みならいノート

世界史探究 2027年度版

東南アジアの諸国家

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このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。

学習指導要領「世界史探究」B (3) ア (イ) の「仏教の成立とヒンドゥー教,南アジアと東南アジアの諸国家など」のうち、東南アジアの諸国家を扱います。
思考力の事項は、東南アジアと周辺諸地域との関係を考察するよう求めています。

0. 何を押さえるか

東南アジアは、インドと中国を結ぶ海の道の途中にあり、季節風(モンスーン)を利用した交易で港市が栄えました。
紀元前後から、南アジアの言葉(サンスクリット語)・宗教(ヒンドゥー教・仏教)・王権の考え方を取り入れる「インド化」が進む一方、
ベトナム北部は長く中国の支配を受け、中国の文化の影響を強く受けました。

国 場所 時期 宗教・特色
扶南 メコン川下流 1 世紀ごろ〜 港市オケオでローマ・インド・中国の品が出土
チャンパー ベトナム中部 2 世紀末〜 チャム人の国。中国名は林邑、のち占城
シュリーヴィジャヤ スマトラ島(パレンバン) 7 世紀〜 マラッカ海峡の交易。大乗仏教
シャイレーンドラ朝 ジャワ島中部 8 世紀〜 大乗仏教。ボロブドゥール
アンコール朝 カンボジア 9 世紀〜 クメール人。ヒンドゥー教と仏教。アンコール=ワット
パガン朝 ビルマ(ミャンマー) 11 世紀〜 ビルマ人。上座部仏教

取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。

1. 港市国家の誕生

根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)

紀元前後から、インドと中国の間の海上交易が盛んになると、東南アジアの沿岸に交易の拠点となる港市が生まれ、
港市を中心とする国家(港市国家)がおこりました。

東南アジアの海上交易で、船の往来を助けた自然の条件は?

季節によって向きが変わる季節風(モンスーン)

夏と冬で風向きが逆になるため、それに合わせてインド洋や南シナ海を往復した。

1 世紀ごろメコン川下流におこり、外港オケオの遺跡からローマの金貨やインドの神像、中国の鏡が出土した国は?

扶南

東西の交易の中継地だったことを示す。7 世紀に真臘(カンボジア)に滅ぼされた。

2 世紀末にベトナム中部でチャム人が建てた国は?

チャンパー

中国の記録では林邑、のちに占城と呼ばれた。インド文化を取り入れ、ヒンドゥー教の寺院が残る。

東南アジアの「インド化」とは、何を取り入れたことか?

サンスクリット語、ヒンドゥー教や仏教、インド風の王権の考え方など

王は神と結びつけられ、その権威を示すために寺院が建てられた。

2. 諸島部の仏教国家

根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)

7 世紀になると、マラッカ海峡を通る海の道がいっそう重要になり、スマトラ島やジャワ島に仏教を信じる国家が栄えました。

7 世紀、スマトラ島のパレンバンを中心に、マラッカ海峡の交易を押さえて栄えた国は?

シュリーヴィジャヤ

中国の記録では室利仏逝と呼ばれ、唐に朝貢した。

インドへ向かう途中にシュリーヴィジャヤに立ち寄り、この国で仏教が盛んなことを記録した唐の僧は?

義浄

海路でインドへ行き来した。シュリーヴィジャヤでは大乗仏教が栄えていた。

8〜9 世紀、ジャワ島中部でシャイレーンドラ朝が建てた、大乗仏教の石造の遺跡は?

ボロブドゥール

段状に石を積んだ巨大な仏教遺跡。近くにはヒンドゥー教の寺院群(プランバナン)も残る。

3. 大陸部の諸国家

根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)

大陸部では、メコン川やイラワディ川などの流域で、稲作を基盤とする国家が力をつけました。

カンボジアのクメール人の国(真臘)の流れをくみ、9 世紀から栄えた王朝は?

アンコール朝

扶南を滅ぼした真臘の流れをくむ。都アンコールを中心に、大規模な寺院を築いた。

12 世紀、アンコール朝がヒンドゥー教の寺院として築いた石造建築は?

アンコール=ワット

のちに仏教寺院としても使われた。12 世紀末には王都アンコール=トムが整えられた。

11 世紀、ビルマ人がイラワディ川流域に建てた王朝と、その王朝が信仰した仏教は?

パガン朝、上座部仏教

スリランカとの交流を通じて上座部仏教を取り入れた。13 世紀末に元の侵攻を受けて衰えた。

4. インドと中国のはざまで

根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)

東南アジアの国々は、インドから宗教や文化を取り入れながら、中国の王朝にも朝貢して交易の利益を得ました。
ただしベトナム北部だけは、長く中国に直接支配され、中国の文化圏に入りました。

ベトナム北部は、紀元前 2 世紀末に中国のどの王朝の支配下に入ったか?

前漢(武帝の時代)

その後も長く中国の王朝の支配が続き、ベトナム北部が独立した王朝をもつのは 10 世紀になってからである。

東南アジアの多くの国と比べて、ベトナム北部の文化は何が違うか?

インドよりも中国の影響が強く、漢字・儒学・中国式の制度を取り入れた

独立後の 11 世紀におこった李朝も、中国にならった国家をつくった。

東南アジアの国々が、インド文化を取り入れつつも中国の王朝に使節を送った目的は?

朝貢によって中国との交易の利益を得るため

交易の中継で栄えた国々にとって、中国との通交は重要だった。

このノートの 13 問を、暗記カードで復習できます

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