認めさせた、王の課税に貴族らの同意を必要とすることなどを定めた文書は?
大憲章(マグナ=カルタ)
のちのイギリス議会政治の出発点とされる。1295 年にはエドワード 1 世が模範議会を開いた。
5. 百年戦争
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
英仏の長い戦争は、両国の諸侯・騎士を没落させ、結果として国王のもとへの中央集権を進めました。
百年戦争(1339〜1453 年)で、フランスの危機を救うきっかけをつくった農民の娘は?
ジャンヌ=ダルク
1429 年にオルレアンの包囲を破った。戦争はフランスの勝利に終わり、イギリスは大陸の領土をカレーを残して失った。
百年戦争のあとイギリスで起きた、王位をめぐる貴族の内乱と、それを収めて開かれた王朝は?
バラ戦争、テューダー朝(ヘンリ 7 世)
内乱で多くの貴族が没落し、イギリスでも王権が強まった。