清の成立と統治
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (3) ア (ア) の「清と日本・朝鮮などの動向」のうち、清の成立と統治の仕組みを扱います。
少数の満州人(女真)が、多数の漢人と、モンゴル・チベットなどの広い地域をどう治めたかが、諸帝国の統治の特徴を考える手がかりになります。
0. 何を押さえるか
清は、中国東北地方の女真(満州人)が建てた王朝で、明の滅亡後に中国本土に入り、18 世紀には史上でも有数の広い領土を支配しました。
漢人の住む地域(直轄領)と、モンゴル・青海・チベット・新疆(藩部)とで、治め方を分けたのが特徴です。
| 皇帝 | 主なできごと |
|---|---|
| ヌルハチ | 1616 年、後金を建てる。八旗を組織 |
| ホンタイジ | 1636 年、国号を清とする。内モンゴルと朝鮮を服属させる |
| 順治帝 | 1644 年、明の滅亡後に北京に入る |
| 康熙帝 | 三藩の乱を鎮め、台湾の鄭氏を降す(1683 年)。1689 年、ロシアとネルチンスク条約 |
| 雍正帝 | 軍機処を置く。1727 年、ロシアとキャフタ条約。キリスト教の布教を禁止 |
| 乾隆帝 | ジュンガルを滅ぼし、東トルキスタンを「新疆」とする(最大領土) |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 明を滅ぼしたのは清ではなく李自成の反乱軍。清はその混乱に乗じて北京に入った
- ネルチンスク条約は康熙帝、キャフタ条約は雍正帝。どちらもロシアとの国境を定めた
- 清は漢人を「懐柔」と「弾圧」の両方で治めた。科挙や大編纂事業で知識人を取り込む一方、辮髪を強制し、反清の言論を文字の獄で取り締まった
1. 清の成立と中国支配
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(ア)
女真を統一したヌルハチが国を建て、次のホンタイジが国号を清と改めました。
明が農民反乱で滅びると、清は長城を越えて北京に入り、中国全土の支配へ進みます。
1616 年、女真を統一して後金を建てた人物と、彼が組織した軍事・行政の組織は?
ヌルハチ、八旗
満州人を 8 つの集団(旗)に分けて編成した。のちには漢人やモンゴル人の八旗も置かれた。
1644 年、明を滅ぼしたのは誰か?
李自成の率いる反乱軍
李自成が北京を占領して明は滅びた。清は明の武将呉三桂の手引きで北京に入り、李自成を追って中国支配を始めた。
康熙帝が鎮めた、雲南などに封じられていた漢人の武将たちの反乱は?
三藩の乱
清の中国征服に協力した呉三桂らが、藩の廃止をきっかけに起こした。鎮圧で清の中国支配が固まった。
康熙帝の時代、台湾を拠点に清に抵抗し、1683 年に降伏した勢力は?
鄭氏(鄭成功とその子孫)
鄭成功はオランダを台湾から追って拠点とし、明の復興を掲げて抵抗した。
2. 康熙・雍正・乾隆の盛時
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(ア)
17 世紀後半から 18 世紀末までの 3 代の皇帝の時代に、清は国内を安定させ、北方と西方へ領土を広げました。
1689 年、康熙帝がロシアと結び、両国の国境を定めた条約は?
ネルチンスク条約
アルグン川と外興安嶺(スタノヴォイ山脈)を境とした。清が対等な形式で外国と結んだ条約として知られる。
雍正帝が設けた、皇帝直属で重要な政務や軍事を扱った機関は?
軍機処
もとは西北の遊牧勢力との戦いのために置かれたが、やがて政治の最高機関となった。
乾隆帝がジュンガルを滅ぼして支配下に入れた東トルキスタンは、何と呼ばれたか?
新疆(「新しい領土」の意味)
これにより清の領土は最大となった。
清で、人頭税(丁税)を土地税に繰り込んで一本化した税制は?
地丁銀制
康熙帝の末期に始まり、雍正帝の時代に広まった。人頭税がなくなったことも一因となり、18 世紀に人口が大きく増えたとされる。
3. 直轄領と藩部
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(ア)
清は、明の制度を受け継いだ直轄領と、現地の支配者に統治を任せた藩部とで、治め方を分けました。
清の藩部(モンゴル・青海・チベット・新疆)を統轄した役所は?
理藩院
藩部では、モンゴルの王侯、チベットの仏教指導者、新疆の有力者(ベグ)など、現地の支配者に統治をゆだねた。
清が中央の官職の定員を満州人と漢人に同じ数ずつ割り当てた制度は?
満漢併用制
少数の満州人が多数の漢人を治めるため、漢人の官僚も取り込んだ。科挙も明から引き継いで行った。
4. 懐柔と弾圧
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(ア)
清は漢人の知識人を大規模な編纂事業で取り込むとともに、満州人の風俗を強い、反清の考えを厳しく取り締まりました。
清が漢人の男性に強制した、満州人の髪型は?
辮髪
頭の周りを剃り、残した髪を編んで後ろに垂らす。従うことは清への服従の証しとされた。
清で、反清的・反満州的とみなした文章を書いた者を厳しく処罰したことを何という?
文字の獄
あわせて禁書も行い、思想を統制した。
乾隆帝が編纂させた、古今の書物を集めて整理した大叢書は?
『四庫全書』
康熙帝の『康熙字典』などと並ぶ大編纂事業。知識人を動員して懐柔すると同時に、不都合な書物を禁書にする機会にもなった。
清でキリスト教の布教が禁じられるきっかけとなった、イエズス会の布教方法をめぐる論争は?
典礼問題
イエズス会が信者に孔子の崇拝や祖先の祭祀を認めたことを、他の修道会や教皇が否定した。雍正帝はキリスト教の布教を全面的に禁止した。