東南アジアの諸国家
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」B (3) ア (イ) の「仏教の成立とヒンドゥー教,南アジアと東南アジアの諸国家など」のうち、東南アジアの諸国家を扱います。
思考力の事項は、東南アジアと周辺諸地域との関係を考察するよう求めています。
0. 何を押さえるか
東南アジアは、インドと中国を結ぶ海の道の途中にあり、季節風(モンスーン)を利用した交易で港市が栄えました。
紀元前後から、南アジアの言葉(サンスクリット語)・宗教(ヒンドゥー教・仏教)・王権の考え方を取り入れる「インド化」が進む一方、
ベトナム北部は長く中国の支配を受け、中国の文化の影響を強く受けました。
| 国 | 場所 | 時期 | 宗教・特色 |
|---|---|---|---|
| 扶南 | メコン川下流 | 1 世紀ごろ〜 | 港市オケオでローマ・インド・中国の品が出土 |
| チャンパー | ベトナム中部 | 2 世紀末〜 | チャム人の国。中国名は林邑、のち占城 |
| シュリーヴィジャヤ | スマトラ島(パレンバン) | 7 世紀〜 | マラッカ海峡の交易。大乗仏教 |
| シャイレーンドラ朝 | ジャワ島中部 | 8 世紀〜 | 大乗仏教。ボロブドゥール |
| アンコール朝 | カンボジア | 9 世紀〜 | クメール人。ヒンドゥー教と仏教。アンコール=ワット |
| パガン朝 | ビルマ(ミャンマー) | 11 世紀〜 | ビルマ人。上座部仏教 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 大陸部のパガン朝は上座部仏教、諸島部のシュリーヴィジャヤとシャイレーンドラ朝は大乗仏教
- アンコール=ワットはヒンドゥー教の寺院として建てられた(のちに仏教寺院としても使われた)。仏教のボロブドゥールと取り違えない
- ベトナム北部だけは中国の影響が強い。漢字や儒学、中国式の制度を取り入れた
1. 港市国家の誕生
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)
紀元前後から、インドと中国の間の海上交易が盛んになると、東南アジアの沿岸に交易の拠点となる港市が生まれ、
港市を中心とする国家(港市国家)がおこりました。
東南アジアの海上交易で、船の往来を助けた自然の条件は?
季節によって向きが変わる季節風(モンスーン)
夏と冬で風向きが逆になるため、それに合わせてインド洋や南シナ海を往復した。
1 世紀ごろメコン川下流におこり、外港オケオの遺跡からローマの金貨やインドの神像、中国の鏡が出土した国は?
扶南
東西の交易の中継地だったことを示す。7 世紀に真臘(カンボジア)に滅ぼされた。
2 世紀末にベトナム中部でチャム人が建てた国は?
チャンパー
中国の記録では林邑、のちに占城と呼ばれた。インド文化を取り入れ、ヒンドゥー教の寺院が残る。
東南アジアの「インド化」とは、何を取り入れたことか?
サンスクリット語、ヒンドゥー教や仏教、インド風の王権の考え方など
王は神と結びつけられ、その権威を示すために寺院が建てられた。
2. 諸島部の仏教国家
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)
7 世紀になると、マラッカ海峡を通る海の道がいっそう重要になり、スマトラ島やジャワ島に仏教を信じる国家が栄えました。
7 世紀、スマトラ島のパレンバンを中心に、マラッカ海峡の交易を押さえて栄えた国は?
シュリーヴィジャヤ
中国の記録では室利仏逝と呼ばれ、唐に朝貢した。
インドへ向かう途中にシュリーヴィジャヤに立ち寄り、この国で仏教が盛んなことを記録した唐の僧は?
義浄
海路でインドへ行き来した。シュリーヴィジャヤでは大乗仏教が栄えていた。
8〜9 世紀、ジャワ島中部でシャイレーンドラ朝が建てた、大乗仏教の石造の遺跡は?
ボロブドゥール
段状に石を積んだ巨大な仏教遺跡。近くにはヒンドゥー教の寺院群(プランバナン)も残る。
3. 大陸部の諸国家
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)
大陸部では、メコン川やイラワディ川などの流域で、稲作を基盤とする国家が力をつけました。
カンボジアのクメール人の国(真臘)の流れをくみ、9 世紀から栄えた王朝は?
アンコール朝
扶南を滅ぼした真臘の流れをくむ。都アンコールを中心に、大規模な寺院を築いた。
12 世紀、アンコール朝がヒンドゥー教の寺院として築いた石造建築は?
アンコール=ワット
のちに仏教寺院としても使われた。12 世紀末には王都アンコール=トムが整えられた。
11 世紀、ビルマ人がイラワディ川流域に建てた王朝と、その王朝が信仰した仏教は?
パガン朝、上座部仏教
スリランカとの交流を通じて上座部仏教を取り入れた。13 世紀末に元の侵攻を受けて衰えた。
4. インドと中国のはざまで
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)
東南アジアの国々は、インドから宗教や文化を取り入れながら、中国の王朝にも朝貢して交易の利益を得ました。
ただしベトナム北部だけは、長く中国に直接支配され、中国の文化圏に入りました。
ベトナム北部は、紀元前 2 世紀末に中国のどの王朝の支配下に入ったか?
前漢(武帝の時代)
その後も長く中国の王朝の支配が続き、ベトナム北部が独立した王朝をもつのは 10 世紀になってからである。
東南アジアの多くの国と比べて、ベトナム北部の文化は何が違うか?
インドよりも中国の影響が強く、漢字・儒学・中国式の制度を取り入れた
独立後の 11 世紀におこった李朝も、中国にならった国家をつくった。
東南アジアの国々が、インド文化を取り入れつつも中国の王朝に使節を送った目的は?
朝貢によって中国との交易の利益を得るため
交易の中継で栄えた国々にとって、中国との通交は重要だった。