清と日本・朝鮮の動向
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (3) ア (ア) の「清と日本・朝鮮などの動向を基に,アジア諸地域の特質を構造的に理解すること」。
思考の側では日本の対外関係の特徴を考えることも求められています。このノートは、17〜18 世紀の東アジアで、清・日本・朝鮮・琉球がどう結び付き、ヨーロッパとの貿易をどう管理したかを扱います。
0. 何を押さえるか
清は周辺の国々と朝貢・冊封の関係を結びましたが、日本は清と正式な国交を持たず、長崎で民間の商人と貿易しました。
どの国も、ヨーロッパとの貿易を限られた港に絞って管理した点が共通しています。
| 清との関係 | 日本との関係 | ヨーロッパとの貿易 | |
|---|---|---|---|
| 清 | ― | 正式な国交なし。清の商人が長崎で貿易 | 1757 年から広州 1 港に限定し、公行が独占 |
| 朝鮮 | 1637 年に服属し、冊封を受ける | 対馬の宗氏を通じた対等な交わり。朝鮮通信使 | ほとんど行わない |
| 日本(江戸幕府) | 正式な国交なし | ― | 長崎の出島でオランダとのみ |
| 琉球 | 冊封を受けて朝貢 | 1609 年から薩摩の島津氏が支配 | ― |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 朝鮮は清の冊封を受けたが、日本とは対等な関係。朝鮮通信使は朝貢の使節ではない
- 琉球は清に朝貢しながら、薩摩にも支配される「両属」の状態にあった
- 清の海禁は、鄭氏の平定(1683 年)のあといったん緩められ、1757 年にヨーロッパ船の来航を広州に限った。閉じる → 開く → 1 港に絞る、の順
1. 清と朝鮮
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(ア)
明に朝貢していた朝鮮は、ホンタイジの侵攻を受けて清に服属しました。
清の冊封を受けながらも、朝鮮の支配層は、自分たちこそが明の文化を受け継ぐという意識を持ち続けます。
朝鮮が清に服属したのは、いつ、どの皇帝の侵攻によるか?
1637 年、ホンタイジ
清が明を滅ぼして中国に入る前のこと。朝鮮は以後、清から冊封を受けた。
明が滅んだあと、朝鮮の支配層が、清ではなく自分たちこそ中華の文化を受け継ぐと考えたことを何という?
小中華の意識(小中華思想)
満州人の清を「夷」とみなし、朱子学に基づく儒教の礼を守ることを誇りとした。
清に服属したあとの朝鮮で、朱子学の礼を守り、小中華の意識を担った支配身分は?
両班
科挙を通じて官僚となり、朱子学を学問の中心とした。
2. 江戸幕府の対外関係
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(ア)
江戸幕府はキリスト教を禁じ、日本人の海外渡航を止め、貿易の相手と場所を限りました。
それでも日本は外とのつながりを断ったわけではなく、4 つの窓口で周辺と交わりました。
江戸時代、将軍の代替わりの祝賀などのために朝鮮から日本に送られた使節は?
朝鮮通信使
江戸時代を通じて 12 回来日した。朝鮮と日本は互いを対等の相手とする関係で、朝貢の使節ではない。
江戸時代、朝鮮との外交と貿易の仲立ちをした藩と、朝鮮側に置かれた日本人の居留地は?
対馬の宗氏、釜山の倭館
宗氏は朝鮮との貿易を独占的に任され、幕府と朝鮮の間の外交実務も担った。
1641 年、江戸幕府がオランダ商館を移した長崎の人工島は?
出島
ヨーロッパの国で日本と貿易できたのはオランダだけになった。キリスト教の布教をしないことが条件だった。
江戸時代の日本は、清とどのような関係にあったか?
正式な国交はなく、長崎に来る清の商人と貿易した
清の商人は長崎の唐人屋敷に住まわされた。日本からは銅や俵物(干しアワビ・ふかひれなどの海産物)が輸出された。
1609 年に薩摩の島津氏の侵攻を受けたあとも、琉球王国が続けた中国との関係は?
中国(明・清)への朝貢を続けた
薩摩の支配を受けつつ中国の冊封も受ける「両属」の状態にあった。薩摩は琉球を通じて中国との貿易の利益を得た。
江戸時代、蝦夷地のアイヌとの交易を独占的に認められた藩は?
松前藩
長崎(オランダ・中国)・対馬(朝鮮)・薩摩(琉球)・松前(アイヌ)が、江戸時代の「4 つの口」と呼ばれる。
3. 清のヨーロッパとの貿易の制限
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(ア)
清は海上の抵抗勢力を封じるために沿岸の交易を厳しく制限し、その平定後に緩めました。
しかし 18 世紀半ばには、ヨーロッパ船の来航を 1 つの港に限ります。
清が台湾の鄭氏の財源を断つため、沿岸の住民を内陸に移した命令は?
遷界令(1661 年)
鄭氏が 1683 年に降伏すると海禁は緩められ、海外との交易が再び盛んになった。
1757 年、乾隆帝がヨーロッパ船の来航を限った港と、そこで貿易を独占した特許商人の組合は?
広州、公行
外国の商人は公行を通してしか取引できず、ヨーロッパ側には不満が残った。
1793 年に乾隆帝に謁見し、貿易の制限を緩めるよう求めたイギリスの使節は?
マカートニー
清は周辺国を朝貢国とみなす立場から、対等な通商の要求を受け入れなかった。
清の時代、中国の茶や絹・陶磁器の代価として、ヨーロッパから大量に中国へ流れ込んだものは?
銀
アメリカ大陸の銀が、ヨーロッパの商人を通じて中国に入った。清の税が銀で納められたことも、銀の需要を支えた。