モンゴル帝国の拡大と東西交流
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (2) ア (ア) の「宋の社会とモンゴル帝国の拡大など」を扱います。事項は、これらを基に「海域と内陸にわたる諸地域の交流の広がり」を理解することを求めています。
13 世紀、モンゴル帝国はユーラシアの東西にまたがる空前の大帝国となり、陸の道と海の道をひとつにつないで、人・物・情報の行き来を活発にしました。
0. 何を押さえるか
モンゴル帝国は、大ハン(ハーン)の国である元と、一族が治める各地のウルス(国)がゆるやかに結び付いた連合体でした。
| 国 | 始めた人物 | 地域 | 押さえること |
|---|---|---|---|
| 元 | クビライ | モンゴル高原と中国 | 都は大都。1279 年に南宋を滅ぼす |
| チャガタイ=ハン国 | チャガタイ | 中央アジア | チンギス=ハンの子の系統 |
| キプチャク=ハン国 | バトゥ | 南ロシア | ロシアを支配(タタールのくびき) |
| イル=ハン国 | フレグ | イラン | 1258 年にバグダードを攻略、アッバース朝を滅ぼす |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 金を滅ぼしたのはオゴデイ(1234 年)、南宋を滅ぼしたのはクビライ(1279 年)。華北と江南で征服の時期が違う
- 元の支配では、実務に色目人(中央アジア・西アジア出身者)を重く用い、旧南宋の人々(南人)は下に置かれた。科挙は長く行われず、行われてからも規模は小さかった
- モンゴルの交易の要は陸の駅伝制(ジャムチ)と、海の港(泉州など)の両方。陸と海がひとつの交易圏としてつながった
1. チンギス=ハンとモンゴル帝国の拡大
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
モンゴル高原の諸部族を統一したテムジンは、チンギス=ハンとして即位し、周りの国々を次々と征服しました。その子や孫の代に、帝国はユーラシアの東西に広がります。
1206 年、テムジンがチンギス=ハンとして即位した、モンゴルの有力者の集会を何という?
クリルタイ
大ハンの選出や遠征など、国の重要事項を決める場だった。
チンギス=ハンが遊牧民を 1000 戸ほどの単位にまとめ、軍事と行政の組織とした制度は?
千戸制
各単位が一定の兵を出す決まりで、強い騎馬軍団を支えた。
1241 年、バトゥの率いるモンゴル軍がドイツ・ポーランドの諸侯の軍を破った戦いは?
ワールシュタットの戦い
バトゥの遠征はロシアから東ヨーロッパに及んだ。バトゥはのちに南ロシアにキプチャク=ハン国を建てた。
1258 年、バグダードを攻略してアッバース朝を滅ぼし、イラン方面にイル=ハン国を建てた人物は?
フレグ(フラグ)
イル=ハン国は 13 世紀末のガザン=ハンのときにイスラームを国の宗教とし、イラン=イスラーム文化が栄えた。
2. クビライと元の統治
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
大ハンとなったクビライは、都を大都に移して国号を元とし、中国の支配に力を入れました。
クビライが国号を元とし、都とした都市(いまの北京)は?
大都
モンゴル高原と中国の両方を治めやすい位置にあった。1279 年には南宋を滅ぼして中国全土を支配した。
元の支配層で、財務などの実務に重く用いられた中央アジア・西アジア出身の人々を何という?
色目人
元はモンゴル人を支配の中心とし、色目人を財務の担い手に用いた。旧金の支配下の人々は漢人、旧南宋の人々は南人と呼ばれた。
元がチベット仏教の僧パクパに命じてつくらせた文字は?
パクパ文字
モンゴル語をはじめ諸言語を書き表す公式の文字とされた。元の宮廷はチベット仏教を厚く保護した。
クビライが日本に 2 度送った遠征軍を日本では何と呼ぶか?
元寇(文永の役 1274 年・弘安の役 1281 年)
どちらも失敗に終わった。元はベトナム・ジャワなどにも遠征したが、多くは失敗した。
3. ユーラシアの交通と交易
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
モンゴル帝国のもとで、内陸の草原とオアシスの道、そして海の道がひとつにつながりました。ムスリム商人などが活発に行き来し、東西の交易が大きく伸びました。
モンゴル帝国が主要な道に一定の間隔で駅を置き、使者や物資の往来を支えた制度は?
駅伝制(ジャムチ)
通行証(牌符)を持つ者は、駅で馬や食料の提供を受けられた。帝国の広い領域を結ぶ交通の土台となった。
元が発行し、銀と交換できるものとして通用させた紙幣は?
交鈔
元の経済は銀を基準としていた。のちに乱発して価値が下がり、経済の混乱を招いた。
元代の中国で最大の貿易港として栄え、マルコ=ポーロもその繁栄を伝えた福建の港は?
泉州
ムスリム商人が多く住んだ。元は大都と江南を結ぶ大運河を整え、海の運送も行った。
4. 東西の人と文化の交流
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(ア)
交通の安全が保たれたことで、使節・宣教師・商人が東西を行き来し、技術や文化も伝わりました。
クビライに仕えたとされるヴェネツィア出身の商人と、その旅行の記録は?
マルコ=ポーロ、『世界の記述』(『東方見聞録』)
中国の豊かさを伝え、のちのヨーロッパ人のアジアへの関心をかき立てた。
フランス王ルイ 9 世の使節としてモンゴルのカラコルムを訪れた修道士は?
ルブルック
これより前には教皇の使節としてプラノ=カルピニが派遣された。大都ではモンテ=コルヴィノがカトリックを布教した。
元の郭守敬が、イスラームの天文学の影響を受けてつくった暦は?
授時暦
のちに日本の江戸時代の暦(貞享暦)のもとにもなった。
14 世紀半ば、元の支配が揺らぐなかで起きた、白蓮教徒を中心とする反乱は?
紅巾の乱
交鈔の乱発や天災が重なって各地で反乱が起き、1368 年に元は明に追われてモンゴル高原に退いた。