宋の社会と北方民族
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (2) ア (ア) の「宋の社会とモンゴル帝国の拡大など」のうち、宋の社会を扱います。
唐が滅んだあとの中国を統一した宋は、軍人を抑えて文官が政治を担う国をつくりました。軍事の面では北方の遼・西夏・金に押されましたが、経済と文化は大きく発展しました。
0. 何を押さえるか
宋は「軍事では弱く、経済・文化では豊か」という二面を持ちます。北方民族の国々には、銀や絹を贈って和平を保ちました。
| 国 | 建てた民族 | 建国者・成立 | 宋との関係 |
|---|---|---|---|
| 遼 | 契丹(キタイ) | 耶律阿保機、916 年 | 澶淵の盟(1004 年)で宋が毎年銀・絹を贈る |
| 西夏 | タングート | 李元昊、1038 年 | 宋が毎年銀・絹・茶を贈って和議を結ぶ |
| 金 | 女真(ジュシェン) | 完顔阿骨打、1115 年 | 宋と結んで遼を滅ぼし、のち靖康の変で北宋を滅ぼす |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 北宋の都は開封、南宋の都は臨安(杭州)。1127 年の靖康の変が境目
- 新法を進めたのは王安石、反対した旧法党の中心は司馬光。新法は富国強兵のため、国が中小の農民・商人を支えようとした
- 遼と金は、遊牧・狩猟の民と農耕の民を別のしくみで治めた(二重統治体制)。遼は部族制と州県制、金は猛安・謀克と州県制
1. 宋の建国と文治主義
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
唐の滅亡後の五代十国の分裂では、節度使などの武人が政権を奪い合いました。宋はその反省から、皇帝のもとに文官が政治を担う体制をつくりました。
960 年に宋を建てた人物と、宋の都は?
趙匡胤(太祖)、開封
開封は大運河と黄河が交わる位置にあり、江南の物資が集まる商業都市だった。
宋が、武人の力を抑えて科挙で選んだ文官に政治を担わせた方針を何という?
文治主義
五代の武人政権の反省から生まれた。一方で軍事力が弱まり、北方民族の圧迫に苦しむ原因にもなった。
宋の太祖が科挙の最終試験として新たに設けた、皇帝がみずから行う試験は?
殿試
合格者と皇帝の結び付きが強まり、皇帝の権力を支える官僚が育った。
宋代に科挙の合格者を多く出し、儒学の教養を持って社会を指導した層を何という?
士大夫
多くは新しく台頭した地主(形勢戸)の出身で、土地を小作人(佃戸)に耕させた。
2. 新法と旧法
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
北方民族への贈り物や軍事費で財政が苦しくなると、11 世紀後半に神宗が王安石を用いて改革を行いました。
神宗のもとで富国強兵のための改革(新法)を進めた宰相は?
王安石
大地主や大商人の利益を抑えて中小の農民・商人を保護し、国の財政と軍事を立て直そうとした。
新法のうち、農民に低い利子で穀物や資金を貸し付けた政策は?
青苗法
高利貸しから農民を守るねらいがあった。ほかに中小商人に低利で貸す市易法、農民に民兵の訓練をさせる保甲法などがある。
新法に反対した旧法党の中心人物で、歴史書『資治通鑑』を著したのは?
司馬光
新法党と旧法党の争いは長く続き、政治の混乱を招いた。
3. 遼・西夏・金と南宋
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
宋の北方では、遊牧や狩猟を営む民族が中国の制度を取り入れて強い国家を建て、独自の文字もつくりました。
1004 年、宋が遼と結び、宋が毎年銀や絹を贈ることを約した和議は?
澶淵の盟
遼は 10 世紀に燕雲十六州を得て、中国の北辺を支配していた。和議によって両国の間には長い平和が続いた。
金が遊牧・狩猟の民である女真人を治めるために用いた、軍事と行政を一体とした制度は?
猛安・謀克
農耕民の漢人は中国式の州県制で治めた。
1126〜1127 年、金が開封を攻め落とし、上皇の徽宗と皇帝の欽宗を北へ連れ去った事件は?
靖康の変
これで北宋は滅び、欽宗の弟の高宗が江南で即位して南宋を建てた。都は臨安(杭州)。
南宋が金と結んだ和議(1142 年)で、両国の国境とされた川は?
淮河
南宋は金に対して臣下の礼をとり、毎年銀や絹を贈った。和平を進めたのは秦檜で、主戦派の岳飛と対立した。
4. 宋代の経済と文化
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
宋代には江南の開発が進み、商業が大きく伸びました。海の交易もさかんになり、中国の産品が南シナ海やインド洋へ運ばれました。
宋代に江南の稲作が発展したことを表す言葉は?
「蘇湖熟すれば天下足る」
長江下流域の蘇州・湖州あたりで米が実れば、天下の食料が足りるという意味。日照りに強い早稲の占城稲も広まった。
北宋で使われた世界で最も早い紙幣の一つは?
交子
商業の発達で銅銭の取引量が増えたことから、紙幣が使われるようになった。南宋では会子が使われた。
南宋の朱熹が大成し、宇宙と人間を「理」と「気」で説明して、君臣の名分を重んじた儒学は?
朱子学
四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)を重視した。のちに朝鮮や日本にも大きな影響を与えた。